第70話ゲームヒロインの魔力と覚悟
「エラ様……っ! もしや花を乾燥させる魔法を……っ!?」
刹那、エラが席を立った。暖炉上の花瓶から、薄桃色の薔薇を手に取る。
私に向けられた顔は、祈るような、怯えるような。それでいて、強い決意を帯びていた。
キュッと薄く唇を引き結び、硬い頬を動かす。
「……どうか、怯えないでください」
私が疑問を音にする前に、エラの掌に光が帯びた。
光が花に集中する。
「……わたくしの魔力は、触れた"水"を自在に操る能力。……モノに宿る水分もまた、わたくしの魔力が宿れば」
パンッと光が弾けて、エラの手元があらわになった。
白い指先が握るのは、瑞々しい花弁を重ねた薄桃の薔薇……ではなく、かさついた波打つ花弁で微かに萎んだ、先ほどよりもくすんだ色味の薔薇。
静かな瞳が、そっと伏せられる。
「ティナが話してくれた通りですね。花も瞬時に水分を飛ばせば、こんなにも元の状態に近い姿を保てるなんて――」
「――エラ様っ!」
勢い良くエラに駆け寄った私は、興奮のままその掌を両手で包んだ。
「すごっ、素晴らしいですエラ様……! このような魔力が存在していたなんて……っ!」
え、でもゲームではこんな乾燥魔法? 蒸発魔法? なんて扱った場面なかったよね!?
(もしかして私、エラの新しいスチル解放に立ち会ってるんじゃ……っ)
「あ、あの……、ティナっ、手が……」
「わあ!? す、すみませんエラ様、馴れ馴れしい真似を……!」
慌てて両手を振り上げた私に、エラが「い、いえ。そうではなく」と躊躇うようにして視線を彷徨わせる。
「その……わたくしが、恐ろしくはないのですか?」
「エラ様が恐ろしい? なぜです?」
あまりにもヒロインとして完璧すぎて??
首を傾けた私に、エラは「それは……」と手の内の乾燥した薔薇をそっと撫で、
「自分もこのような姿にされるのでは……と。わたくしが恐ろしく、気味が悪くはないですか」
細やかに震える、問う睫毛。
怯えの濃い頬は、いつもよりも青みがかっているように見える。
(そっか、エラは"怖い"んだ)
だから、"怯えないで"と。
理解した私は「エラ様」と、できるだけ優しい声色で呼ぶ。
「お嫌でなければ、もう一度、お手に触れてもよろしいですか?」
「……ティナさえ、よければ」
ためらいがちに頷いたのを確認して、私はエラの掌をもう一度包み込んだ。
冷たい指先。少しでも温まってくれればいいけれど。
「エラ様は、私の手が恐ろしいですか?」
「いいえ。ティナの手を恐れる理由が、わたくしにはありません。……わたくしとは違い、人を害することのない手ですから」
「そうでしょうか? 確かに私にはエラ様のような魔力はありませんが、このままエラ様の首元へと手を伸ばして、息が出来ぬよう締め上げることだって出来ます。それこそ用意されたナイフを持てば、その刃をエラ様に突き立てることだって」
「! それは、誰もが持つ可能性のひとつに過ぎません。ティナはそのようなことをする人ではないと、わたくしは良く知って――」
「同じです、エラ様」
え、と。エラが虚を突かれたような声を出す。
「エラ様のその魔力も、人を傷つける"可能性"のひとつに過ぎません。そしてその可能性が誰かに向くことはないと、私はエラ様のお優しさを良く存じ上げています。ですからちっとも恐ろしくなんてありませんよ? ましてや、気味が悪いだなんて。むしろ、私としては窮地を打破してくださった、限りなく希望に満ち溢れた魔力です!」
ありがとうございます、エラ様!
心からの感謝を込めて微笑むと、エラはやっと頬を緩めた。
青い瞳が、湖水のごとく潤む。
「お礼を申し上げるべきは、わたくしの方です。……やはりわたくしには、ティナが」
ぐっと顎を引き上げたエラが、心底嬉し気に微笑んだ。
「どうかこれからも、わたくしと共にいてください、ティナ。わたくしは心から、ティナを好いております」
「私もエラ様のこと、心から大好きにございます! 私のほうこそ、これからも仲良くしてくださいますと嬉しいです」
笑みを返すと、エラが小さくなにかを呟いた。
「……今は、それで」
「エラ様、なんでしょう?」
「ふふ、ティナの愛らしさを独り占めしていただけにございます」
「愛らし……?」
私にそんな要素があるとは思えないけれど……。
でも今日は素敵なドレスに渾身のメイクアップと盛りだくさんだし、どれかがエラの趣味に合ったのかな。
「さあ、お紅茶を淹れなおしましょう。採寸で疲れているというのに、ごめんなさいティナ。お菓子もたくさん食べてくださいね」
和やかなお茶会の再開。
私は「ありがとうございます、エラ様!」とさっそく、マカロンに手を伸ばす。
エラがぽつりぽつりと話してくれた経緯によると、この水分の蒸発魔法はつい最近、家庭教師の先生が教えてくれたという。
簡単に扱ってみせたエラに、先生は怯えの色を隠しきれない様子で、
「この魔法については、ご両親も含め決して他に告げないほうがよろしいかと。特に、ご婚約者様であらせられるヴィセルフ様には。あまりに恐ろしく、気味の悪い魔法ですから。そしてその畏怖の目は、きっとエラ様にも向けられることでしょう」
そうしてエラは、この魔法については他言しないでいようと決めたらしい。
けれども私が困り果てている様子を見て心が痛み、意を決して話してくれたのだという。
はあ~~、もう、感謝に拝んでしまうよねそんなの……!
「それにしても、そんなに嫌がるのなら、どうしてその先生はエラ様にこの魔法を教えてくださったのでしょうね?」
「わたくしが何度も頼んだのです。いざという時にまとまった水が近くに無くとも相手と渡り合える、戦力に特化した魔法を教えてほしいと。先生も初めは"エラ様には必要ありません"の一点張りだったのですが、わたくしがあまりにしつこいので、根負けされたのでしょうね」
エラはそう言ってクスクスと笑うけれど、私にはますます疑問が浮かんだ。
「それは、護身の為にという意味ですか?」
私の知るエラは、ゲームにしろこの世界にしろ、好戦的な性格とは言えない。
むしろ他者との無用な争いは避ける性格だ。
なのに急に、"戦力に特化した魔法が知りたい"だなんて……。
(私が知らないだけで、やっぱりゲームみたいに嫌がらせを受けてたり……?)
するとエラは、少しだけ恥じるように目尻を赤くしながらも、穏やかな唇で微笑んだ。
「わたくしにも、守りたいモノが出来ましたので」
(それってもしかしてもしかすると、ヴィセルフだったり婚約者の立場だったりとかそういう……っ!?)
「ですのでティナが、この魔法を"希望に満ち溢れた魔力"と受け入れてくださって、本当に安心しました」
そうだよねえ。
せっかく守るために手に入れた魔力なのに、それを否定されては、寂しいものがあるよなあ……。
(うん。ヴィセルフもきっとエラの覚悟を知れば、むしろもっと惚れ直すはず……!)
とはいえ急に目の前で悪党をしおしおにしては、いくらヴィセルフとはいえ衝撃を受ける可能性はゼロではない。
それにそもそもとして、私は今すぐにでも、このエラの魔法に助けてもらいたい……!
(ともかくこの魔力は素晴らしいモノなんだって、ヴィセルフにも知ってもらわないと……!)
「エラ様。差し支えなければ花の乾燥についていくつかご相談があるのですけど、よろしいですか?」
「ええ、なんでもおっしゃってください。ティナの為とあらば、知り得る全てをお話いたします」
そう言って紅茶を注いでくれる顔は晴れやかで、私はその温かな姿にエラの幸せな未来を重ねて目を細めた。
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