イマジナリーフレンド

月島真昼

第1話


 小学生のころ、私の頭の中にはチーちゃんという女の子が住んでいた。ことあるごとに私にああしろこうしろと命令していた。チーちゃんは気の強い性格で、ちょっと気に食わないことがあると「そんなの絶対おかしいよ!」と叫んで大暴れする。国語のプリントを私だけ飛ばして配った脇田さんにチーちゃんがブチギレて私はまあまあってそれを宥めるのに大変だった。

 そしたらチーちゃんの代わりに香月先生がいつも穏やかな皺の寄った優し気な顔を般若にして脇田さんにガチギレして脇田さんはぎゃん泣きし教室の空気がお通夜になる。私はプリントを配るのを飛ばしたくらいでそんなに怒ることないじゃん、と思っていたけどチーちゃんがいい気味だってせせら笑う。(いま、大学生になった私には先生があんなに怒った理由がわからないでもない。先生はいじめ未満の何かを敏感に感じ取って、嫌がらせで感情を発散させて自分のストレスを他人に押し付ける誤りについて脇田さんに説いていたことが多少なりとも理解できる)

 私はチーちゃんに「そんな笑い方はよくないよ」って言うけれど、チーちゃんが「本当に?」って訊き返してきて私は俯く。ぴーぴーとみっともなく泣いている脇田さんを見て私は確かに溜飲を下げたのだ。じゃあちょっとだけ。私は顔を隠してチーちゃんと一緒に脇田さんの醜態をせせら笑う。他人を嘲るのはすごく気持ちいことに私は小学四年生にして気づく。

 チーちゃんはクラスで一番運動神経のいい郷田くんのことをテストの点数が悪いと嘲笑い、塾に行っていていつも百点か字を間違えての九十九点しか取らない岬ちゃんのことをブスだと嘲笑い、さわやかな見た目でひそかに女子のファンが多い二ノ宮くんのことを給食の牛乳が飲めないと嘲笑い、二ノ宮くんの牛乳をいつもこっそり引き受けている優しい綾瀬ちゃんのことを跳び箱も飛べないと嘲笑う。

 私はいつもチーちゃんに「よくないよ」と言いながら結局のところ一緒になって笑っている。郷田くんほど運動神経が優れていなくて、岬ちゃんほど勉強ができない、二ノ宮くんほどかっこよくない、綾瀬ちゃんほどやさしくない、特に取り柄のない私は自分のことを棚にあげてみんなをバカにする。(すごい。なんでこんなに厚顔無恥になれるんだろう)

 誰かを笑うとき、私は欠点の一切存在しない全知全能の神になる。

 自分を神だと錯覚する。

 チーちゃんは私の錯覚を肯定し、私を神に押し上げる。


 今では私はチーちゃんが実在せず私の中の一部だったことを知っている。チーちゃんの暴力性が抑圧された私の暴力性だったことを知っている。それでも時々首を傾げる。私はあんなに凶暴な子供だったのだろうか。

 チーちゃんはバットを持っていた。どうしてバットだったのか? もっと強い武器はたくさんあるじゃないか、ナイフとか、刀とか、銃とか、言葉とか。でもチーちゃんが握っていたのはバットだった。夏の甲子園で高校球児達が振り回す、ウレタンの詰まった銀色に光る金属バット。想像しやすかったのかもしれない。私は刺されたことがないし、斬られたことがない、撃たれたことなんて勿論ない。けれど打たれたことはあったから。平手で。握り拳で。靴で。テレビの中でキーンとすんだ音をあげる金属バットは小学生の私が想像できる痛みの象徴だったのだ、多分。あっているのかはわからない。私は心理学者じゃないし、正解はチーちゃんしか知らない。そしてチーちゃんはもういない。訊いてみればよかったと思う。

どうしていつもバットを持っているの?

 チーちゃんはきっと答えてくれた。

「悪いやつらをぶっ殺すためだよ」って。


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