第74話路地裏の黒い影

「ティナ、こちらのショールも使いやすいかと思うのですが、好みに合いますか?」


「おや、こちらのブローチ、ティナ嬢の瞳の色によく似ていて……。いかがです?」


 店を覗いては楽し気に瞳を輝かせ、似合うかと尋ねてくるエラとレイナス。

 店内はおろか、路上を闊歩している時でさえ妙に歩きやすいのは、周囲の人々がそれとなく避けてくれるから。


 うん。そりゃそうだよね。

 エラにレイナス、ダンにヴィセルフって……目立つよ!! 目立ちすぎる!!!!


(いっそいつもの侍女服で来るんだった……っ!)


 それならこの面々の中でも、一目で"お付きの者"ですってわかるのに。

 今まとっているのは、ヴィセルフが用意してくれたご令嬢服。

 しかもまたもやヴィセルフ身支度隊のお姉様方のご協力あって、メイクも髪型もバッチリ整えられているから……。


「御覧になって、エラ様とヴィセルフ様だわ。揃ってお出かけの姿を見れるなんて」


「あら、あちらはレイナス様ではなくて? 本当にこの国にご滞在でしたのね」


「ああ……ダン様……。いつしか私も、あの腕で守って頂きたいものですわ……」


「あちらの……ご令嬢はどなたかしら? 誰か知っておりまして?」


(ごめんなさい……っ! 令嬢は令嬢でも辺境の貧乏令嬢です……っ!)


 うん! そりゃこの中に混ざってたら混乱するよね!!

 心の中で待ちゆく人に「すみません、すみません」と謝っていると、エラに「ティナ」と名を呼ばれた。

 顔を上げると同時に、肩にふわりとした感覚。これは……。


「ショール……?」


「ええ。こちらはティナに、よくなじみそうでしたので。やはり素敵ですね。これからの季節に丁度いいと思いますので、こちらをプレゼントさせてください」


「え!? いえいえそんな……! エラ様には頂いてばかりですし、これ以上は……!」


「いいですね。合わせてこちらのブローチは、僕からということでいかがです?」


「レイナス様まで……っ! 本当に、大丈夫ですので……っ!」


 必死に首を振っていると、「ったく、これだからテメエ等は」と呆れたような声。

 ヴィセルフだ。やれやれといった風に片目を眇め、


「何も、なんでもかんでも与えりゃいいってもんじゃねえだろ」


「おや、ヴィセルフがそれを言いますか?」


「は! 俺はお前等と違って、ちゃーんと根拠があるからな。おい、ティナ」


 カツリと靴底を鳴らして、ヴィセルフが腕を組む。


「選ぶのが難しいなら、そいつ等が選んだモノでも構わねえ。この街で"令嬢"として認識されるだけの必需品を、自分の金で揃えろ」


「……え、と?」


 え、なんで?

 そんなもの私には必要ないし、そもそもそんなに手持ちのお金もないし……!?

 何から説明したらいいのか、混乱にあわあわとする私を庇うようにして、ダンが口を開いた。


「ヴィセルフ……理由や背景もちゃんと教えないと、伝わらないと思うぞ」


「あ? ああ、そうか。今後の給金についてだが、"モーヴ・ローズ"の運営に携わる一人として、手当がつくことになった。多少の誤差はあるが、ざっと今の二倍ってところか」


「に、二倍!?」


「そんくらいありゃ、季節ごとに小物を揃えるくらい出来るだろ。いいか、ティナ。これから店への出入りも頻繁になるはずだ。そのとき客はもちろん、業者や職人とも顔を合わせることになる。王城の奴等はティナを知っていても、そうじゃねえ人間が大勢いるってことだ」


 ヴィセルフはすっと両手を軽く開き、


「人は、知らない人間の価値を見た目ではかる。人を従えたいのなら、話を聞いてもらいたいのなら、相手と同じかそれ以上の装いをしろ。下に見られたら終いだ。特に、この街ではな。店を成功させるためにも、同情じゃなくて羨望を集めろ」


(ああ……だから)


 だからヴィセルフは、今日のこの服を用意してくれたのか。

 お忍びではなく"ヴィセルフ"だと一目でわかる服装なのも、馬車を街中まで走らせたのも。

 近々オープンさせるあの店が、"王室御用達"なのだと印象付けるため。

 するとダンが、


「つまるところ、能力と役目に応じた必要経費ってことだな。ティナが可哀想だからとか、ただの好意からじゃなくて、正当な理由を持つ支給だから安心してくれ」


「ダン様……」


 正当な支給。なんだかその言葉に、安堵する自分がいる。

 そうか。私があまりにも"貧乏令嬢"だからじゃなくて、これは仕事の対価として払われる、れっきとしたお給金。

 ならば私が成すべきは――。


「エラ様、レイナス様。お力をお貸しいただいてもよろしいでしょうか。私があの店に"関係者"として出入りするにふさわしい品物を、一緒にお選びいただきたく……」


「ティナ……っ! ええ、ええ。もちろんです! 任せてください」


「ご指名いただき光栄です、ティナ嬢。腕がなりますね」


「あ、でもその、出来ればお手頃なものでお願いします……!」



***



「うっ、人生でこんなに買ったの初めてです……」


 膨らんだ紙袋を両手で抱えて歩く私の両隣りで、「良いモノが見つかって良かったですね」とエラが微笑み、「これで当面は心配ないでしょう」とレイナスが頷く。


 前方にはダンとヴィセルフ。

 特にヴィセルフは随分と疲れたようで、今は休憩できるカフェを探している最中だ。

 途中から明らかに飽きていただろうに、なんだかんだ最後まで付き合ってくれたのは、やっぱりエラが一緒だったからかな。


 ――そう。私はすっかり、重要なミッションを忘れていた。

 せっかっくエラとヴィセルフが一緒なのに!

 全然二人での時間がない……っ!


 いやもう何よりも元凶は私なんだけれどね!?

 むしろ私に選んでくれるってことで、エラとレイナスの距離が縮まっているような!?


(まずい、まずいよ……っ! このままじゃレイナスルートのフラグが立っちゃう……!)


 これは今からでも巻き返しをば……っ!

 は! そうだ! カフェでエラとヴィセルフを隣同士にして――。


「――え」


 視界を過った影に、意識が奪われた。

 店と店の間の、細く陽の陰った路地。

 その先に見えたのはほんの一瞬で、網膜に残った残像がどこまで正確かなんて分からない。


(うん、見間違い……だよね。そんなワケ、ないし)


 でも、あれは。


「――っ!」


 踵を返して、私は全力で駆けだした。背後から「ティナ!?」と呼ぶ声がする。

 分かってる。こんなことしたって、無駄足だ。

 頭では、理解できるのに。


(まさか、本当に――)


 捨てきれない期待が私の足を動かす。

 だって、見てしまったのだ。


 尖った耳に、胴が長く黒い肢体。

 前を見据えるそのおでこから鼻先にかけてと、手足の先だけは真っ白な――犬の姿を。

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