第45話俺が主の画策に乗るのは

「ヴィセルフ、入るぞ」


 まだ彼女の掌の小ささが忘れられない右手を握りこめ、軽いノックの後に扉を開ける。

 途端に執務机から、不機嫌そうな鋭い視線が飛んできた。

 俺は軽く肩を竦めて、目的のモノを掲げてみせる。


「見つかったぞ。ヴィセルフのシーリングスタンプ」


「! 早く寄こせ」


 待ちきれないといった様子で立ち上がったヴィセルフに、俺は苦笑交じりに歩を進めた。

 スタンプを差し出した指先から、ヴィセルフが奪うようにして受け取る。

 それからガタガタと引出しを開き、取り出したのは赤い蝋。机の隅に置かれた封筒を引き寄せ、ふと瞳を伏せて蝋に火を灯す。


 溶け落ちた蝋が招待状に楕円を象るのを待って、ヴィセルフはシーリングスタンプを押し付けた。

 そっと外されたそこに刻まれた刻印は、スタンプと同じ王家の紋章。


「……なんとか間に合ったか」


 思わず、といった風な安堵の呟きは、聞こえなかったフリを貫く。下手に拾っては機嫌を悪くするからだ。

 と、ヴィセルフは封筒から俺へと視線を移し、


「お前にしては時間がかかったじゃねえか」


「悪いな。なんせちょうど巣替えの時期だ。巣を見つけるにも手間取ってな。本当、ティナのお陰で助かった」


「……なに?」


「そのスタンプを取り戻すのに、ティナが協力してくれたんだ。ああ、そうだ。新作のお菓子も試食させてもらってな。また改良するって言ってたけど、完成が楽しみで――」


「待て。なんでお前が、ティナと一緒にいるんだ」


 前のめり気味に尋ねるヴィセルフ。

 声から察するに、これは質問というより尋問だ。


(まあ、そうなるよな)


 俺は湧き上がる苦笑を噛み殺しつつ、なんてことない笑顔を浮かべ、


「たまたまティナも、ヒイヨドリにお菓子を盗られて困ってたんだ。偶然ってやつだな」


「…………菓子は」


「その流れで、な。何か問題があったか?」


「…………いや」


 俺がティナから菓子を貰う行為に、なんら問題はない。あるはずもない。

 けれどもヴィセルフの、"ティナの特別でありたい"という想いが、俺に"一番"を取られた悔しさを生じさせているのだろう。


(相変わらず分かりやすいな、ヴィセルフは)


 従者という立場から言えば、これほど有り難いことはない。

 常にニコニコと人当たりが良くも、その腹でどんな算段を立てているのかわらかない主ほど、扱い難いものはないからだ。


「ティナといえば、その招待状は彼女に渡すのか?」


 良くも悪くも理性よりも感情が先んでる主がへそを曲げる前にと、話題の転換を図る。

 途端、ヴィセルフは虚を突かれたように顔を上げ、


「おま、ティナに」


「まさか。俺から言うはずないだろ」


「なら、なんだ。アイツは呼ぶに相応しい身分じゃないって言いてえのか。……いいか。お前がどれだけ反対しようと、俺は絶対に――」


「いいや? 反対なんてしないさ。でもそうだな。ヴィセルフの言う通り、どこかでティナの身分は突かれる可能性が高いな……。そうだ、ここはお茶会のお菓子の監修という名目を与えておくのはどうだ? 実際、料理長のリストもヴィセルフのリストも、ティナが関わったお菓子が多いし」


 同意を求めるようにしてヴィセルフを見遣ると、彼の表情はどこかポカンとしている。

 どうかしたか? と小首を傾げた俺に、ヴィセルフは訝しげに眉根を寄せ、


「お前……ティナと何かあったのか?」


「ん?」


「いや、お前がこんなにもティナの参加に前向きだなんて……おかしいだろ」


 おかしい、ときたか。

 まあ確かに、次期国王主催のお茶会に呼ぶには、後ろ盾も功績もなさすぎる。


(相手がティナじゃなければ、もう少し食い下がってでも止めただろうな)


 けれども裏を返せば、彼女ひとり増えたとて、お茶会に大きな支障はないということだ。


「このお茶会の主催者はヴィセルフだ。そのヴィセルフが自ら招待したいというんだから、最大限に尊重するさ。それに、ティナはエラ嬢の好みも把握しているだろ? 俺としても、ティナがお茶会にいてくれると心強いからな」


(それに、着飾ったティナの姿も見てみたいしな)


 そんな本音はきっちりと笑顔で隠して、俺はわざとらしく「それとも、反対してほしかったのか?」とお伺いを立てる。

 もちろん、ヴィセルフは「ちげえ」と即座に否定するわけで。

 未だ懐疑的な目を向けてくるも、大方は納得したらしいヴィセルフは、


「……お前がそんなにティナをかってるとは、知らなかった」


 さて、察しの悪い主人は、俺に芽吹いた新たな種にどこまで気づいているのだろうか。

 俺は噴き出しそうになるのを耐えながら、


「そうか? ティナはかなり優秀だからな。なんなら俺付きにしてほしいくらいだ」


「な……っ!!」


 ヴィセルフは分かりやすい焦燥を浮かべ、


「絶対に許さねえからな! ティナは俺のだ!」

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