第5話当て馬王子も主要キャラなのでございます

 腕を組んだまま黙していたヴィセルフが、疲れたように息をつく。

 と、鋭く細めた赤い目で私をとらえ、


「……よし。着替えも済んだことだし、さっそく言い訳を聞かせ――」


「あーっ!!」


「今度はなんだ!?」


「ご覧ください、ヴィセルフ様! こちらのソファーも絨毯も、この通り水がかかってしまっております。これは今すぐに! お掃除せねばなりません!」


 ということですので、と。

 私はそそくさと扉へ近づき、


「自分の失敗は自分で処理いたします。ヴィセルフ様はしばし、別の場所にてご待機ください!」


「は? ちょっ……」


 戸惑うヴィセルフを後目しりめに勢い良く扉を開いた刹那、何やら苦悶の表情でウロウロとしていた男性と目が合った。


 深緑の短髪と同色の瞳。軍服めいた騎士衣装。

 ひとつ年上の、ヴィセルフに幼少期から仕える、従者騎士のダン・アデリックだ。

 彼はぱっと顔を跳ね上げると、焦燥めいた顔で「ヴィセルフは!?」と私に問うので、


「お部屋の清掃のため、ヴィセルフ様は今からお出かけになるそうです」


「え? それって……」


 不安気に扉から中を伺ったダンは、ヴィセルフの姿をとらえると歓喜に頬を綻ばせ、


「ヴィセルフ! その服を着ているってことは、パーティーに出る気になってくれたんだな!」


「あ? ちげえ、これはコイツらが勝手に……」


「パーティー! それはとても素晴らしいですね! ちょうどピッタリのお召し物ですし!」


 途端、ヴィセルフが片眉をぴくりと跳ね上げる。


「……なるほど。これがお前の"狙い"か」


「なんのことでございましょう? 偶然、うっかりとは時に奇跡を生むものですね」


「ほう……この期に及んでしらを切るたあ、いい度胸だな」


(度胸なんてないし! それもこれも、あなたの為でもあるんですよー!)


 凶悪な笑みに内心で震えながら、必死に無害な笑顔を貼り付ける。

 するとダンが、部屋とのギリギリの境界線に立ち、


「なあ、今回ばかりは行っておくべきだってヴィセルフ。ただのパーティーじゃないんだ。すっぽかしたら、お前の評判だって落ちる」


「……んなの、今更どうでもいいだろが」


「いいわけ――」


「いいわけないです!」


「!?」


(あ、やば)


 ダンとかぶっちゃったと口を抑えるも、時すでに遅し。

 しっかり三人ぶんの視線を受けてしまった私は、「……どうよくないってんだ」と先を促がすヴィセルフにおずおずと手を下げ、


「ヴィセルフ様は、いずれ国王になられるお方です。周囲に悪い印象を持たれては、予想だにしないところで敵を作ってしまうこともあります。志半ばで命を失うようなことがあっては……悔しいじゃないですか」


 ていうか、このままだと本当に死んじゃう未来が待っているんですよ……!


 プレイヤーの時はヴィセルフの結末に同情するどころか「ざまあ」とまで思っていたのだけど、今の私にとってヴィセルフは、こうして会話もできる生身の人間だ。

 たとえ侍女として一方的に認識しているだけの関係でも、知ってしまった相手が死ぬのは心苦しい。


 ましてや私は一度、"志半ば"で命を終えた経験者だ。

 もっと早く、もっと違う選択していれば――。

 そんな後悔に最期を迎えた悔しさが、まだ、私の中で渦巻いている。


 と、ヴィセルフが大きなため息をひとつ。

 知らずに下がっていた視線を上げると、


「……わけわかんねえ」


「……そう、ですよね」


「ああ。最悪な気分が更に最悪だ。……ったく、仕方ねえ。おいダン。身支度の出来る侍女どもを呼べ」


「……へ?」


 ヴィセルフはつい、と壁際の大鏡へ歩を進め、


「出るってんなら、完璧にしていかねえと気が済まねえ」


「! ヴィセルフ様……っ」


 それって、つまり出席してくれるってことで――。


 背後ではダンが廊下に向かって大声で「ヴィセルフがパーティーに出席だ! 急いで整えてやってくれ! 気が変わる前に!」と叫んでいる。

 ざわめく廊下。ヴィセルフは乱雑に頭を掻くと億劫おっくうそうに私を睨み、


「いいな。今回限りだ。このままじゃこの部屋にいる限り、お前の顔が浮かびそうだからな」


「……はい! ありがとうございます、ヴィセルフ様」


 下げた頭の向こうから「……ふん」と素っ気ない反応。

 すると、どこからともなく現れた侍女さんたちによって、ヴィセルフは髪を整えられ、香水をふられ、装飾をあしらわれ……。

 あれよあれよという間に、煌びやかな"王子様"が出来上がった。


「……こんなもんか」


 自身の姿を確認し呟くヴィセルフに、「実に麗しゅうございます、ヴィセルフ様」と侍女さんたちが頭を下げる。

 そういえば、この目で実際にパーティー仕様のヴィセルフをまじまじと見るのは初めてだ。


 ……うん。

 隠しルートにヴィセルフルートが存在してもおかしくはないくらい、文句なしに光り輝いている。


(この姿を見ればエラも少しは……ううん、でもヴィセルフはヴィセルフだからなあ)


 悲しいかな、どんなに見た目が良くたって、そう簡単に性格は変えられない。


(ならせめて……そうだ、周囲の陰口を減らすだけでも)


「さあ、行こう。今すぐに行こうヴィセルフ。門の前に馬車も待機済みだ!」


 扉前で急かすダン。

 ヴィセルフが履き替えた靴で歩を進め、


「ったり前だ。俺サマを一秒でも待たせやがったら、即座にこの服脱ぎ捨ててやる」


 と、ヴィセルフはすれ違いざまに私を見下ろし、


「お前の処遇については、帰ってからだ。逃げるなよ」


(あー、ですよねえー)


 事故を装ったとはいえ、王子に水をぶっかけたのだ。

 それ相応の罰は覚悟している。


(解雇にならないといいんだけど……)


「……お帰りを、お待ちしております」


 スカートの端をつかみ、片足を後ろに引いて身をかがめ、誠意を尽くしたカーテシーを。

 そんな私にヴィセルフは、


「……ふん。戻ってきた時に染みのひとつでも残っていやがったら、承知しないからな」


 明かりを反射するまでに磨かれた皮靴が、視界を横切っていく。

 ――もしかしたら私は、焦るあまり選択肢を間違えてしまったのかもしれない。


 だってもしここで解雇されてしまったら、私は王城から離れた田舎の家に戻るしかない。

 貧乏っ子伯爵令嬢の私が、王都の社交界に招かれるなんて稀の稀。

 おまけに私の魔力はちっぽけで、クラウン学園からお呼びがかかるなんて到底あり得ないし……。

 今後どうやっったって、ヴィセルフとエラをくっつけるなんて不可能だ。


(あああ、もっと慎重にやるんだった!)

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