第1話 名家の敷居①

 休暇日に同級生の女の子の家に招かれる。それは一見素晴らしい出来事のように聞こえる。しかも、相手の女の子は学年でも有数の美人であり、名家のご令嬢だ。しかも、招かれた理由がそのご令嬢のピンチを救ったお礼だ。これはもうどれほど期待しても期待しすぎることはない。


 昼の太陽の下、ベルトリオン家の厳めしい石の門をくぐる俺の心境は、もちろん不安と緊張で占められている。最初こちらに来た時、寮の一人部屋にすらビビった平民出身者には、目の前にそびえるお屋敷はただでさえ威圧的だ。

 周囲の屋敷より小さい? そもそもなんでこんな大きさが必要なんだ?


 それだけじゃない。この訪問は今後の身の振り方を決めるといっても過言じゃない。何しろ今の俺はデュースター家と王家の対立に関与してしまった形なのだ。


 クライドいわく、デュースターはしばらく目立った動きはしない。王女への陰謀の後始末で忙しいらしい。だがその忙しさが終わったとき、排除し損ねた平民出身者のことを都合よく忘れてくれる保証などない。分かることは楽観は絶対にしてはならないということだ。


 騎士同士の殺し合いは禁忌。それは騎士の家族にも及ぶ。だが“平民上がり”の騎士“見習”が彼らにとって『騎士』の範疇に含まれるか?これからどうやって自分とレイラ姉たちの身を守るか。それを考えただけで身が凍る思いだ。


 つまり、今の俺はこの家に頼るしかない。

 だが、騎士院の第一人者と王家の側近の名家、俺の感覚からしたらどちらにしても平民の運命などどうとでももてあそべる相手だ。それに対して、こちらにあるのは僅かな知識と技術のみ。それも、一番の秘密である色媒を見せてしまっている状態だ。


 あの時はそうしないと全員危なかったから仕方なかったのだが、今となっては絶対不利な立場での交渉になると思わないといけない。ましてや、俺の色媒は下手したら騎士の禁忌に触れかねない。


 もちろん、計画は考えている。だがまずは、向こうの出方を探らなければいけない。決して機嫌を損ねないようにしないと。何しろ、ここから先は相手の手の内だ。


 俺は悲壮な覚悟を決めて玄関のドアをノックした。


「レキウス様でございますね」

「は、はい」


 ドアを開けたのは灰色の服装の使用人だ。俺は直立不動で答えた。使用人は無言で後ろを振り返り「お客様が参られました」といった。


「ようこそベルトリオン家へ」

 そこには二人の可憐な少女がいて、スカートを摘まんで僅かに上体を傾けている。


「あ、ええと、ほ、本日はお招きいただき? ありがとうございます?」


 最初誰かわからなかったのは、馴染みの制服や狩猟衣ではなく私服姿だったからだ。赤毛の王女様は淡いピンクのワンピース。腰の所を白い帯で締めてある。黒髪のご令嬢は白いブラウスに紺のスカート。

 後、何で王女様もいるんだ?


 …………


 白くて長いテーブルに“一人分”の金属音が響く。


 説明しよう。平民の食事は採取された芋や果物に少しだけ干し肉など保存肉を入れて煮込んだものだ。


 学院寮の食事は肉の形をした肉が入っているが、大勢の分をまとめて作る都合上、採取産物と一緒に煮込んだものが多い。つまり、基本的にスプーンがあれば事足りるのだ。


 実習などの野外での食事はどんな偉い騎士でも、手で食べられるものが多い。


 つまり、目の前の皿にある採取産物よりも肉の方が大きいというのがもう見慣れない。ナイフとフォークが必要な類は経験がほとんどないのだ。肉の付け合わせは普通に芋みたいだが、なんでわざわざ皮をむいているんだ? 皮についた実がもったいなくないのか?


 しかも、手元で音が鳴るたびに正面右のご令嬢の視線がちらっと咎めるようにこちらに向く、余計に緊張を高める。これはしょっぱなから機嫌を損ねているんじゃないのか……。


 どうすればいい。どうすればこの食事という名の試練を切り抜けられる。


 冷や汗をかきながら考えた結果、思いついた。この食器もナイフもフォークも実験器具だと思おう。俺は水車の歯車のように交互に手を動かし、貴重な原料を処理するように、食事を口に送り込む。


「まるで肝を食ったような顔だな。我が家の料理は口に合わないか?」


 ご令嬢が言った。肝を食う? ああ、確か下町で言う「麦を食ったような顔」の騎士様版だったな。内臓も調理次第では結構いけるんだぞ。というか、味なんてわかってないんだけど。


「その、歴史がありそうな食器なんで傷をつけないようにと」

「なるほど、確かに我が家は零落している。仮にも命の恩人を招いたのだ。デュースター家のように客毎に食器を新調するようなことができず、申し訳ないところだな」

「そ、そんな意味じゃないですから。道具を大事にするのは良いことです」


 俺が力説すると、二人はきょとんとした顔になる。「あなた達だって狩猟器は大切にするでしょ、それと同じです」といいたいが、職人の仕事道具と狩猟器を一緒にする発言を名家でするほど命知らずではない。


 まあ、一年生の時やらかした教訓なんだけど……。


「まずは落ち着いて食事をしてもらいましょう。レキウス君、外のつもりで気楽に食べて。あなたはお客様なんだから。サリアもそれでいいでしょ」


 王女様がとりなしてくれた。黒髪のご令嬢が渋い顔で頷いた。


「そういえば、どうしてリーディア様も?」

「……私がいない方がよかったのかしら」


 また失言した。


 やっと食事が終わった。お茶が出された。虹色果ファノレの皮を乾燥させたものだ。湯の色は綺麗な赤紫、完璧な入れ方をされた証拠だ。


 温かいお茶にようやく人心地ついた。さて、これからどうやって話を持って行く? 俺が頭の中でこれからのふるまいを考えていると、食堂のドアが開いた。


「さて、そろそろいいかな」


 重々しい声と共に入ってきたのは合同演習で見た老騎士だった。ご令嬢の祖父。ベルトリオン家の当主で騎士院の議員だ。俺は慌てて立ち上がる。老騎士は俺をじっと見て、孫娘に視線を移した。


「まるで警戒を解いていないようだが?」

「申し訳ありませんお爺様」

「やれやれ、わが孫は老骨に似たのかこの手のことが苦手でいかん。さて、レキウス君だったな。ベルトリオン家の当主として、サリアの祖父として改めて孫を救ってくれた礼を言わせてもらおう」


 老騎士の言葉と同時に、ご令嬢と王女様も同時に俺に向かって頭を下げた。


「い、いえ。私の方も演習後の成績の認定の時に助けていただきましたので」

「あれは監察役として当たり前のことをしただけだが」

「そ、それを言うのならば、演習時に学生同士が助け合うことも当然のことです。そして、実際に私は危ないときにお二人に助けに来ていただいたことがあります」


 あの魔狼に襲われたときのことだ。


「恩を着せるつもりはないと」

「はい」


 老騎士はテーブルに両拳を乗せたまま、言葉を止めた。


「今回君をここに招いたのはあくまで礼のため。そのことはベルトリオン家の名誉にかけて守ろう。つまり、君がここで帰っても、我が方からは何の問題も起こらないということだ」


 我が方からはってところがポイントだよな。デュースターがどうするかは知らないけどって話だよな。


「ただ、率直に言うと我々は君があの合同演習で示した力に興味がある。特に君がサリアに与えた色媒の出どころについてだ」


 老騎士がそういうと、ご令嬢が自分の鎖をテーブルの上に置いた。両端の穂先は取り外してあるが、そこにはいまだサファイアのような青い色媒が残っている。


「儂も触れてみたが尋常ではない魔力伝導率だ。一度流した魔力が狩猟器を循環し続けるなど、歳だけは食ったこの老体も見たことがない。君がその身に宿す魔力が騎士見習としてもあまりに小さいのも確かだ。しかも、君が得意とする色は緑。我々には分からぬことばかりだ。だが、これほどの物を見て、放置もできない」


 老騎士は俺をまっすぐに見る。


「孫娘の命を救ったこの色媒、どうやってこんなものを手に入れたのか。教えてもらえるだろうか」


 口調は穏やかで、わざわざ「孫娘の命を救ったと」付けるあたり礼の為に呼んだという建前を守っている。だけど老人から発せられる圧力が大きくなったのは、テーブルの向こうにいる俺にも届く。


 唾を一つ飲み込んで答える。


「といわれましても、その色媒は当のお孫さまからもらったものです」

「何を言っている。私がお前に色媒を渡したことなど…………。いや、まさか」

「もしかして、あなたが言っているのは大渦大蛇タイラント・サーペントの髄液のことかしら」

「そうです。一つ目のホットスポットでの狩りの後分けていただいた青の上級魔獣の色媒です」


 俺は答えた交渉の開始だ。

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