第72話開店前の視察でございます
「ほら、着いたぞ」
お忍びだった前回とは異なり、街の中央まで馬車で乗り入れたヴィセルフと、歩くことほんの数メートル。
立ち止まったのは真っ白な壁に、薄紫色をしたアーチ状の窓枠がついたお店。
上品ながらも可愛らしい店構えのそこは、前回のお忍び下見では立ち寄った記憶がない。
「なんのお店でございますか?」
レースのカーテンはまだ閉じられていて、看板はおろか、開いているのかも怪しい。
するとヴィセルフは、「入ってみりゃわかる」と金色をしたドアノブに手をかけた。
ぐっと押し開かれ、見えた中。
右手側にはガラス製の大きなショーケースがあり、白い壁には大小の絵画が飾られている。
木材の床はつやつやと天井の灯りを反射していて、いくつか置かれている花瓶にはきっと、この後に花が入るのだろう。
「わあ……素敵なお店ですね」
クリスタルの輝く小型のシャンデリアを見上げながら告げると、ヴィセルフはどこか探るような眼差しで「気に入ったか?」と尋ねてくる。
「美しくも、どこか温かみのある雰囲気で居心地が良いです。ですがあの、見たところまだ開店をされていないようなのですが……」
「ああ、まだ準備中だからな」
「え!? は、入ってしまって良かったのですか?」
慌てふためく私に、ヴィセルフは「ああ」と頷いて、
「ここはティナの店だからな」
「…………はい?」
私の店? どういうこと??
その時、扉が開かれた。入ってきたのはシャツにズボンと簡素な姿の大きな男性で、とっぷりと膨らんだ重たそうな紙袋を両手で抱えている。
「おっと。アンタら悪いが、ここはまだ開店前の店で――」
えと、と私が声を上げる前に、男性が「ん?」と帽子に隠れていた顔を上げた。
険しい顔を驚愕に変えて、慌てて帽子を取る。
「なんと、ヴィセルフ様でしたか……! これはとんだ失礼を」
「え、あ、料理長!?」
「その声……もしかしてティナか? んな小奇麗な恰好しているから、てっきりどこかのご令嬢かと思っちまった。いやー、女ってのは化けるもんだなあ」
感心感心とでも言いたげな口振りに、私は唖然としながら、
「どうして料理長がこちらに? お仕事はどうされたんです?」
「そりゃお前、仕事に決まってるだろうが」
するとヴィセルフが料理長に視線を向け、
「奥の方はどうだ?」
「なかなか良いですよ。正直、期待以上でした。とはいえ、厨房の使い勝手ってのは実際に立ってみないとなんともでして、こうして食材を買い込んで来たところだったのですが……。いいですか? 試しに動かしてみて」
「ああ、好きにしてもらって構わねえ。開店時に"できません"じゃ困るからな。奥のことはお前に任せる」
「ありがとうございます。そんじゃ、遠慮なく」
頭を下げた料理長が、紙袋を抱えてショーケース奥の扉へと向かっていく。
「ティナも来るか? そういや今朝やっと例の……シナモンロール? ってやつの試作が出来たんだが、お前さんにも食べてみてもらいたくってよ」
「え、もう出来たんですか!? あ……でも、えっと」
すると私の視線を受けたヴィセルフが、
「いや、悪いがティナはこっちで頼めるか。まだ確認してえことがいくつか残っててな」
「そうでしたか。もちろん、ヴィセルフ様の仰せのままに。んじゃティナ、また時間がありそうな時に、厨房にな」
ガサガサと紙袋を揺らして、料理長が扉の向こうに消えていく。
どうやら他にも料理人さんがいるらしく、「ホレ、戻ったぞー」という料理長の声に、活気だった声が飛び交っている。
「……料理長たち、王城ではなくこっちでお仕事されるんですか?」
「んあ? ああ、初っ端から下手踏むわけにはいかないからな。軌道に乗るまでは、こっちをメインに動いてもらう予定だ」
それよりも、とヴィセルフは店内をぐるりと見渡し、
「調度品とか配置とか、気に入らねえトコはないか? 今ならまだ総とっかえも可能で――」
途端、再びガチャリと出入口のドアが開いた。
「ティナ、無事ですか……っ! お待たせを致しました」
「まったく、僕たちの到着を遅らせるために馬車を一台しか手配せずとは……。考えましたね、ヴィセルフ」
「ヴィセルフ……、二人の案内役として俺を置いていくのは違うんじゃないか? 俺はお前の"護衛騎士"だぞ?」
「エラ様、レイナス様、ダン様……!」
息を切らし恨めし気な視線を向ける三人に、ヴィセルフは腕を組んだまま「俺が誘ったのはティナだけだ」と知らん顔。
三人もそれ以上は諦めたのか、店内にぞろぞろと踏み入れ、
「家具の選定は好みに合いましたか? ティナ。華美過ぎず、それでいて優美な曲線を持つものを中心に揃えてみたのですが」
「え!? こちらの机や椅子って、エラ様がお選びになられたのですか!?」
「ええ。我がブライトン家は古くより家具職人との取引がありますので。ティナの清純さをイメージしたデザインでまとめてみました」
「僭越ながら、絵画や調度品は僕が。ティナ嬢とは美的感覚が似ていましたので、自信はあるのですが……いかがです?」
「ええ!? あ……っ! もしかして、この中央の一番大きな絵画って、フローレンスの作品では……っ!」
「おや、お気づきになられましたか。さすがですね」
気に入って頂けました? と問われ、私は何度も大きく頷く。
すごい、すごい……っ!
エラとレイナスが選定した内装だなんて、そりゃ素敵なわけだよ!!
しかもお互いがちゃんと喧嘩せず、心地よく馴染みつつも華やかさはしっかり伝わるし……!
(さすがは国を背負った幸せエンドを持つ二人……! センスもバッチリ一致して……!)
って、あれ??
これ、興奮している場合じゃないな????
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