第41話従者騎士としての役割は

「――ダン様。ダン・アデリック様!」


 呼び止める必死な声に、俺は歩を止め振り返る。

 駆け寄ってきたのは小奇麗なジャケットを纏った、妙齢の紳士。

 馴染みの深い、帝王学の教師だ。

 気付くと同時に要件を悟った俺は、またかと苦笑を零した。


「ヴィセルフ様が気分ではないとおっしゃって、お部屋にお戻りに……!」


 ああ、やっぱりな。

 ヴィセルフが何かと理由をつけて講義から逃げるのは、昔からよくあることだ。


(とはいっても、最近は熱心だったんだけどな)


 何か心境の変化があったようで、近頃のヴィセルフは至って真面目に、なんなら進んで勉学に励んでいた。

 以前から少しずつその傾向が見え隠れしていたものの、特に先日――俺に黙って街に出ていたあの日を境に、顕著になった。


 理由は分からずとも、想像はつく。

 なぜならあの日、ヴィセルフが唯一連れ立ったのは、あの彼女なのだから。


「分かった。様子を見てくるな」


「お願い致します、ダン様」


 頭を下げた彼は、あからさまにほっとした顔をした。

 それもそうだ。これで彼の仕事はほぼ終わり。

 ここから先は、ヴィセルフの従者騎士である俺の仕事になったのだから。


 俺の生まれたアデリック家は、代々王族の従者騎士を務めている。

 祖父は前国王に。父は現国王に。

 そんなアデリック家の長男として生まれた俺もまた、この世に生を受けたその瞬間から、次期国王の従者騎士となる運命が決まっていた。


 そして幸か不幸か、一年後に王子が誕生した。


 一つ年下の王子はそれはそれは自我が強く、唯一の世継ぎであったことも重なり、父王ですら制御が困難なほど我儘に育っていった。

 講義から逃げるのは日常茶飯事。酷い時は相手のある予定ですら、簡単に無下にする。

 そうしたヴィセルフの自由奔放さによって生じた歪みを埋め合わせるのも、俺の役目だ。


 なぜなら俺は従者騎士。

 ありとあらゆる障害からヴィセルフを守る盾であり、彼を害する者は排除する、剣である。


 正直なところ、ヴィセルフ個人に思うところはあれど、"従者騎士"という役目に不満はなかった。

 不満を抱く、という選択肢すら存在しなかった、というべきか。


 華やかな紳士淑女が行き交う王都ですら、その日一日の食糧に飢えた者がパンの欠片を探している。

 俺が口にしているのは、ヴィセルフと同じ、この国一番の美食。

 毒見を兼ねているとはいえ、実際に毒が入っていた試しなどない。


 王城にて与えられている部屋は言わずもがな。

 一家の屋敷も立派だし、可愛い弟や妹たちも、職や結婚相手に苦労することはないだろう。


 つまり俺は、圧倒的に恵まれている。

 そしてその恵みをもたらしているのは、間違いなく"従者騎士"という役割なのだ。


(他の誰にも、"従者騎士"を取られたらいけない)


 家系とはいえ、必ずしも俺が従者騎士であり続けられるという保証はない。

 ましてや仕える相手はヴィセルフだ。彼の気分ひとつで、簡単にこの首は飛ぶ。

 だからこそ俺は、完璧な"従者騎士"を目指した。


 ヴィセルフからは「敵意のない、丁度いい後片付け役」としての信頼を。

 周囲からは、「人当たりが良く泣きつきやすい、ヴィセルフに適任のお守り役」との評価を。


 コツコツと誠実な努力を積み重ね、今やこの王城では、国王ですらヴィセルフに関しては俺を頼るようになっていた。

 ヴィセルフには俺がいなくては。

 それが王城における"当然"であり、"暗黙のルール"。


 これで安泰。

 きっと俺はヴィセルフか俺かが死ぬまで、一生、こうして"従者騎士"として駆けまわる人生を送るのだと思っていた。


 ――彼女が現れるまでは。


 ティナ・ハローズ。平凡で特出すべき点のない、行儀見習いの伯爵令嬢。

 いや、少し違うか。

 思えば彼女のその奇特さは、"社交嫌い"のヴィセルフをパーティーに送り出した時から顕著だった。


 彼女は俺を、一切頼らなかったのだ。


 それも一度きりではない。

 ティナは俺の手を一切借りずに、気づけばヴィセルフの一番近くにいた。


 調べたところ、王家やヴィセルフに悪意を持っている背景はない。

 だからと好きにさせていたが、気づけばあのヴィセルフが……それどころか、エラ嬢までティナにご執心になっていた。


(あの平凡な彼女の、どこにそんな固執する理由が……?)


 確かに珍しい菓子を知っているようだが、作っているのは王城の料理人だ。彼女じゃない。

 そもそもヴィセルフは昔から菓子にはあまり関心がないし、かといってエラ嬢とのお茶会に出ているのは、明らかにティナ関連に見えるし……。


 うっすらとした疑念を胸中で飼い続けていた、ある日の出来事だ。

 ヴィセルフが俺に黙って、街に出た。


「ヴィセルフ! 街に出るのは構わないが、一人で出るなんて……!」


「一人じゃねえ。ティナもいた」


「彼女は侍女だ。ヴィセルフを守る訓練なんて――」


「うっせえ、んなことは知っている。だからバレねえような恰好で行ったんだ。だいたい、そんじょそこらのゴロツキに俺サマが負けるわけねえだろーが」


「そうだとしても、ヴィセルフに何かあったら……!」


「ダン」


 強く不機嫌な声に、俺は押し黙る。

 と、ヴィセルフは目尻をさらにすっと吊り上げ、


「お前は俺に指図できる立場か?」


「……そういう、つもりじゃ」

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