第9話王子専属の花付け係に任命されました

 クレアのおかげもあり、寝坊せずに迎えた朝。

 ヴィセルフ様からのお呼び出しは未だないまま、使用人食堂で朝食を済ませた私は、特になんの問題もなく勤務についていた。


 本日最初のお仕事は、ヴィセルフ様の寝室のベッドメイキング。

 朝食のためダイニングにいるであろうヴィセルフが戻る前に、済ませないといけない。


 もしかしたら、部屋で待ち構えているかも……と、ちょっと構えていたけれど、踏み入れたヴィセルフの書斎は綺麗にもぬけの殻。

 開け放たれた窓から入り込む清々しい空気に、昨日の出来事は夢だったのかも……なんて。


(このまま忘れてくれてると、有難いんだけどなあ)


 なんたって私はモブ中のモブなんだし。むしろ、忘れられている方が自然なのでは。

 そうだよ。ここでモブの本領を発揮しないで、いつするの……!


「ねえ、なんか意気込んでるとこ悪いんだけど、そっちもう少し引っ張ってくれる?」


「あ、うん。えーと、こう……かな」


 いけない、いけない。

 うっかり顔を見て思い出し――な展開を避けるためにも、さっさと仕事を終わらせて退散しないと!


 思考を切り替え、クレアと一緒にシーツや枕カバーを取り外して、リネン室から運んだ新しいそれらと交換していく。


(……うん、完璧)


「ふう。あとはティーセットの回収だね」


 通常、起床時に届けられるアーリーモーニングティーは、そのままベッドで楽しんで、飲み終わったらベッドサイドに置いておくものなのだけど。

 ヴィセルフは気まぐれなためか、空のティーセットはたびたび隣の書斎に置いてあったり、酷い時には積み重ねた本の上に乗っていたりもする。

 ざっと見渡した限り、今日は寝室にはなさそうだ。


「私、隣の書斎を探してくるね」


「よろしく。アタシはティーポットとミルク片づけておく」


「うん、お願い」


 クレアと最初に書斎に踏み入れた時、机上にそれらしきティーカップは見当たらなかった。


(となると残る線は棚上。暖炉上か、本棚前か……)


 思案しながら寝室から踏み出した、その瞬間。

 バアーン!

 轟いたのは、扉が開け放たれた音。跳ねるようにして視線を遣った先で、両腕を広げ立つのは――。


(あ、デジャヴ)


「……はっ、ホントに逃げなかったみてえだな」


「ヴィ、ヴィセルフ様……っ」


 なんで!? 戻ってくるの早すぎない!?

 しかもちゃんと覚えているみたいだし……!!


 混乱に固まる私に視線を定めたまま、ヴィセルフは小馬鹿にしたような笑みをすっと消して、つかつかと私の元まで近づいてくる。


(ま、まってまだ心の準備が全然……っ)


 なんだっけ。そうだ土下座……!

 いま私がすべきは、膝を折って深々と土下座を……!


「あの、ヴィセルフさ……っ」


 刹那、右の手首がガシリと掴まれた。

 そのままぐいと引き上げられ、


「お前、どこのヤツだ?」


「……へ?」


「どこの家のモンだって訊いてんだ」


 私の右腕を人形よろしく掴み上げて、ヴィセルフが鋭い目つきで見下ろしてくる。


(まままままさか、私への罰として家族に嫌がらせを……!?)


 でも尋ねられてしまった以上、答えないと余計に機嫌を悪化させそうだし……!


「は、ハローズ家がひとり娘、ティナにございます」


「ハローズ家……? 聞いたコトねえな」


 嘘を疑うかのごとく細められた双眸に、私は慌てて、


「その、辺境のしがない伯爵家ですので、殿下のお耳に入らずとも当然かと……」


「地方によって、マナーが違うのか?」


「……と、いいますと?」


「お前の家では、パーティーにはああして花をつけろと学ぶのか?」


「…………ん?」


 え、そっち?

 水をぶっかけたのを責めるんじゃなくて??


(別にマナーもなにも、パーティーで胸元に花を飾るのなんて変なことじゃ……)


「あ……あーーーーーっ!!!!」


 思わず発した声に、ヴィセルフが片耳を塞いで「……うっせえ」と眉根を寄せる。


 や、やってしまった……!

 思わず『パーティー+仲良しアピール』で花だ! って勢いで付けちゃったけど、それが主流なのって前世の結婚式だ……!!


 こっちの世界では、それこそ結婚式の時ですら、男性が胸元に花を飾るなんて習慣はない。

 それをましてやパーティーで……ヴィセルフに……!


「いえっ、あれは、ついといいますか……! 殿下ならば、宝石だけではなく花もお似合いになるのではと思った次第でして……!」


「そうか。なら、本当に俺が初めてなんだな」


「へ?」


 ヴィセルフはニヤリと口角を上げ、


「昨夜のパーティー。主役は完全に、この俺だったぞ。お前のつけた花のおかげでな」


「え……と」


 それって悪い目立ち方ではなく?

 というか、そもそもヴィセルフがパーティーに出てきたってだけでも、話題独占! 注目の的! だと思うのだけど……。


 そんな私の戸惑いを察したのか、ヴィセルフは私の手首を放すと腕を組み、「違うぞ」と片眼をすがめ、


「いつも人形みてーにすました顔してやがるアイツの、あんな間抜け面が見れるなんてな。それだけじゃねえ。挨拶に来る他の奴らも、白々しいご機嫌とりすら忘れて、花のことばっかり訊いてきやがった」


 その時のことを思い出しているのか、ヴィセルフは愉快そうにくっと笑い、


「服やら装飾やらの流行ってのは、暇を持て余した女どもの娯楽だと思っていたが……くく、これなら確かに悪くねえ」


 ヴィセルフはくるりと背を向けると、扉に向かって歩き出す。

 と、半身だけで振り返り、


「三日後、侯爵家の夜会に参加する。お前がまた俺に花をつけろ」


「はい…………はいっ!?」


「だから、声がでけえ……」


 うっとおしそうに呟いて、ヴィセルフは「言っておくが、これは命令だ。お前に拒否権はないからな」と部屋を出て行ってしまった。


 え? お終い?? 私の処分は???

 っていうか、また花つけていいの??


「どうしようどこから突っ込んだらいいのか分からない……!」


 頭を抱えこんだ私の後方で、様子を伺っていたクレアが肩を竦める。


「とりあえず、辞めることにならなくて良かったじゃん」


「……うん。そうだね。そうだよここはポジティブにいくべきだよね!」


 このまま侍女を辞めなくていい! そしてまた、花をつけていい!!

 よし、いいことづくめ!!!!


(せっかくのチャンスだし、次のパーティーもちゃんとエラをイメージした花を――)


「ん? もしかしてさっきの間抜け面うんぬんって……こ、恋の芽生えフラグ!? 初めて見る表情に、そーゆー顔も出来んじゃねえかって"面白れぇ女"認定したってこと!?」


 や、やったあーーー!!!!

 お父様、お母様。前世のお父さんお母さん、そしてくーちゃん……!


 やりましたよ……!

 決死の機転によって、私は見事に破滅回避への第一歩を踏み出しました……!


「よーし、この調子でひっそりこっそり、二人のラブキュンイベントをお手伝いするぞ!」


 パンが無ければお菓子を食べればいい。

 フラグが無ければ、立てればいい……!


 両手を振り上げ万歳を繰り返す私には、クレアの「アンタ、相変わらずちょっとズレてるよね」という呆れた声は聞こえなかった。

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