第2話
先生にガチギレされてみんなの前で恥をかいた脇田さんが、帰り道で私を蹴る。脇田さんは女の子らしいお仲間を使った嫌味や遠回しな嫌がらせだけに留まらずに物理攻撃も仕掛けてくるタイプの子供だった。チーちゃんは「あんなやつらぶっ殺せばいいんだよ」とカンカンに起こるけど私は一人で膝を抱えて途方にくれる。神であるはずの私は現実の前に蹲る。ざっこ。
香月先生は四十代の後半でまじめで熱心でとても「いい人」なのに私は事態の悪化を恐れて「チクる」ことすら思いつけない。チーちゃんと一緒に心の中で脇田さんを罵ることしかできない。それでも私がどうにか平静を保っていたのは、右沢さんという私よりもっと惨めに見える女の子がクラスの中にいたからだろう。右沢さんはフルネームを右沢光宙さんと言った。広い空で輝ける光になるようにという願いを込めてつけられた名前なのだそうだけどだったらなんで読みが「ピカチュウ」なんだよ。ノリでつけただろ。マタニティハイでトチ狂った頭で。子供のことをまったく考えずに。おまえはピカチュウじゃない。ミミッキュだ。
右沢さんは愛されない子供でいつもちょっと臭かった。がりがりと髪の毛を引っ掻く癖があって十円ハゲができていた。当然のようにクラスでハブられていたし、先生はいつも右沢さんのことをこっそり気にかけていた。そして「先生が気にかけている」ことが右沢さんのハブを加速させていることに先生は気づいていなかった。
私はクラスのありとあらゆる子に対してチーちゃんと一緒に内心で嘲笑を浴びせかけていたけれど、右沢さんに対してだけは寛容だった。(自分より劣っているものを憎むことは難しい、とミシェル・ウェルベックが言っていた)
右沢さんに対しては嘲笑どころか微笑みかけて世話を焼いてすらやっていた。体育で二人組を作ってストレッチをやれというときに、あぶれている右沢さんに近寄って匂いを我慢して一緒にやろうと言ってやってすらいた。周囲からは負け犬が寄り集まって傷を舐め合っているように見えたのだろう。そして多分実際にそうだった。
ところでチーちゃんの言う「わるいやつ」とは誰のことだろう? 例えば私の覚えている記憶の中の脇田さんは小学生で、“いやなやつ”ではあった。
女の子っぽい「いけず」や「嫌味」だけに留まらずに直接的な暴力まで行使するモンスター系女子だった。チーちゃんなら迷わず「殺せ!」と私を駆り立ててバットを握らせる。(私はバットをどうしても振り下ろせずにわんわん泣きながらチーちゃんの手にバットを返す。チーちゃんが舌打ちする)
しかし現在の脇田さんは看護師学校に通っていて熱心に勉強している。さらに未来の脇田さんは大きな病院でせわしなく働いていて患者の回復を助けている。忙しさとかセクハラとか医者なんてお坊ちゃんの大きな子供ばっかりだとこの仕事がクソすぎて本当にやめたいとかぶつくさ文句を言いながら、仕事にやりがいとか生き甲斐とかを見つけながらどうにかこうにかやっている。たまに退院していく患者から「あなたがいてくれて本当によかった。ありがとうございました」だなんて頭を下げられてその場は気丈に送り出してあとでこっそり涙ぐんでいたりする。小学生の時にはあんなに攻撃的だった脇田さんは攻撃性を気丈さと勝ち気さに変えて、前進する力に変える。
私は「罪は消えない」派だ。
小学生の私を歪ませた脇田さんを決して赦しはしないだろう。でも法律上のことでは脇田さんを裁けないし、もしも裁けたとしても刑期を終えて社会に戻ってきた人物にそれ以上の罰を与えることはできない。小学四年生の私は日々が楽しくなかった。時々泣いていた。それはチーちゃんのバットでぶち殺されるほどの罪なんだろうか。
二十年後に看護師になってたくさんの人々を助けて、医者の投薬ミスをぎりぎりのところで指摘して止めて患者の命を寸でのところで救った脇田さんは「わるい人」なの? 許されるの? 誰に?
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます