第7話 二人だけの勉強会

 上にある小さな窓の光だけの薄暗い部屋。本棚から古い紙の埃っぽい匂いが漂う空間。茶色の街から来た俺には似合いの狭く落ち着く場所。それが資料室書庫のあるべき姿だ。


 だが、今日はその薄暗い空間に全く似合わない華やかな侵入者がいた。


 肩に体温を感じるほどの距離、一つの机に二人で座って居る。彼女の赤い髪の毛から柑橘系の香りが鼻をくすぐる。真剣な目で自分の持ち込んだ術式の紙面を見つめる長いまつげと紫の瞳がはっきり見える。髪の毛を描き上げた瞬間、白いうなじが覗く。


 レイラ姉の言う職人街まで響く美少女という評判を否が応でも思い出させる。


「ええっと、次はどこを見ればいいのかしら?」

「……えっ、あ、そうですね。次はこっち……かな」


 不意に振り向いた王女様に、俺は慌てて彼女の横顔に吸い込まれそうだった視線を慌てて反らした。


 …………


 放課後、久しぶりに資料室の書庫に向かった理由はごく単純なものだ。錬金術で使われていた実験器具について資料を集めるため。ベルトリオン家の資金でこれまで費用面であきらめていた器具を揃えるのだ。


 個人的にも試してみたかった器具はいくらでもある。色媒の収量の改善につながり、レイラ姉の工房を通じて職人街に仕事をもたらす。やらない理由がないのだ。まずはエーテルの蒸留に使うための蒸留器だ。今のありあわせの器の組み合わせじゃ効率が悪すぎるし、超級触媒の使用が今後広がれば必ず必要になる。


 背後で不意に扉を開く音がしたのは、旧時代の錬金術の記録からいくつかの機器のスケッチを取り終わった時だった。驚いて振り向いた俺の目に入ったのは、赤毛の女生徒が口をハンカチで抑える姿だった。ドアを開けた時に散った埃に驚いたらしい。


「あの、こんなところにどうして?」

「術式の改良のことであなたに質問があったの。今、時間を貰って大丈夫かしら」


 王女様が遠慮がちに聞いてきた。よく見ると彼女の手には赤いインクで書かれた術式の紙がある。

「丁度区切りが付いたところですから。言ってくれれば代表室に行きましたのに」

「言ったでしょ。教えを乞う立場だから私が出向くのが礼儀だもの」

「なるほど。ちなみにサリア殿は?」


 俺は彼女の背後を見る。いつも一緒のご令嬢がいない。


「サリアは次の狩りの準備。狩猟器の調整もあるから今日は来ないわ」

「なるほど。ここは狭いので資料閲覧室にもどりましょうか」

「そうね。と言いたいところだけど。今人が入ってきた。あまりこれを見られたくない種類の……」

「デュースター家の関係者ですか」

「私がここに入る時に廊下から入ってきたの。棚に直行してたから、普通に狩猟記録を調べてるのだと思うけど、あまり見られたくないわよね」

「わかりました。ちょっと待ってください……」


 本棚の横にある椅子を取ってくる。表面の埃を慎重に払った。王女様は「ありがとう」と言って綺麗にスカートを畳んで座った。自分の椅子を机の斜め横に移動して座った。書庫の奥は横に本棚がない分、幅がわずかに広いが、それでも二人並ぶと窮屈だ。肩越しに伝わってくる体温と香りをいやでも意識させられる状況はこうして生まれた。


「問題はここだと思うの」

「なるほど今の話を聞く限り……そうですね。ここに出てくる形がネックになっているのではないでしょうか」

「でも、同じ形は幾つもあるわよね。こちらでは問題なかったのだけど」

「狩猟器の取っ手に向かう場合だけ問題が出ていると思います。見てください、形が同じでも隣り合う形に対しては書き順が逆になるので。うまく言えないんですが、ここが尖って見えませんか」

「……なるほど。確かにそういわれてみれば……」

「そこでの抵抗を無視できると考えます。すると、こことここの無駄が無くなりますよね。その部分を圧縮したらどうなりますか?」

「すごい。ずいぶん単純になったわ」

「ここは術式の重心ですから、ここを整理すれば改良がやりやすくなります」


 最初は少なからず緊張したが、始まれば騎士見習同士らしい術式の話だ。分からないと言っても、実際には自分できちんと考えていたらしく、問題は整理されているし理解も早い。


「わかったわ。うん、やっぱりあなたに聞いてよかった。私一人じゃ頭がこんがらがってとても無理だったもの」

「始めたばかりでこの理解なら問題ないと思います」

「あなたの指導があったから。教科書にはこんな説明は一切ないでしょう。どうやって理解したの?」


 王女様はきょろきょろと周りを見た。


「そういえば、あなたが錬金術を見つけたのがここなのよね」

「ええ、今も個々の資料を映していました」

「なるほど。私があなたのことを苦手な実技をさぼって座学に逃げ込んでいると思ってた時、あなたはここで魔術を超える研究をしていたというわけなのよね。たった一人でよくもまあ」


 油断していたところで、真横から見上げる瞳に捉えられた。


「結果としてうまくいった、ですが」

「あなたの過小評価はどうしたら治るのかしら。でも、私は学年代表としてあなたの学習状況を心配していたのよ。少しくらい説明してくれてもよかった気がするけど」

「……ちなみにですが、職人技術で色媒の限界を超えると説明していたらどうなりました?」


 多分説明ではなく釈明だろうなと思いながら言った。


「…………すぐにやめさせて無理やりにでも校庭に連れ出した、でしょうね」


 隣の女の子は小さくため息をついた。そして、改めて俺を見る。


「確かに理解はできなかったと思う。以前の私は騎士のあるべき姿という自分の流儀でしか、あなたと接することができなかった。それは私の落ち度だと思うわ」

「いえ、責めてるわけじゃなくて……」

「わかっているわ。だけど…………つまりね、あなたが私のことを信頼してくれないのは、そこら辺が理由なのかと思って」


 僅かに抗議のこもった瞳がこちらを向く。距離が近いせいで、彼女の感情が伝わってくる。俺とは正反対の場所で生まれ、騎士として誰よりも優れた資質を持つ、要するに全く世界の違う相手だと思っていた王女様が、ただの同い年の女の子に感じられてしまう。


「せめて私があなたに感謝していることも、あなた流の魔術を今は評価してることを信じてもらえないのは不本意だわ」


 彼女はぐいっと顔を近づけてくる。吐息が掛かりそうな距離で、唇が動く。


「あなたのお姉さんに一度会ってみたいわね」

「ええっと、どうして今の流れでいきなりそうなるのでしょう」

「だって、あなたが騎士になるのはそのお姉さんの為なのよね。今回の色媒のことも、そのお姉さんの工房とかかわっているみたいだし。それだけ大切で、信頼している人だということでしょう」

「そ、それはもちろんですが……」

「でも、私だってもうこの色媒の関係者よね」

「超級触媒の可能性を広げるためにも、リーディア様達の力は欠かせません」

「でも、本当の意味で仲間とは思ってくれていない」

「それは……」


 虚を突かれた。レイラ姉や親方は一緒に触媒を作り上げる仲間という意識だけど、王女様はそれを納めるお客様という認識だった。


「私は今こうやって教えられてばかりだし。急に信頼して欲しいっていうのも無理だってわかっているわ。だからこういうのはどうかしら。私が術式について教えてもらうお返しに。あなたの実技について私がアドバイスするのはどう。魔力の量はともかくとして、体術や狩猟器の扱いなんかは伸ばす余地があるはずよね」

「つまり色媒から術式の改良までは私が、改良された術式の運用はリーディア様ということですか……」


 実技訓練は前に一度断った。ただ、あの時の俺には自分の小さな魔力を補うための方法はなかった。だが、今の俺には超級色媒で改良した盾剣改バッシュソード・カスタムがある。


 どれだけ収量を上げても、上級魔獣の髄液は貴重であり、節約できるに越したことはない。だけど、同時に俺にとって今一番力を入れなければならないのは超級触媒の精製を確立することなのも確かだ。


「やっぱりあなたにとっては無用な話かしら。私の流儀の押し付けになってるならちゃんとそう言ってほしい」


 真剣な顔で問われる。彼女なりに考えてくれていることが今なら分かる。


「……では、こういうのはどうでしょうか。次の演習までは私は超級触媒の精製に集中します。そうしなければそもそもこの魔術の基盤が揺らぎますから。それで、演習ではリーディア様達と一緒に狩りをして、私がリーディア様達の術式の調整について、リーディア様は私の魔術の運用について、それぞれアドバイスをしあうというのは」


 俺の提案に王女様はぱっと顔を輝かせた。


「それはいいわね。じゃあ次の演習はあなたと臨時パーティーということね」

「そういうことになりますね」

「ふふっ。次の演習がますます楽しみになってきたわ。言っておくけれど、演習ではリーディア“様”は禁止だからね」


 なんやかんやで王女様のフィールドに引き込まれた気がする。


 でも、俺の魔力の乏しさは過小評価でもなんでもないからな。同じ条件で狩りをすれば彼女の過大評価は修正されるだろう。


 そう思いながら、少しだけ演習が楽しみになったのが不思議だった。

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