第28話わたくしに求められたのは

「……お前、なんのつもりだ」


 鋭い目尻を更に吊り上げ、歩みを止めたヴィセルフ様がわたくしを振り返る。

 周囲は手入れされた木々や花々が垣根となっていて、少なくとも、ティナがひとり待つ温室からは良く見えていない。


『庭園に出る。来い』


 わたくしとティナが将来の可能性について約束した直後、ヴィセルフ様にそう言われ、こうして庭園に出てきた。


 ヴィセルフ様がわたくしを誘うなど。


 初めての出来事に、わたくしはすぐに、ティナに聞かれたくない話があるのだろうと気が付いた。

 けれども。眼を輝かせ「ふああ!?」と慌てふためいていたティナの様子から察するに、きっと彼女は、ヴィセルフ様が純粋にわたくしを庭園の散歩に誘ったのだと思っているに違いない。

 本当に、晴れやかなほどに心まっすぐで、純粋な人。


「……なにを笑ってやがる」


「いえ、申し訳ありません」


 思考を目の前のヴィセルフ様に戻し、「少々、ティナのことを考えておりました」と正直に述べた。

 途端にヴィセルフ様は、険しい顔をいっそうしかめる。


「ティナは俺の侍女だ」


「正確には、王城の侍女かと」


「っ! ともかく、さっきのアレはなんだ!?」


「アレ、と申しますと?」


「とぼけるな! 俺サマの目の前で貢物なんてしやがったあげく、当家に来ないかだと? ハッ! まあ、無様に断れてざまぁねえが……。一体、何を企んでやがる」


「…………」


 企みなど、そんなもの。

 そう思うものの、口には出来なかったのは、わたくしの胸中が微かな疑念を覚えたから。

 そう。わたくしの"心"は、確かにここに存在している。

 それを教えてくれたのは、紛れもなく――。



 わたくしの生まれたブライトン家は、本来、あの一帯の森を管理する森番でしかなかった。

 狩猟に訪れる王家のため、森を整え案内を行う。

 けれども他と少し違ったのは、あの森には、精霊族が住み着いていたこと。


 当時はまだ、今よりも精霊族がもっと身近だった。

 そのため、精霊族の縄張りを荒らし怒りをかわぬよう、洞察力と慎重さが求められる仕事だった。

 時の森番もまた、王のためにと細心の注意を払い仕事に当たっていた。


 けれども、事件が起きる。


 若き王子が使用人の目を盗み、禁足地である湖に踏み入れてしまったのだ。

 そればかりか、彼は「精霊族の怒り? 私はそんな腑抜けではない!」と。

 傲慢にも、その湖で狩猟に使っていたナイフを洗ってしまったのだ。


 王子の愚行に怒った精霊族の男は、王都に雨を降らせた。

 その雨は一瞬たりとも止まず、十日が過ぎ、さらに十日が過ぎ。

 王都が水に浸かり、作物が枯れはじめ。とうとう王は湖に使者を送った。


「出来ることはなんでもする。どうかこの雨を止めて頂きたい」


 王の伝言を聞いた精霊族の男は、遣いに言った。


「王子の命を差し出すのなら、雨を止めてやろう」


 王都か、王子か。選べぬ天秤に苦悩する王。

 すっかりその髪を白くしてしまった王の元に、ひとりの少女が現れた。


「わたくしが、王子の代わりとなりましょう」


 身代わりを名乗り出た少女は、森番の娘だった。

 一族への莫大な褒美と引き換えに、湖に向かい、自ら飛び込んだ少女。

 精霊族の男はそんな彼女の勇気と献身的な姿に心を打たれ、彼女を水中から救い出し、王家の愚行を許した。


 そして精霊族の男と少女は、恋に落ちた。

 時が流れ、夫婦の誓いを立てた二人に、王は祝福と敬意を表して「公爵」の称号を授けた。

 これが、"公爵家"であるブライトン家のはじまり。

 わたくしには、この"王家を救った少女"と同じ名が付けられている。


「いついかなる時も、誇り高き"ブライトン"の一員であることを忘れるな」


「あなたは、他の令嬢とは違うのです。その身体に流れる血は特別なのだと、よく覚えていなさい」


 幼い時から何度も繰り返された、お父様とお母様の言葉。

 けして、愛されていないわけではない。

 抱きしめられた記憶はなくとも、お父様もお母様も、わたくしを大切にしてくれている。


 ただ、不幸にも。お父様とお母様は、わたくししか産めなかった。

 ブライトン家の当主となりえる男子ではなく、他家へと嫁ぐ運命にある、女子のわたくししか。


「ごめんなさい、あなた……っ! わたくしでは、あなたの血をブライトン家に残せません……! どうか、どうか他の方を――」


 いつだって凛然としているお母様が髪を乱し泣き崩れる姿を見てしまったのは、たしか五つの頃。


「……他は、必要ない」


 重々しく告げたお父様が、お母様の肩を支える。

 その姿を見て、幼いわたくしの心は潰れるかのように痛んだ。

 そして愚かにも、幼稚な空想を描いた。


 誰よりも……それこそ、他の誰もが認める立派な令嬢になれたなら、ブライトン家を継ぐことも許されるのでは――と。


 そうすれば、お父様もお母様も、家族三人で。

 幸せな笑顔溢れる、あたたかな日々を迎えることが出来るのでは。

 けれどもそんな空想も、十四の時に破られる。

 王家から、婚約の申し出が届いた。


「誇るといい、エラ。お前は王家に認められたのだ」


「なんて素晴らしいこと! エラ、あなたの子は王家とブライトン家の血を合わせ持つ、この世で最も崇高な存在となるのです」


 お父様もお母様も。使用人のただひとりさえ、わたくしの気持ちを訊ねてはくれなかった。

 届く言葉は祝福のみ。

 わたくしの心中を述べる間もなく、婚約は、成立していた。


 そうしてやっと、わたくしは理解した。

 必要とされているのは、"わたくし"ではない。

 ブライトン家の血を……お父様の血を継ぐ、品性方向な令嬢なのだと。

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