第60話判のインクを作りたいのです!
「ああ、とはいえ、僕の有する石はどちらもそれなりに強力なモノですよ。国では十の指のうちに入ります」
付け加えるようにしてあっけらかんと告げたレイナスは、石に顔を寄せ、ふっと息を吹きかける。
それから「ふむ……」と視線を上げ、
「簡易的ですが、掘り出してみました。見て頂いてもいいですか?」
「え!? もうですか!?」
は、早い……っ! と驚愕に喉を引きつらせた私の掌に、そっと石が乗せられる。
指先で慎重に摘まみ上げた私は、その彫られた表面の出来栄えに「わあ……っ!」と目を輝かせ、
「すごいです、レイナス様……っ! これが"簡易的"なのですか!?」
彫られていたのは、王冠を花弁にかけた一本の薔薇の花。
どうやらヴィセルフが街で"花飾りの王子"と呼ばれているらしいとダンに教えてもらった際に、この二つを掛け合わせようと決めたのだ。
「細かな部分はかなり省略してしまいましたから。専門の職人ならば、もっとティナ嬢のデッサン通りに彫り上げてくれるはずです」
濡れタオルで手を拭いたレイナスが、「優美ながらも高貴な、華々しいデザインですね」と共に用意しておいた紅茶で喉を潤す。
目的は果たした。本当ならば、このまま部屋を去るのが一番なんだろうけれども……。
(うう、ここから部屋に戻るには時間がかかるし……!)
簡易的というには繊細な彫りを存分に堪能した私は、いてもたってもいられずに、
「あの……レイナス様。ここで判を試させて頂いてもよろしいでしょうか?」
「僕は構いませんよ。ええと、インクを用意したら良いですか?」
「あ、いえ。実は少し、試してみたいことがありまして。不要な紙だけ頂いてもよろしいでしょうか?」
立ち上がったレイナスが、執務机の引き出しから紙を数枚持ってきてくれる。
私はその間に、ポケットに忍ばせていた小瓶とはぎれを取り出した。
「それは? 赤に近い……ピンクを混ぜたような色をしていますが。インクでは見ない色ですね」
「これはインクではなく、薔薇の花びらをすり潰して作った色水になります」
「薔薇の花びらを?」
「はい。枯れかけた薔薇の花びらを摘み取って、少量のぬるま湯と酢と共にすり鉢で擦ります。そうすると、このように色づいた"色水"が採れるのです」
思い起こすのは前世での幼少期。
摘み取った花を水と一緒にビニール袋で揉みだして、プラコップに何色も並べてはジュース屋さんごっこをした日々だ。
今回作ってみたのは、その応用版。
小瓶の蓋を開け、零さないようゆっくりと傾けながら、折り畳んだはぎれに含ませる。
色を吸い込んだ部分を判にポンポンと押しつけて、いざと紙に押し付けた。
じわりと紙が色を帯びる。
慎重に石を上げると、そこに出来たのは――。
「あー……、上手くいきませんでしたね……」
やはり"水"なのだろう。
せっかくの彫りをいかせないまま、色は紙の繊維を伝って空白すら色付けてしまう。
「……これでは何のシンボルなのか、よくわからなくなってしまいますね」
手元を覗き込んだレイナスが、「色はとても美しいのですが」と思案するように顎先に指を寄せる。
「やはりインクを使うべきなのでしょうが……。この様子ですと、インクでも似た結果を辿りそうな気もしますね」
「そう、なんですよね……。うーん……」
(これでもけっこう濃く出したんだけどなあ……)
私は小瓶に残る色水を軽く回しながら、
「煮詰めて水分飛ばしたら、もう少し硬くなるかなあ……。とろみ……片栗粉? ううん、それじゃ乾くのに時間がかかっちゃうだろうし……」
ああ! 前世でもっと硬いインクの作り方とか、朱肉の成分とか調べておくんだった……!
「……ティナ嬢は」
「はい?」
「どうしてそこまで、その"色水"とやらにこだわるのですか?」
「あ、いえ。絶対にこれを使いたい! というわけではないのですが」
ただ、と。
私は暖炉上に飾られていた花々へと視線を流し、
「こうして飾られる花は、僅かでも枯れてしまえば価値を失います。王城では大量の花が飾られているぶん、廃棄も早くて。近頃は街でも花の消費が増えていると聞きますし、インク代わりになれば、新たな活用法が見出せるのではと思ったのですが……」
手間やコストの部分を考えるにしろ、それは使いモノになっていることが前提だ。
もう少し改良方法を考えないと。
「ありがとうございました、レイナス様。突然のお願いにもかかわらず、快く受け入れてくださって助かり――」
「これは、あくまでひとつの例にすぎないのですが」
レイナスの窺うような視線が向く。
「ティナ嬢は、油絵具の作り方をご存じですか?」
「え……と。申し訳ありません。主成分に砕いた宝石や土が使用されているという程度しか……」
「その通りです。そうした色の主成分となる顔料を細かく砕き、とある成分と共に練り上げるのです」
「! その、とある成分というのはもしかして」
「お察しの通り、油です。僕も大まかな知識しかありませんが、確か今はケシやクルミなどから採取した固化の性質をもつものに、ラベンダーや樹木などから採取した油を混ぜて、粘度や乾燥性などの調整を行っていたかと記憶しています」
ですが、と。
レイナスは再び色水の滲んだ紙へと視線を落とし、
「水と油は混ざりません。ですのでやはり、この"色水"の粘度を上げるというのは難しい話なのですが……」
「感謝いたします! レイナス様!」
私は湧き上がる興奮のまま立ち上がり、
「油とまぜた油絵具……! その発想はありませんでした……っ! なんといいますか、こう、インクの印象から色のついた水を作れればと思うばかりで……!」
考えてみれば、ペンにつけて使うサラリとした質感のインクよりも、ぺったりとした油絵具の方が判子には向いているような気がする。
そうか、油絵具! ぜんっぜん気が付かなかった……!
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