第58話図書室イベント発生にございます……?

(これってもしかして学園入学後にエラとレイナスが図書室で出会ったら、こうやってイベント発生しちゃうってこと……?)


 なんてこった。ヒロインと発生する本取りお助けイベントなんて、好感度ギャンアゲ待ったなしじゃん……っ!

 内心で頭を抱えながら、「手伝いますよ」と数冊を持ってくれたレイナスと並んで席に向かう。


「それにしても、フローレンス・ニプサの画集とは……。ティナ嬢もお好きなんですか?」


「へ? あ、いえ。背表紙の緑と細やかな装飾に惹かれまして……。あの、レイナス様はこの方をご存知なのですか?」


「ええ。彼は我が国にいましたから」


「いましたってことは……今はどちらに?」


「亡くなりました。もう十数年も前ですね」


「そう、でしたか……」


 言葉に迷う私からそっと視線を外したレイナスは、柔らかな口調で「懐かしいですね」と机上で画集を開いた。

 刹那、飛び込んできた世界に、私は思わず「わあ……」と感嘆の声を漏らす。


 朝焼けとも夕陽とも思える橙色の空を泳ぐ、真っ白な翼を広げた獅子や魚たち。

 よく見れば空の奥には星々が瞬いていて、なんとも幻想的な、それでいて優しい気持ちを湧き上がらせる、そんな絵だ。


「綺麗……」


「彼が描くのは、こうして現実と空想を織り交ぜた作品ばかりでして。そのために画家としての評価は、現在に至るまであまり高くありません」


「え? こんなに美しい絵なのにですか?」


「いくら美しくとも、彼の絵は"子供向け"だと。肖像画でも風景画でも、大多数の求める"画家"としての作品も描いていれば、もう少し変わっていたのではないかと思うのですがね。現に彼のもとで学んだ……ああ、ちょうどそこに積まれている、ターヤという者ですね。彼はまだ存命ですが、今も"画家"としてそれなりに裕福な暮らしを家族に提供しているようですから」


 示された一冊は、先ほど既に目を通していた画集だ。

 思い返してみれば確かに、この中には貴族と思われる紳士淑女の肖像画や、海で遊ぶ子供など"現実的な"絵がほとんど。

 強いて言えば、色の塗り方が似通っているような気もするけど……。

 それでも、レイナスの話を聞いていなければ、この二人が師弟関係にあるとは気づけなかった。


「これはフローレンスが最初に取りまとめた画集のひとつですね……。まさかまた、それもこんな他国の書庫で出会うとは」


 ゆっくりとページをめくりながら、懐かし気に細む目。


(そういえばレイナスって、美術品や工芸品の知識に長けてるって設定があったような)


 だから上げるべきステータスが"美"に関連する項目で、攻略成功後のストーリーでも、その審美眼を武器に貿易を成功させていったはず。

 てっきり"王子キャラ"という特性上、美術芸術に微塵も興味のないヴィセルフとの対比なのかと思っていたけれど。


(この顔は、そうじゃなくて)


「レイナス様は、その方の作品が本当にお好きなのですね」


「え?」


 少し狼狽えたような眼を向けたレイナスは、即座にやんわりと苦笑を浮かべ、


「僕もまた、幼少期に好んだというだけですよ。十を超える前に書庫へ送りました」


「……もしかして、それがレイナス様の国では通例なのですか? フローレンスの絵を十を過ぎても好むようでは、"子供"だと周囲から嘲笑を?」


「それは……」


 戸惑ったように言い淀んだレイナスに、私はなるほどと確信を覚えつつ、


「ならば私はますます、レイナス様と共にカグラニア王国に向かえる身ではありませんね。だって私はとっくに十を超えているというのに、彼の絵に見惚れてしまいますし、更には自室にぬいぐるみまで飾っておりますから」


「ぬ、ぬいぐるみを……ですか?」


「はい。子供のようですよね。でも……分かっていても、改める気はありません。自分の心は偽れませんので」


「…………」


「あ、申し訳ありません! 生意気なことを。レイナス様は私とは違って、周囲からの目やお立場がありますのに……。けれど」


 私はそっと、小さな願いを込めて、レイナスの開いたページに触れる。


「せめてこの国にご滞在の間だけでも、存分に堪能できますように。せっかく巡り合えた自分の"好き"を否定するのは、なかなか心の痛む行為でしょうから」


 自身の叫びに耳を塞いで、"正しい大人"になろうとしていた前世の記憶がふと過る。

 思えばわずかな隙間時間を費やしてまでこのゲームを続けていたのは、そんなままならない自分への、最後の抵抗だったのかもしれない。


「あ、よろしければその画集はレイナス様が――」


「ティナ嬢」


 画集に触れていた手に、別の温度が重なった。

 あ、と思った刹那、レイナスは私の手を握りこめるようにして引き上げ、


「なにか、僕に手伝えることはありませんか。どんな小さなことでもいいんです」


「え……と」


 常ならば即座に断るであろう内容に逡巡してしまったのは、私を見つめるその目が、いつもの余裕綽々よゆうしゃくしゃくな彼とはまるで違ったから。

 例えるなら、そう。迷子になった少年のような――。


「……レイナス様」


 名前を呼ぶと、不安気に肩が揺れた。

 あまりに素直な反応に小さく笑みを漏らしてしまった私は、彼を安心させるようとしっかり見つめ返し、


「ならば一つ、お手を借りたいことがございます」

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