第73話希望のモーヴ・ローズでございます

(いやでも、この内装が素敵なことに嘘はないし……っ!)


 一人であたふたとしていると、ヴィセルフがボソリと呟いた。


「ったく、本当は全部俺サマがやる予定だったってのに」


「あら、ドレスについては譲歩させて頂いたんです。わたくしにも温情をかけて頂かなくては」


「僕も言わせていただきたいのですが、ヴィセルフ。調度品や美術品になど、微塵も興味がないでしょう? ティナ嬢にとって特別となるここが、付け焼き刃の知識で用意した"寄せ集め"で構わないと?」


「ぐ……っ、おいダン! お前だって自分が手配するだのなんだのって気合入れてたくせに、いいのかよ!」


「ん? ああ。おかげさまで、当初の予定よりもかなり低い金額で一級品ばかりを揃えてもらえたからな。浮いた予算は他に回せるし、品質も上がったし。ティナにとって利が多いのなら、俺は大歓迎だ」


 にっこりと爽やかスマイルを浮かべるダンに、歯ぎしりをするヴィセルフ。

 そんな二人も見慣れたもので、私は「あの~~」と片手を上げる。


「ええと、このお店が皆さまのご協力によって素敵に仕上がったのは、とても素晴らしいことだと思うのですが……。ここって、ヴィセルフ様のご提案された王室御用達の菓子店ですよね?」


 厨房を任された料理長に、指揮権限を持つヴィセルフ。この状況から鑑みても、私の推察に誤りはないはず。

 なのにヴィセルフは私に"ティナの店だ"と言ったし、エラもレイナスも、更にはダンまでもが、この店が"私"を核に置いているような口振りだ。


「私の好みではなく、ヴィセルフ様の嗜好に合わせたほうがよろしいのではないかと思うのですが……」


 するとヴィセルフは「そうだが、そうじゃねえ」と首を振って、


「言ったろ。ここはティナの店だ」


「それは……私は侍女をクビになり、ここの従業員として据えらえるということですか?」


「ちげえ! ティナをクビになんてするわけねえだろ!」


「ええと、ならば"私の店"というのは?」


 わからない、と眉尻を下げる私に、ヴィセルフは「いいか」と息をついて、


「この店を運営し管理するのは、確かに俺だ。そういった意味では、この店は"俺の店"ではある。が、売るのはティナの考案した菓子だ。その菓子はきっと、職人から客、果てには労働者や農地にまで変革をもたらす。ティナ、ここはお前の持つ"可能性"という、"希望"を与える店だ」


「私の持つ"可能性"という、"希望"……」


 呆然と繰り返した私に、ヴィセルフが「そうだ。だからここは"ティナの店"ってことだ」と頷く。


「開店してからも、ここの運営やメニューに関わってもらうからな。数字の部分は俺やダンが見るが、俺たちに新しい菓子は生み出せねえし」


 え、と。確認するようにしてダンを見遣ると、「そういうことだ。頑張ろうな」と穏やかに頷く。

 エラが「ふふ」と柔く笑んで、


「ティナのお菓子が王城以外でもいただけるようになるなんて、本当に夢にようです。わたくしなんて、毎日でも通ってしまいそう。開店の時が待ち遠しいですね」


「エラ様……」


「僕の国は近年、スパイスの取引を強化していましてね。きっと力になれるはずですので、いくらでも頼ってください」


「レイナス様……」


 周囲から注がれるのは、背を押すような温かな眼差し。

 本当に、本当にいいのだろうか。私で。

 だって私は前世で食べていたお菓子の詳細を伝えて、試作品を口にしては、記憶とすり合わせているくらいだ。


 形にしてくれるのは料理長をはじめとする料理人の皆だし、令嬢としての社交マナーはおろか、街での流行りにだって疎い。

 それなのに。


(……可能性という、希望)


 出来るのだろうか。私なんかに。

 この店はヴィセルフの願いを詰め込んだ、大切な、未来を切り開くべき場所なのに。

 刹那、赤い瞳が私を射る。


「降りるか?」


「わ、たしは……」


 視線が落ちる。エラやレイナスが戸惑う気配がした。

 けれども私の判断を待つように、沈黙だけが流れる。


(……ずるいなあ、ヴィセルフ)


 今こそ持ち前の横暴さを発揮して、「これは命令だ」くらい言ってくれれば、迷いようがないのに。

 勝手に全ての準備を整えておきながら、最後は私に、自分の意志で決断させる。

 ――知っている。これはヴィセルフの優しさで、紛れもない誠意だ。


「……ヴィセルフ様」


 両手を握りしめ、顔を上げる。

 視線は真っすぐに、赤い瞳を。


「ご期待に添えるよう、精一杯、尽力いたします。……やらせてください」


「……それでこそ、ティナだな」


 ニヤリと口角を上げたヴィセルフが、「"モーヴ・ローズ"」と発した。


「へ?」


「この店の名だ。"モーヴ・ローズ"にする」


 と、レイナスが「おや、これはこれは」とクツクツ笑み、


「王家に認められた、"紫の薔薇"ですか。実にわかりやすく、この店にぴったりなお名前ですね」


(紫の薔薇がわかりやすくて、ふさわしい……?)


 薔薇はたぶん、私が作ったシンボルマークからなのは分かるけれど……紫?

 エラを表す青色じゃなくて??


(紫……、紫……)


 言われてみれば、店内も要所要所に紫色が配置されている。


(あ、そういえば)


 式典とかでヴィセルフが着けるマントの裏地が、紫色だったような。

 ああー、なるほど! それで"紫の薔薇"ね!

 前世でも"ロイヤルパープル"っていう王家御用達カラーがあったし、この世界でも紫って特別な王家カラーなのかも。

 すっきり理解した私は「そうですね!」と両手を合わせ、


「ヴィセルフ様を連想させるお名前ですと、"王室御用達"だとすぐにわかりますし!」


「俺を? ……ああ、薔薇のシンボルマークは俺サマをイメージしたっつってたか。そうじゃなくて"モーヴ・ローズ"ってのは――」


「ええ、その通りですねティナ。そうです。せっかく街に出てきたのですから、このあと一緒にお買い物でもいかがですか?」


 ヴィセルフを遮るようにして発したエラが、麗しく笑んで私の手を取る。

 ダンも「お、いいな。結局お茶も飲みそびれてるしな」と乗り気で、レイナスも「こちらの王都は随分と久しぶりです」とうきうきしている。


 もはや決定事項だと言わんばかりに扉へとエスコートされる最中、轟いたのはヴィセルフの「な! おい!」と制止の声。

 と、エラが半身で振り返り、


「今後の不安要素を悪戯に増やさないためにも、それ以上はお心内に留めておくほうがよろしいかと。愛でるべき花は、私達だけが知っていればいいのですから」


 それこそ花のごとく美しい調べで告げるエラに、ヴィセルフは数度口を開閉しつつも、黙ってしまった。

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