第63話第二王子としての画策は

 闇夜に輝く月光に導かれるようにして、窓を開ける。

 自国ならば、しっとりと揺蕩う海のさざ波が迎えてくれるものだが、沿岸部から離れた位置に座するこの王城では、乾いた草花の誘いが強い。


 もともと二国間で、自分の遊学話が出ていたのは知っていた。

 とはいえ衝動的に滞在を早めてしまったわけだが……まあ、心配することはないだろう。

 なぜなら国には兄上がいる。

 民に愛され、聡明で、心優しい婚約者と並び立つ未来の国王が。


 僕ひとりが居なくなったところで、あの国は揺るがない。

 コツリ、と。扉を叩く音に、僕は振り返り口角を吊り上げた。


「驚きました。本当に訪ねてくるとは」


「……テメエとは話をつける必要があるっつったろ」


 扉に背を預けたヴィセルフが、不機嫌に眉根を寄せる。

 ヴィセルフ・ノーティス。

 ここ、緑と精霊に愛されたラッセルフォード王国における、たった一人の王子。


 常に民に心を寄せ勤勉な兄とは真逆の、傲慢で我儘な王位継承者。

 どんなに知性が足りなかろうと、どんなに周囲からの信頼を踏みにじろうとも。

 この国における唯一というだけで王座が約束され、生まれながらにして全てを手に入れた男。


(……ああ、腹立たしい)


 同じ立場だというのに、兄上にはこれっぽっちも疎ましさを感じないのは、兄上があまりに"王位継承者"として完璧だからだろう。

 幼い頃から弟である僕にも、優しくて、厳しくて。

 誰よりも一番、自分を律する人だった。


 僕は兄上が大好きだし、兄上も僕を大切にしてくれる。

 ある日突然、海を越えた先から半ば身売り同然にやってきた異国の姫君も、兄上は自分の"婚約者"として丁重にもてなした。

 結果として今では互いに愛し合い、当初は難色を示していた貴族をはじめとする国民にも受け入れられている。


 兄上はいわば、あの国の心臓だ。

 兄上以外が王を名乗る未来など、誰も望まないだろう。

 それは僕も同じこと。だから僕は兄上の手となり足となることを決めた。


 民の平穏の為にも、国の中心部に在らねばならない兄上の代わりに、内外へと飛び回る。

 それが兄上の弟であり、第二王子として生を受けた自分の役割だと思った。


 不満はない。

 王城の外での暮らしは見知らぬ自由を感じれるし、他国で触れる目新しい文化は、いつだって僕の心を弾ませた。

 王座にも興味はない。

 必要とあらば持ち前の顔面と甘言を駆使し、利となる他国の王女を射止め海を渡り、国の更なる発展に貢献する覚悟だった。

 けれども丸く柔らかだった頬が大人の面差しを帯びるにつれ、僕の周囲に影が射した。


「我々がこの命を捧げ仕えるのは、レイナス様。貴方様のみにございます」


「見聞の広いレイナス様こそ、我が国を率いるに相応しいお方だ!」


「レイナス様がお望みとあらば、我々はいつでも盾となり剣となりましょう」


(どうして、分かってくれないんだ)


 僕が望むのは、兄上が導く平和で穏やかな未来。

 なのに何度そう示そうとも、まるで裏切りが正しい道かのように囁く、薄汚れた貴族たち。

 僕が気付かないとでも思っているのか。その胸にあるのは僕への忠誠ではなく、若くて優秀な兄上への嫉妬だ。


(なんて醜い)


 彼らを処分するのは簡単だ。だが兄上は、争いを好まない。

 だから大事にはせず、穏便に済ませているのだが……。

 きっと愚かな彼らは、そんな僕の忠義に即した配慮すら、腹の内では謀反の計画を企てているのだろうと、都合良く捉えているのだろう。


(いっそ早々に国を出るべきか)


 第二王子である僕が一番に成すべきは、兄上を守ること。それが僕の存在意義。

 自分の存在が兄上の立場を脅かすことになるのなら、僕がいなくなるべきだ。

 そう、思っていたのだが。

 事情が変わったのは、"国賓"扱いだった異国の姫君が、兄上との仲を深めてから。


「レイナス。私は彼女を正式な"婚約者"として、宣言しようと思う」


「! それは、兄上の正妃として……ですか?」


「ああ。彼女が帰国を望むのなら、折を見て帰そうと思ってた。だがどうにも彼女にとって、あまり過ごしやすい環境とは言えないようでな……。彼女は私とは違った視点での意見を持っているし、香辛料や石の知識にも長けている。何よりも、この国を美しいと言ってくれた。私は彼女と共にこの国を、民を、慈しんでいきたい」


 力を貸してくれないか、と。兄上は静かに頭を下げた。


「兄上っ!? 僕に頭を下げるなどいけませ――」


「この度の婚姻における、貴族たちの反発は避けられないだろう。彼女はあまりに"後ろ盾"がない。だがそれでも……私は彼女をこのまま手放したくはないんだ。頼む、レイナス。不甲斐ない兄の肩を支えてはくれないだろうか。共に彼女を、守ってほしい」


 こうして僕の国外退去計画は、あっさりと頓挫した。

 次期国王の妃となる義姉上が味方を増やし、ひとりでも王城を支えるまでになるまでは、"第二王子"の肩書が必要不可欠だ。


 さて、どうしたものか。


 おそらく僕が"用済み"となるのは、新たな王子。すなわち兄上と義姉上の子が生まれ、その子が王座を継げるまでに成長した時だろう。

 それから他国の姫君と?

 いいや、さすがに無理だ。それまで"空いている"姫君など存在しない。

 王族とは、そういうものだからだ。無論、僕も例外なく。

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