第5話
夏空が茜色に染まっていた。
疎らに響くひぐらしの声が遠くから聞こえる。
縁側の細長い天井が、ぼやけた視界に滲んで見える。
――ちりん。
微かに吹き込んでくる風に、少しだけ冷たい、夏の終わりの匂いがした。
長い眠りから覚めた後に感じるような気怠さも身体の重さもなく、只胸に残るのは一抹の寂寞。
顔を上げ、眼鏡を手に取り柱の日捲りカレンダーに目を遣る。
今日の日付は、八月十三日。
――約束だよ? 大人になったら、絶対に……
(……迎え盆か)
成程、道理で変な夢を見るものだと何となしに納得する。
長い夢を見ていたせいか、酷く喉の渇きを覚え、廊下を抜けて台所へと向かう。
冷蔵庫の麦茶を飲もうとしたら、もうほとんど残っていなかったので、仕方なく水道の水をコップに酌んで一息に飲み干した。
不意に廊下の向こうから電話の音が鳴り響く。古い家には似つかわしくない真新しい電話の方へ小走りに向かい、子機を取る。
「もしもし?」
『あ、長者ですけど』
「美砂?」
つい今まで一緒に祭り見物に行っていたようなものだから、なんだかこそばゆい。
『あのさ、今日の花火の事なんだけど』
「花火? ……あー」
そういえば、今夜の約束だったか。
『それでね、なんか皆今年はこっちに帰ってこないらしくてさ。仕方ないから、あたしらふたりでしんみりやろっか? もう花火買ってきちゃったし』
「そっか。ところでさ」
『なに?』
――うん。約束するよ。大人になったら、絶対に……
「えーと。……僕の携帯番号、教えてなかったっけ?」
『あー……そういえばそうよね。後で教えてよ。じゃ、晩御飯食べたらそっち行くから。また後でね』
そう言って、通話は切れた。
……きっと、美砂は似合わない浴衣を着てくるのだろう。
(――大人になれて、おめでとう)
受話器を置きながら、そう呟いて、僕は少しだけ笑った。
終
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