第71話花のインクが完成しました

「それでは……いきますっ!」


 震えそうな指先をもう片方の手で支えながら、私は慎重に石判を真っ白な用紙に押し付けた。

 緊張にゴクリと喉が鳴る。


(お願い、今度こそ……!)


 祈るようにしてそっと判を持ち上げると、そこには、薔薇色のシンボルマークがくっきりと残っている。


「や、やった……っ! 成功、成功です!!」


 歓喜に顔を上げると、右隣から用紙を覗き込んでいたエラが「おめでとうございます、ティナ。素晴らしいです」と手を握りしめてくれる。

 左隣に立つレイナスは手を叩いて、


「ティナ嬢なら、必ずやり遂げられると信じていました」


「ありがとうございます、エラ様、レイナス様!」


 すると、二人の真ん中に立つダンが「本当にお疲れ様だな、ティナ」と息をつき、


「これでやっと、ちゃんと寝てくれるようになるな。そろそろ強制的に休ませようと、色々考えてたんだ。無駄になって良かったよ」


「あはは~……ご心配をおかけして、すみませんでした。ダン様」


 いや確かに、ダンには何度も「いいかげんちゃんと休まないと、俺にも考えがあるからな」って脅されていたけれど……色々って?? 


(ダンはマランダ様をはじめ使用人たちとも仲良いし、大ごとになる前に完成して良かった……!)


 背に浮かんだ冷や汗は、たぶん安堵から。

 刹那、バターンッと勢いよく扉が開いた。

 あ、なんかデジャヴ。


「ティナ……、俺サマを差し置いて、これはいったいどういうことだ?」


「ヴィ、ヴィセルフ様……っ!」


「俺サマには"ちゃんとご予定はこなさないといけませんよ"とか言って追い出したくせに、なんでコイツ等はここにいるんだ!?」


「ええっと、ですね……っ」


 詰め寄るヴィセルフの勢いに、思わず上半身をのけ反らせる。

 と、その肩を支えるようにして、エラが背に立った。

 凛とした眼差しをヴィセルフに向け、


「原料となるドライフラワーは、わたくしの魔力を用いた花が一番に美しく色が残ります。わたくしは、ティナに必要な存在ですから」


「え、エラ様……っ!」


 ちょっ、大丈夫??

 こんなさらっとヴィセルフに魔力のこと告げちゃって……っ!


(いやまあ、少しでもエラに自信を持ってもらいたくて、時間がある時は一緒に王城でドライフラワーを作ってくれませんかってお願いしたんだけどもね!?)


 そんでインクが完成したその時に、「実はこの美しいドライフラワーはエラ作です!」ってこう、満を持して感動の告白! ってのを考えてたのだけれどね????


(一緒に作業している間に、エラの中で自信に昇華されたってことかな?)


 びっくりやら、嬉しいやら。

 ぐるぐると感情の波にのまれていると、今度はレイナスが一歩を踏み出した。


「僕は調合に必要な油の配合を。多少ながら油絵具についての知識もありますし、ひとりで花を砕き油も都度配合を変えてでは、ティナ嬢の負担があまりに大きすぎますから。きちんと役に立っていますよ、僕は」


 ねえ、と尋ねるようにして首を傾けられ、私は大きく頷く。


「はい! レイナス様の作業は私よりも細やかですし、油の性質についてもよくご存じで、すっごく助かっています!」


「ぐっ……、だ、だとしても、ダンまでここに居やがるのはおかしいだろうが……っ!」


「それがなあ、王城中で廃棄になった花から条件に合うものを選定してもらって運んだり、必要な油を手配して運んだりとなあ。俺じゃないと出来ない雑用も多くって」


「雑用だなんて、そんな! こうして作業用にと図書室横の一室を手配してくださったのもダン様ですし、本当、ダン様なしではここまで辿り着けませんでした」


「そうか? ティナにそう認識してもらえてるのは、嬉しいな。とまあ、そういうワケだヴィセルフ。俺もティナに必要とされている一人ってことで」


 ダンの言葉に、エラとレイナスが胸を張る。

「ぐう……っ」と悔し気な呻きをもらすヴィセルフは、今にも怒鳴り散らしそうな形相だ。

 これはマズい。察した私は「ヴィセルフ様!」と声を上げ、


「こちらをご覧ください! とうとう出来ました……っ!」


 判の乾き始めた用紙を両手で掲げる。と、強い力で手首が掴まれた。ヴィセルフだ。

 私の手ごと用紙を自身の目線まで下げると、食い入るようにしてじっと見つめ、


「……出来たのか、花のインク」


「は、はい! ですが本来の顔料に比べますと粒子が粗いですし、時間が経つと花の色素が油に溶けてきますし……。ペンに付けて使用出来るインクとは、別物になってしまいましたが」


「問題ねえ。こうしてスタンプには使えるんだろ。目的は果たしたじゃねえか」


 声を弾ませたヴィセルフが、顔を上げる。


「ぜってえ完成させるだろーとは思ってたが……よく頑張ったな、ティナ」


 嬉し気に吊り上がった口角に、労わるようにして緩む瞳。


(き、キラキラだ……!)


 は! エラは!?

 エラはちゃんとヴィセルフのこの効果付き笑顔を見てる!!?


 確認のため勢いよく振り返ろうとしたその時、「ところで」と背後ろから冷静な声。

 エラの声だ。認識したと同時に、細い両腕が私を抱きしめるようにして肩に回る。


「ヴィセルフ様は、どのようなご用件でこちらへ?」


 あ、あれ?

 てっきりヴィセルフのレアなキラキラスマイルに、ちょっとはキュンとしてるかなって思ったのだけど……。

 そういった雰囲気は感じられないし、なんだか声も迫力があるというか。


「……俺サマが自分の侍女を訪ねるのに、理由なんか必要ねえだろ」


「あら、御用も無しにこちらへお越しになられたと? それでしたらティナ、お茶の時間にいたしましょう。完成のお祝いは、また別の日に改めて」


「それはそれは、実に魅力的なご提案ですねエラ嬢。ならば僕の部下にお茶の用意をさせましょうか。ティナ嬢が運んでは、労いの意味がなくなってしましますからね」


「なら俺は、厨房に菓子を頼んでくるかな。朝から妙に賑やかだったが……まあ、何かしらあるだろ」


 決まりですね。さあさあ、ティナはこっちに。

 すでに決定事項となったらしい三人に促されて一歩を踏み出すと、「ちょっ、待て!!」とヴィセルフ。

 エラが顔だけで振り返り、


「お暇を持て余していらっしゃるのでしたら、そろそろお戻りになられたほうがよろしいのではないでしょうか」


「用事がないとは言ってねえ!!」


 噛みつく勢いで叫んだヴィセルフは、そういえば入ってきた時から手にしていた大きな布の塊をぎゅむりと私に押し付けて、


「街に行くぞ、ティナ。今すぐ着替えてこい!」


「…………はえ?」

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