第29話変わらぬお茶会に現れた、ひとりの侍女

 婚約の決まったその日から、お父様とお母様は、いっそうわたくしの教育に力を注ぎ始めた。


『未来の王妃なのだから』


 二人の口癖は変わり、注がれる眼差しには期待と、微かな焦りが見え隠れしていた。

 必ずや、王家に相応しい令嬢に。


 ――ブライトン家の過去にない、"王家との子を成す"という、偉業を成し遂げるため。


 気づけばいつしか、わたくしは自分の心をすっかり胸の奥底に閉じ込めてしまっていた。

 わたくしの気持ちなど必要ない。

 "完璧な淑女"に求められるのは、洗練された美しさ。それと、静かに微笑んで頷くだけの、物分かりの良さ。


 いつしかわたくしは、"令嬢の中の令嬢"と言われるまでになっていた。

 それでも。婚約者であるヴィセルフ様は、いつだって不機嫌だった。


(……この方も、わたくしと同じく"望まぬ婚約"を)


 そうだろうとは思っていた。

 婚姻の話が来るまでに、彼と個人的に言葉を交わした過去はない。

 お父様に連れられていったお茶会で、遠巻きにお姿を拝見したのみ。視線の一つすら、交わしていないのだから。


 それでもわたくしは、より"完璧な淑女"であろうと、さらに自分を律した。

 けして、好いて欲しいと願ったからではない。

 ただ、ほんの少しだけ。

 せめて名を呼んでもらえるくらいには、関心をもっていただけたら……と。


 ――わたくしたちは、いずれ夫婦となり、子を成さなくてはならない。


 それが定められた役割なのだと、互いに知っているのだから。



 数年がたち、いつしか"名ばかりの婚約者"と陰で噂が立ち始めたころ。

 突如、ヴィセルフ様が、わたくしの誘ったパーティの待ち合わせに現れた。

 にわかには信じられない光景。

 わたくしは、とうとう都合の良い幻が見えるようになってしまったのかと困惑した。


「おい、なにをぼさっとしている。さっさと行くぞ」


 ――幻では、ない。

 それに、よくよく見ると、胸に花をお飾りになっている。


「あの、ヴィセルフ様……その、お花は……?」


「あ? お前には関係ねえ」


 相も変わらず、冷たく突き放した言葉。

 けれどもその日のヴィセルフ様は、どこか楽しげで、いつになくご機嫌が良かった。

 そしてその日を境に、ヴィセルフ様は夜会に頻繁に顔を出されるようになられた。

 必ず、胸に花をお飾りになって。


(あの花に、なにか意味が……?)


 つけられている花はいつも、わたくしのドレスや髪や、瞳と似た色をしていた。

 ある時は、ヴィセルフ様を思わせる花と共に。

 わたくしを毛嫌いしているヴィセルフ様がお選びになっているとは、到底、考えられなかった。それでも。

 その色を許しているのは、事実。


(……わたくしを好いてこそいないけれども、婚約者としては、お認めくださったということかしら)


 抱いたのは、淡い期待。

 蜃気楼のようなそれは、即座に消え去る。


 月に一度の、王城で行われるヴィセルフ様とのお茶会。

 義務のように毎月定められるそれに、ヴィセルフ様は一度も、お顔を見せてはくれない。

 それでも。婚約者という立場上、"お茶会をしている"という事実が必要だった。

 だからわたくしは、休むことなく王城に通い、礼儀として一杯のお紅茶を頂いて帰っていた。


(……今回は、もしかしたら)


 徐々に落ち着きつつあるとはいえ、週に一度は必ず、ヴィセルフ様と共に夜会に出席している。

 ヴィセルフ様のご出席をはじめこそ喜んでいた両親は、近頃「ヴィセルフ様は別に懇意のお相手がいるのでは」と、不安を抱えているよう。


 わたくしとしては、ヴィセルフ様の心が何処にあってもかまわないと思っていた。

 口を出せる立場ではないとも。


 王家が欲しがっているのは、わたくしの"血"であり、わたくし自身ではない。

 けれどもだからこそ、例えヴィセルフ様が他の女性を側室に据え置いたとしても、わたくしたちの定めが変わるとは思えなかった。


(だけど、もし……。もし本当に、本日のお茶会にお見えになったなら)


 互いの心を通わせることは出来ずとも。

 わたくしは紛れもない"婚約者"なのだと。やっとのことで、この婚約を是としたい周囲の方々を安心させられるのでは――。


(……なんて。わたくしの甘い夢でしたね)


 期待を抱けば抱いただけ、叶わなかった際に、胸が苦しくなる。

 昔からよく、わかっていたはずなのに。


「……やはり、こちらではお越しいただけないのですね」


 ヴィセルフ様が悪いのではない。

 不相応にも、勝手な願望を抱いてしまった、わたくしのせい。

 人気のない温室の扉から、手元へと視線を戻した。その時だった。


「ヴィ、ヴィセルフ様は、その……っ、本日は、どうにもお腹の調子が良くないようでっ!」


「…………え?」


 響いた声に、わたくしはつられるようにして顔を向けた。

 そこには王城の使用人であることを示すお仕着せに身を包んだ、ひとりの侍女。


 年はわたくしと同じころか、少し下だろうか。

 頬を紅潮させたかと思うと、さっと青ざめ、再び活力ある瞳で頷いたりと、どうにも忙しない。

 まさか言葉が返ってくるとは思わなかった驚きと、その絶え間なく変わり続ける表情に気をとられていると、


「エラ様っ!」


 はしたなくも、思わず肩を跳ね上げてしまった私に、


「よろしければ、こちらをお召し上がりになってみませんか?」


 微かな緊張を漂わせ、机上に置かれたそれは、見たことのない棒状をしたお茶菓子。

 チュロス、という名をしたお菓子だと教えてくれた彼女は、さらにはまだ、ヴィセルフ様にすらお出ししていないお菓子なのだと続けた。


「エラ様とのこんな素敵なお茶会を袖になされるのだから、この国で初めて"チュロス"がテーブルに乗る歴史的瞬間に立ち会えずとも、仕方ありませんよね?」


 茶目っ気たっぷりに指先を立てる彼女に、わたくしは言葉を失った。


(わたくしとのお茶会が、素敵……?)

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