第31話わたくしを照らしてくれたひと
心を知ったこの日から、わたくしは王家への訪問を増やした。
理由はただひとつ。ティナに会うため。
わたくしに"心"があるなど夢にも思っていないお父様とお母様は、当然、ヴィセルフ様に会いに行っているのだと信じて疑わず。
二人の時間を重ねるのは良いことだ、と。王城通いを許し、歓迎していた。
温室でのお茶会を担当してくれると約束してくれたティナは、言葉通り、必ず笑顔で迎えいれてくれた。
「エラ様! 本日もお越しいただき、ありがとうございます!」
机上に乗るのは、決まって"おかしな"お菓子。紅茶ひとつとっても、ティナの心遣いが込められている。
――"ブライトン"ではなく、わたくしへの純粋な気遣いか。"
そして、なによりも。
「……もしかしてエラ様、アイスがお好きだったりします? あ、やっぱりそうでございましたか!」
「エラ様は、本当にお優しい心を持っていらっしゃるのですね……!」
「あ……っ、いえ、申し訳ありません……! その、エラ様の笑顔が、あんまりにもお可愛らしかったもので……つい、ぽやっと……!」
その顔を彩る率直な表情の、なんとも温かく、愛らしいこと。
色の柔らかな唇から発される音もまた、どんな音楽よりもわたくしの心を躍らせた。
――エラ、と。
彼女がわたくしの名を呼んでくれるたびに、心地よいような、くすぐったいような胸の疼きを覚え。
"エラ"という名が、やっと、"わたくし"の名になった。
温室でのひと時が、かけがえのない唯一無二のひと時となって、そう経たずの時。
お茶会に、ヴィセルフ様が現れた。
「ヴィ、セルフ様……」
戸惑うわたくしに「フン」と鼻を鳴らし、椅子へと腰かけたままのヴィセルフ様が言う。
「これは俺とお前の"お茶会"だろ」
そう、だった。
この温室は、ヴィセルフ様のモノ。ティナとのひと時を覆うのは、ガラスの壁。
忘れていたわけではない。わたくしの立場を考えれば、喜ぶべきなのも理解できている。
なのに。
理性とは裏腹に、胸中には靄がかかってしまう。
いけないのに。"婚約者"として、"ブライトン家"として。
この機会に少しでも、ヴィセルフ様に好いてもらわなければならないのに。
静かな葛藤を抱えながらの、沈黙のお茶会。
ヴィセルフ様はといえば、わたくしに会いに来たというには、あまりの顰め面。そればかりか、視線すら交わらない。
(ヴィセルフ様はどうして、急にお出でくださったのでしょう……)
その答えには、そう経たずして気が付いた。
わたくしを映さぬその双眸は、彼女を――ティナを追っていた。
意識的か、無意識なのか。おそらく後者だろうと感じたのは、その眼差しが、覚えのある熱をはらんでいたから。
――ヴィセルフ様は、わたくしと同じ。
ティナという心温かな光に惹かれ、焦がれている。
ティナが"緑の魔力"、それも、花を咲かせ長持ちさせる魔力の持ち主と知り、わたくしは確信をいっそう深めた。
ヴィセルフ様の胸に飾られていた花々は、ティナが咲かせ付けたもの。
ティナに付けられた花だから。その魔力が込められた花だったから、色がなんであれ、許容していた。
(……ヴィセルフ様は、わたくしに会いにお茶会に出てこられたのではない。わたくしとティナが二人の時間を過ごさぬようにと……)
ヴィセルフ様がティナへと心を寄せている。
胸中に過ったのは、確かな焦り。
わたくしに課せられた、"婚約者"の座を失う予感からの焦燥ではない。
このままでは、そう遠くない未来。
嬉し気にわたくしを映していたティナの瞳は、特別な熱をもって、ヴィセルフ様ただ一人だけに向いてしまうのでは――と。
(……嫌、です)
そう。この暗く沈み行くような感覚は、"嫌"という感情。
ましてや相手はあのヴィセルフ様。
ティナの心が彼に向かなくても、その権力を、"男"という性を使えばいくらでも彼女を奪える。
(そんなこと……)
今はまだ、ティナにはヴィセルフ様の心内は伝わっていないよう。
それならば。
ヴィセルフ様よりも先に、わたくしがティナに好かれれば。
(ふふ。わたくしにも、なにかを譲りたくないと思う気持ちがあったのですね)
何かに執着したのは、おそらく初めて。
ティナは初めて会ったその時からいつだって、わたくしすら気遣かぬままの"わたくし"を教えてくれる。
誰にも侵されない、彼女にとって特別な唯一が許されるのなら……と。
"ブライトン"を捨てるという、一見愚かな考えが浮かんだのも、ティナが初めて。
「……企み、ですか」
ヴィセルフ様の言葉を受けた呟きに、わたくしを見定めるようにして腕を組むその人が、片眉を跳ね上げる。
以前の……ほんの僅かでも、言葉を交わせたならと望んでいた"エラ・ブライトン"ならば、きっとここで言葉を飲み込んでしまったけれども。
「確かに、わたくしの抱えたこの願望は、ある種の企みなのかもしれません」
「……なに?」
わたくしは垣根の隙間から、温室へと視線を流す。
そこには紛れもない、愛おしい彼女の姿。
「わたくしも、ヴィセルフ様と同じだということにございます」
「!!」
ヴィセルフ様が息を呑む。
視線を戻すと、彼は驚きに見開いた双眸を、きっと吊り上げた。
(罵倒、でしょうか)
けれど、何を言われたところで、わたくしの心は変わらない。
訪れる次を予想して秘かに背を伸ばした刹那、ヴィセルフ様は赤い瞳をぐっと閉じられた。
「……そーゆーことか」
はあーと深いため息。
自身の首後ろへと手を遣り項垂れたヴィセルフ様は、再び強い目つきでわたくしを捉えると、
「アイツは俺が貰う。以上だ。……戻るぞ」
「え……」
困惑する私に背を向けたヴィセルフ様を、「あ、あのっ、ヴィセルフ様……!」と呼び止める。
「なんだ。これ以上お前に用は――」
「わたくしを、お許しくださるのですか」
すると、ヴィセルフ様は億劫そうに眉根を寄せ、
「許すも何も……俺が咎めたら、お前はアイツを諦めるのか?」
「それは……」
わたくしは躊躇いを飲み込んで、キュっと自身の両手を握りこめる。
「いいえ。ヴィセルフ様がなんとおっしゃろうと、わたくしは、わたくしの心に従うまでです」
「だからだ。どうせ無駄になるってのに、何を言えってんだ」
ヴィセルフ様は一瞬、思案したような素振りをしてから、
「……お前は肩書上、俺の"婚約者"だろ。まあ、俺は一度も認めたことはねえが」
「……ええ。わたくしも常々、そのように感じておりました」
「ハッ! そうか。なら話が早え」
ヴィセルフ様は珍しく愉快そうに口角を吊り上げたかと思うと、再び硬い表情に戻り、
「お前がアイツを害するようなら、先に手を打っておこうと思っただけだ。……そうじゃないなら、この場は終いだ。さっさと戻らねえと、またアイツが妙な勘違いをしやがる」
どこか疲れたような声色で、ヴィセルフ様が温室へと視線を流す。
「お前のことは今も昔も気に食わねえが……俺サマの見初めた相手に惚れるたあ、センスは悪くねえみたいだな」
頬の和らいだ、好戦的な笑み。
わたくしには絶対に向かない。けれどもおそらく、それはわたくしもまた。
「ヴィセルフ様は、変わられましたね」
今度こそと温室に戻るべく、歩み出したヴィセルフ様。
その後ろから声をかけると、
「そりゃお前もだろーが」
わたくしはその通りだと小さく笑みを零して、愛おしい彼女の待つ、光溢れる温室へと急いだ。
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