紫鳥コウ

 ふたりを乗せたバスは、あたたかい香りをまとっていた。


 山道をこえて、ようやく、橙色だいだいいろのランプがきらびやかな温泉街にたどり着いたのだ。


 だんだんとが短くなってきた、深い秋の季節に、紅葉より鮮やかな暖色が、この街のいたるところでともり、ひとびとの姿をくっきりと浮かび上がらせている。


 白煙がみわたった宇宙へとのぼっていく。この街は、地上にできた、きらめく星のひとつのようであった。


 旅館までのゆるやかな坂道を、ひとりは、かろやかな足取りで踏んでいく。もうひとりは、その背中を見守りながら、ねむたげな影をやみにまぎれこませている。――




 紅い絨毯じゅうたんかれた、広いエントランスのすみに、小さな座敷があった。そのまん中はくりぬかれて、足湯が電灯をゆらゆらと反射させていた。湯気から香るほのかな苦みが、ふたりのはなをくすぐった。


「ねえ」


 エレベーターを降りると、瑪瑙めのうがぶらさがった鍵を、ゆびであそばせている少女――シャーロットは、ふたりぶんの荷物を手にもった月人つきとに声をかけた。


「この後、街を見にいかない? わたし、ここに一目ぼれしちゃった。良いでしょう?」


 月人は、予約した食事の時間まで、部屋で、ゆっくりと過ごそうと思っていたところだった。


「いいよ。でも……少しだけだよ。食事の時間になる前に戻ってこないと」


「やった! じゃあ、荷物を置いたら行きましょう。お金も持っていかないとね」


 シャーロットは、くるりと軽やかにふりかえって、自分の部屋に入っていった。それを見届けてから、月人は、自分の部屋の鍵をあけた。


 ノブにふれたとき、月人のこころが、ひんやりと痛んだような気がした。

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