閑話2 狩り場の陰謀

 深い森から複数の丘が顔を出し、縦横に河が流れるその領域は猟地内でも指折りの狩り場だ。


 今まさに大規模な狩りが実施されていた。何頭もの巨大魔獣が勢子役により河辺に追い立てられ、待ち構えた狩猟団により次々と屠られていく。赤い血が流れ込む河には輸送用の船が浮かび、必死に綱を引く労役者によって獲物が引き上げられていく。


 それらの光景を高所から見下ろす二人の男がいた。木の枝に渡された飛獣皮の日除けには金縁の青い家紋が描かれ、その下に置かれた折り畳み式の獣牙の椅子に分厚い毛皮を敷いて座って居る。一目で最高等級と分かる銀色に輝く狩猟器が椅子の横に立てられている。


 その様は騎士院を支配者する自分たちこそが猟地の主だと主張する様だ。実際、この狩り場は彼らの派の縄張りであり、今回の狩りの成果は冬季の食料や物資という意味で、都市の人々にとって極めて重要だ。


 ただし、彼らの表情に喜色はない。実際、すでに狩りを終えた傘下の騎士たちは、自派の棟梁と後継者を刺激しないように距離を取って控えている。


 だが、そんな二人の元に近づく人間がいた。前を歩くのが茶色の、それでいて質の高い服を着た恰幅のいい男。明らかに狩りの場には不似合いだ。一方、後を歩く黒い外套の男の背には大鎌の狩猟器が背負われている。黒いフードで頭を覆う男が魔獣を狩る力を持つものだ。ただし、その黒い外套のどこにも所属を示す家紋がない。


 騎士が猟地内で狩りを行う時は、己の所属を明らかにすることは絶対のルールだ。逆に言えば、この男はどこにも所属しない、騎士ではなく傭兵、魔力を持ちながら平民に金で雇われる存在だ。


 茶色の男は日除けの作る影の前で黒い傭兵に止まるよう合図し、満面の笑みを作ると一人デュースター家の当主に近づいていく。


「なんとも盛況なものですな。これほどの大捕り物は東の連盟や西の帝国でもなかなかお目にかかれますまい。流石はデュースター家の狩りでございます」

「…………」


 開口一番上得意におもねって見せる商人。だが、当主は不快げに一瞥をくれただけだ。代わりに息子、アントニウス・デュースターが向き直った。こちらも不機嫌さを隠さないのは同じだ。


「商人風情が騎士の狩りの場に何の用だ」

「これはアントニウス様。せっかくの狩りに水を差し恐縮でございます。グンバルドに向かう途中でデュースター様の御猟地の側を通らせていただいたので、ご挨拶と。…………後、他にはない逸品が手に入りましたのでご覧いただけると幸いでございます」

「何を持ってきたのか知らんが。儂はこの通り忙しい」


 逸品という言葉に僅かに反応したが、当主はすぐに関心を失ったように河に視線を戻した。


「なるほどなるほど。冬の禁猟期も近くございますからな。いやしかし、この様子を見るにお城での宴にはさぞかし立派な猟果が並ぶのでございましょうな」


 船に積まれた“普通に立派な”獲物を寿ぐように言う商人。彼の発言の途中から父子の顔がますますきびしくなっていくのにも気が付かぬようだ。


 確かに大猟であり、獲物はどれも丸々と太った大型の中級魔獣である。その肉も毛皮も十分すぎるほどの価値がある。だが、同時にそれはこれという特別な一匹がないということだ。


 冬の禁猟期に行われる狩猟の宴は一年で一番重要だ。デュースター家の威信がかかっている。しかも、彼らが追い落とさんとする王家は複数の上級魔獣を出すであろう。それも、年若い王女が狩ったものだ。王家のテーブルが大いに盛り上がるのは間違いない。


 ちなみに、学院の合同演習でリーディアに嗾けた魔獣は、デュースター家が冬の宴に出すつもりでその存在を温存していたものだった。跡継ぎであるアントニウスが王女を助けて狩った形を演出し、自家と王家の力の差を誇示するつもりだったのだ。


 だが、その思惑は完全に逆になった。それが、今の二人のいらだちの元である。


「…………この程度、普段とさして変わりはないわ」

「は、はは……。なるほど、流石はリューゼリオン一の騎士である御屋形様。より大きな獲物をお望みなのですな。ならば本日私がお持ちしたものがお役に立てるかもしれません」


 押し殺すような低い語調に、商人はやっと上得意の不機嫌に気が付いたようだ。それでも売り込みをあきらめないのは、逞しいというべきであろう。


「何を言っておる。骨董品で魔獣が狩れるわけがあるまい」

「それが本日お持ちした品は特別なのでございます。実を申しますとこのような場にまでしゃしゃり出ましたのはそれが理由でございまして。ぜひともご覧いただきたくございます」


 商人は後ろに控えた傭兵を手招きした。よく見ると傭兵は背中とは別に黒い布に包んだ長い荷物を持っていた。


「最近東方の禁猟地の遺跡から出ました品でございます」


 商人の説明を共に、黒い傭兵が手に持った包みを解いた。出てきたのは長い杭のような形状の、銀色に輝く金属だった。曇一つない白銀の表面に描かれた鮮やかな赤と青の浮彫は確かに美術品のように繊細だ。だが、それを見た父子はぎろりと相手をにらんだ。


「狩猟器を商うことは禁忌だぞ」

「あくまでそこの傭兵が持っている、ということでなにとぞお目こぼしを。ここは王家が目を光らせる都市ではございません。猟地のことは御屋形様の御心ひとつでございましょう」


 商人は銀色の返しのない槍のようなそれを両手で捧げ持つようにして差し出した。父が子に合図する。


「二色の術式だと……」


 狩猟器を手に取ったアントニウスは怪訝な表情を浮かべた。その槍には根元側に青、先端側に赤の二色の術式が刻まれていたからだ。さらに、その中間には小さな穴が開いている。現在の狩猟器にはまずありえない形式だ。


「実際にお使いいただくのが一番かと」


 商人は上を見上げた。はるか上空に一匹の大きな飛獣が舞っている。


 …………


 投擲された銀槍が青い光の螺旋を伸ばしながら高い樹冠を飛び越した。上空に達した切っ先に赤光が弾けた。高高度を悠然と舞っていた大飛蜥蜴に向かって一直線に加速した。飛獣が魔力の接近に気が付いた時にはすでに遅く、その身を貫かれた後だった。悲鳴一つなく命を失った魔獣が地面に落下するのと同時に、銀の槍は再び青い光を纏い投擲者の手に収まった。


「お見事でございます。古の狩猟器となれば使用者にも大変な技量を求めますでしょうに。こうも容易に使いこなすとは。やはりお持ちして正解でございました」


 自分の手にもどった狩猟器に唖然としているアントニウスとそれを呆然と見ている当主。だが、自分を試すように見える傭兵の不遜な目に気が付いたアントニウスは、はっとして改めて狩猟器を見る。


「なるほど。赤と青の魔力の干渉は魔力結晶を用いた時間差発動で回避するという術理か……」


 種が割れれば原理的には不思議ではない。だが、二色の術式の連続発動となれば通常の狩猟器では考えられない高度な技術であることは確かだ。いや、実際に使ったアントニウスには青の精緻な誘導といい、赤の加速といい単独でも尋常ではないことが分かる。


「西方で出た古の狩猟器といったな。グンバルド帝国にはこのような狩猟器が多くあるということか」


 当主が警戒心を隠さずに聞いた。多くの都市をその傘下に収めて拡大する帝国グンバルドの脅威が先に立ったのだ。実は彼がこの商人を徴用している理由は、外の情報の入手先としても便利だからだ。


「禁猟地の遺跡でございますから、ごく限られた数しか発見されなかったと聞いております。もちろん、現在では新たに作れるものではないということでございますが」

「そうか。そうであろうな。確かにこの銀の輝きは白金のものだ」

「だが、それほどの物をどうしてこちらに持ち込んだ」

「それが、その遺跡に記されていた紋がこれでございます」


 商人が差し出した紙には、白い円に三本の剣を並べた紋章が掛かれていた。それを見た二人は苦々しい表情になる。それは白騎士団の紋章だ。グランドギルド時代に暴虐の限りを尽くした忌むべき存在だ。


「東方や西方ではリューゼリオン以上に嫌われておりまして。それもあって私の元まで……」

「なるほど。筋は通るな」

「それで、いかがでございましょうか」

「……確かに優れたものだ。だが、大粒の魔力結晶と上級色媒を使って一度の使用では割に合わない」


 アントニウスは狩猟器内でひび割れた魔力結晶と一度の使用で曇った術式の色媒を見て言った。


「なるほど。では、これを用いるに足る魔獣の情報があればいかがでしょうか」


 商人が一歩引く。無言だった黒い男が前に進み出た。


「我ら傭兵が主に活動するのはこの地の北、旧ダルムオンだ。グランドギルド跡、高濃度魔力が養う魔獣が彷徨う可能性がここよりもはるかに高い。ゆえにわれら傭兵はそれらの情報を常にやり取りしている」

「ほう。猟地なしもそれなりに頭は使うというわけか」

「その中の一体が通常の経路をずれ、この土地に近づいていることが確認されている」

「貴様……」

「まて、お前の言っていることはつまり、七年前のあの魔獣か」


 金で働く落ちぶれた身を顧みない態度に怒るアントニウス、だがそれを父親が制した。傭兵は無言でそれを肯定した。


「リューゼリオンに至る可能性はどれほどだ?」

「今のところでは半々というところ。ただ、奴らは大型の魔獣を餌にしながら移動する。やりようによっては誘導することも可能だろう。そのための情報も提供できる」

「何を言っている。あんなものに近寄られては狩りすら…………」


 そういったアントニウスだが、その視線が自ら手に持つ狩猟器に向いた。


「いかがでございましょう。王家に代わりデュースター様がリューゼリオンを守る英雄となられるお手伝いをさせていただくというのは……」

「…………」「…………」


 狩りの出来ぬ王が寄る唯一の騎士としての武勲。それが十年前の火竜撃退だ。王家の勢力が損なわれ、デュースターを利した出来事だが、同時に王家の求心力の残滓でもある。それを塗り替えることが出来れば今彼らを悩ませている問題は吹き飛ぶ。


 いや、今の状況なら王家に如何なる要求でも突き付けることが出来る…………。


「対価として何が欲しい」

「リューゼリオンにおいて我らワレリア商会の商館の設置をお許しいただければ十分でございます」


 商人の言葉に父子は虚を突かれたような顔になった。


「なんだ、そんなものでいいのか」

「我ら東西を行き来する者にとって中間に近いリューゼリオンは重要な都市。それに、我ら外の承認をごひいきいただくデュースター様がリューゼリオンを手になされば、我らも安心して商いに励めまする」

「いいだろう。取り込んだ文官どもにそう命じよう。ただし、褒美はこの件が上手くいった場合の話だぞ……」


 金への欲望を隠さぬ商人。権力への欲求を刺激された名門騎士。二人がゆがんだ笑顔を交わし合った。


「もちろんでございます。ワレリアは御屋形様の狩りの為に全力で働かせていただきます」


 深く深く頭を下げた商人。一方、彼の後ろで傭兵は表情も変えず立っている。だが、名門騎士父子にとって傭兵の礼儀知らずの態度ていどは、もはや重要なことではなくなっていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る