第77話夜空の再会でございます

「犬が、魔岩石を? 本気で言っているんですか、ヴィセルフ」


 幽霊を見たと話す子供を宥めるような口調で、レイナスが振り返る。

 腹が立つ。が、ダンも使って数日かけて集めた資料でも、やはり前例なし。

 かといってこれで終わりでは、どうにもスッキリしない。


 だからこそ、こうしてわざわざレイナスの自室まで訪ねてきたのだ。

 俺は不機嫌を隠すことなく、ソファーにどさりと腰を落とす。


「俺だって、お前なんて頼りたかあなかったんだ」


「……その様子ですと、僕をからかいに来たわけではなさそうですね」


「たりめーだ。俺サマはそこまで暇じゃねえ」


「なるほど。先日のティナ嬢失踪時に、そんなことが」


「!」


 察しの良さに驚き顔を向けると、レイナスは苦笑交じりに本を閉じ、


「ヴィセルフがわざわざ訪ねてくるほどです。ならば十中八九、ティナ嬢絡みでしょう」


「…………」


「彼女が居なくなったあの時、ヴィセルフが魔岩石の魔力を辿って探していただろうことは、気づいていましたからね」


 まあ、そうだろう。

 あの時レイナス達が俺とティナの元に辿り着けたのだって、俺の魔力の気配を辿ってきたからに他ならない。


「さて、魔岩石を使役する犬……ですか」


 レイナスは本を執務机に置くと、考え込むようにして顎先に指を添える。


「魔岩石の魔力によって、犬や鳥といった動物を使役するという例は存在しています。ですが彼らが他者の魔岩石を扱った例は……僕の知る限り、残念ながら」


「……魔岩石の使役を受けた動物の魔力に、所持者が異なる魔岩石が反応することは?」


「ない……とは言い切れないとは思いますが、微々たる反応程度かと。ヴィセルフの話では、灯されているだけの魔岩石の魔力を発動するに至っています。さすがにそこまでは」


 レイナスの眉間に、珍しく深い皺。


「ヴィセルフの見立て通り、あの魔岩石からは今もヴィセルフの気配がします。魔岩石を扱えるのは所有権を得た者だけですし、それがヴィセルフから他へ移っていないとなると――」


 刹那、はっとしたようにレイナスが顔を上げた。


「もしや。いや、そんな」


「心当たりがあるのか」


 訊ねた俺に、レイナスはためらうようにして視線を落とした。


「なんだ。言え」


 苛立ち交じりに強く発すると、レイナスは一度ぎゅっと目を閉じてから、


「……これは、あくまで事実確認のとれていない、知識上での話になりますが」


「ああ」


「魔岩石をはじめとした、自然界のあらゆる物質を従える魔力が存在します」


「な……っ!?」


 思わず声をあげた俺に、レイナスは「ヴィセルフも、知っているはずですよ」と穏やかに告げ、


「かつてはこの国で栄え、王族をも凌ぐ魔力を持ち、今もなおどこかで確かに息づいている一族。――精霊族です」



***



「ひえ~~、ホントにもう涼しくなってる……!」


 星空の下、人気のない庭園を歩きながら、羽織ったショールを抱き寄せる。

 先日エラに選んでもらった、細やかな刺繍が上品なショール。

 買った当初は街中で使うにぴったりなおシャンティさだなあと思っていたけれど、こうして侍女服に合わせても浮かないのだから、やっぱりエラのセンスは抜群だと思う。


(クレアに言われて羽織ってきてよかった)


「夜は冷えるようになってきたから、散歩に行くならひとつ羽織っていきな」


 見送ってくれたクレアは、とっくに湯浴みを終えたらしい。

 それでも嫌な顔ひとつせず「いってらっしゃい」と見送ってくれるのだから、本当にいいルームメイトだとしみじみ思う。


 辿り着いたのは庭園端の、小さな噴水。昼夜問わず休みなく流れ落ちる水音に聴覚を預けながら、縁石に腰かけた。

 ショールの下からいそいそと取り出したのは、いま先ほど完成したシナモンロール。

 ほんわりとした焼き立ての熱がまだ残るそれは、『モーヴ・ローズ』の看板メニューのひとつになる予定だ。


「なんとか間に合ってよかった」


 たっぷりのスパイスを使ったこれは、個人で作るには簡単ではないだろう。

 販売価格も少し高くなってしまうが、あの店には"王室御用達"の名がある。

 お茶請けとしてもパンとしても楽しめるシナモンロールは、きっと需要があるに違いない。


 鼻を寄せ、贅沢なシナモンの香りを楽しんでから、一口をはむり。

 たっぷり膨らんだ柔らかなパンの食感に、ざらりとしたシナモンシュガーの舌触り。

 鼻を抜けていく芳醇なスパイスと、はっきりとした甘味が合わさって、刺激的ながらも後を引く味わいが懐かしい。


「うん、おいし」


 やっぱり王城の料理人さんたちはすごいなー。

 満足に星空を見上げ、広がる夜の黒に、私は記憶の影を重ねる。


「あの辺に住んでるのかな、あの子」


 私を助けてくれた、くーちゃんそっくりの犬。

 やせ細っているわけでもなかったし、毛並みも悪くなかったから、野犬というより特定の家があるのだと思うのだけれど。


「また、会えるかな」


 近づいてきた『モーヴ・ローズ』の開店予定日。

 ヴィセルフの口振りからして、街に出る機会も増えるはず。


(あの辺りで飼われている子なら、何かの折にまた、偶然出くわしたりしないかな)


 くーちゃんじゃないと分かっていても、どうしても、そんな期待が捨てきれないでいる。


「……くーちゃん、ちゃんと天国にいけたかなあ」


 懐かしい前世の姿を思い起こしながら呟いた、その時だった。


「……どうやら人間の定義する"天国"とやらには、縁がなかったようだ」


「え……?」


 背後から届いた聞き慣れない声に、跳ねるようにして振り返る。

 生垣をがさりと揺らして姿を現したのは、真っ黒で、白の模様を持つ犬。


「!? あなたは……っ!?」


「……やっと、見つけた」


 途端、その子の身体が淡い光を帯びた。

 驚愕に息を呑んだほんの数秒の間に、小さな身体が人型へと変わる。


 長身の、若い男性。静かに艶めく黒髪は肩よりも長く、片方に寄せて緩くまとめられている。

 どこかエキゾチックな服装が彼の神秘的な雰囲気と相まって、私達とは別の"何か"なのだと察せられた。

 私を見降ろす透き通った銀の瞳が、穏やかに緩まる。


「……本当に、この世界にいたんだな」


「くー……ちゃん、なの?」


「前世では、な。今世での名は、ニークルだ」


「ニー……クル……?」


 ドクリ、と心臓が強く跳ねた。脳裏に情報がどっと流れ込んでくる。

 ああ、そうだ。ニークルの名に、夜を纏った高貴な姿。

 知っている。だって、彼は――。


「精霊王、ニークル……!?」


「やはり、知っていたか」


「え!? うそ!? くーちゃんがニークルなの……!?」

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