部屋の電気をけると、まず、ふすまが見えた。竜が山岳地帯を泳いでいる水彩画が描かれている。その向こうには、畳の部屋。くさの香りがただよい、はなをくすぐる。


 奥の障子しょうじを開くと、円い机に、背もたれ椅子がふたつおいてある。窓の外には、山々の静寂のたもとで、橙色だいだいいろの灯りが、囲炉裏いろりのようにひろがっている。


 月人つきとは、バッグを椅子において、そこから一冊の本をとりだした。今夜はこれを読もう――あわいあお色のブックカバーは、月人がえらぶことのないものだった。


 コンコン。ドアがノックされて、月人が返事をするまえに、あかるい笑顔をみせたシャーロットが入ってきた。


 白色のこそばゆい長袖。その、金色こんじきの、清らかな長い髪と、すみきった眼――明け方の香り。


「行きましょう。もう用意はできたわよね?」


「うん。行こう」


 鍵を受付に預けてしまうと、ふたりは、並んで、夜の温泉街へと溶けていった。ふたりの影は、明暗をくっきりとさせている。まるで、その影さえ、息づいているかのように。――




 大通りは、土産物みやげもののお店であふれていた。置いてあるものは、さして変わりがなかった。それでもシャーロットは、次々とお店のなかへとはいっていく。月人は、腕時計をちらちら見ながら、食事の時間を気にしていた。




 歩みを深めるたびに、だんだんと橙色のランプはうすらいでいった。


 そして、大通りの突きあたりにいきつくと、闇のとばりのなか、柵の向こうに、うっすらと鋼鉄のレールが見えた。二台の電車が沈黙している。それらは、悪い夢をみていた。


 月人は、この街のほろ酔いが、なにかたいせつなものを、見えなくしてしまっているのではないかと思った。


「帰りましょう」


 ふたりは、冷たい水を、こころにかけられたような気分になってしまった。


 ふと、右に視線をうつすと、その先に、小さな学校があった。それは、ひとりぼっち、卵色の街灯に照らされていた。


 この学校もまた、秘めやかに眠らされているのだ。

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