第2話 名家の敷居②

 俺が合同演習でご令嬢に渡した色媒の原料について告げると、テーブルは騒然となった。


「あり得ません。私がこの者に渡したのは青の上級魔獣の髄液です。我々が狩り、採取したものですから間違いありません。そして、それは私が譲り受けたコレとは全くの別物です」

 俺に色媒の原料を丸ごと渡し、結果として超級色媒精製実験の成功に貢献してくれたご令嬢は、立ち上がって否定した。


「あなたを疑うわけじゃないけど、私にもこれが上級色媒とは思えないわ。色媒は等級が高くなるにつれ色が鮮やかになるものだけど、これは鮮やかを通り越して煌めきさえある。まるで――」

「こほん。リーディア様の言う通りだ。孫の恩人を無碍に疑うのは心苦しいが、今の話で納得することは難しいと言わざるを得ないな」


 残りの二人も困惑している。もちろん俺もあれがただの上級色媒だというつもりはない。ただ、説明がいろいろな意味で難しいのだ。


「私がお渡ししたのは間違いなくお二人が狩った魔獣の髄液からできています。ですがもちろんただの上級触媒ではありません。髄液からの調整に私なりに工夫をしたものです。私はそれを錬金術と呼んでいます」

「錬金術? 聞いたことがないわ」

「それはそうでしょう。何しろ旧時代の学問ですから」

「旧時代だと。それは魔術が存在しない遅れた時代ではないか。そんな時代に魔力色媒をどうこうする学問があるはずがない」

「ええっと、サリア。少し落ち着きましょう。レキウス君が座学に力を入れていたのは知っているわ。でも、私も旧時代といわれても理解できない。まだグランドギルド時代の秘密を突き止めたと言われた方が分かりやすいくらいよ」


 王女様がパートナーと俺を交互に見ながら言う。ちなみに、俺も最初はそっち、グランドギルド時代の魔術を目指してたんだけど……、なんてことを言ったら収拾がつかなくなるよな。


「私が錬金術という学問に着目したのは理由があります。それが物質を純粋な形で取り出すことを目的とした学問だからです」

 俺は抽象的な話を続ける。こちらはこちらで説明の順番が難しいのだ。今の段階で職人工房の技術という話をするわけにはいかない。あくまで俺のやったことは旧時代の学問、そうしておかなければならない。

 その代わり、ちゃんと実例を出す。目の前にちょうどいいものがあるのだ。


「今から説明したいと思います。このお茶の葉とお湯を用意していただけますか? できれば厨房で実際にこれを用意してくれた人に持ってきてほしいのですが」


 俺は自分のカップを指さした。中にはファノレ果皮のお茶が残っている。


 …………


 エプロンを付けた中年女性が細かく刻んだ黒い茶葉とお湯を用意してくれる。俺は女性に、残ったお湯を暖炉にかけてもらうように頼んだ。


 同時に、女性の服装や彼女に対するベルトリオン家の二人の態度を観察する。厨房の使用人は普通は表に出ない立場だ。だが、服装は清潔だし肌艶や血色もいい。俺や雇い主に向ける表情も自然だ。これなら合格と考えよう。


「では、錬金術が物質を純粋な形で取り出すということの意味を説明したいと思います。」


 俺は用意してもらった実験材料を前に立ち上がった。それにしても、まさか騎士院名家で“実験”するなんてな。


「ファノレ茶は騎士の茶会で重視されるお茶ですよね。その理由は、淹れる者の技量が明白に分かるからです。温度によって色が大きく変わり、赤紫の状態が一番香りがいい」


 俺の言葉にテーブルの向こうに座る三人が頷いた。


 ファノレ茶は茶葉というが、実際は葉ではなく高級果実のファノレの果皮を乾燥させを刻んだものだ。ファノレは虹色果実といわれるが、その理由は熟す過程で果皮が緑、青、赤と色を変えることによる。


 つまり、乾燥して黒くなったこの果皮の中には赤、青、緑の三色の色素が含まれている。お茶の色はその三色が混ざった結果だ。そして、湯の温度で色が変わる理由は、それらの色素がお湯の温度に対して異なる性質を持つからだ。


 三人の前で三つのカップにそれぞれ少量の茶葉を入れ、三種類の温度の水を入れた。水を入れたものは緑、湯を入れたものは青、熱湯を入れたものは赤が強い褐色の液体が“抽出”される。


「茶葉に水、お湯、熱湯をそれぞれ注ぐと色はこうなります。ファノレの果皮の中に三色の色の成分があって、それぞれの色ごとに湯への溶けやすさが違うことから生じる現象です。この状態では色合いの違い程度ですが、今の原理を使うことで、より純粋な状態で特定の色の成分だけを取り出すことが可能です……」


 水だしした緑のお茶を捨て、残った茶葉にお湯を注いだ。素早くかき混ぜ赤くなったお茶を別のカップに移す。そして、青みが狩った茶葉に、暖炉で泡立つ沸騰した水を注いだ。そして真っ蒼なカップの中身を三人に向ける。


「今のような手順を踏むことで、このように青い色だけを取り出すことができます。飲んでみてください」

「香りが強すぎる。それに、渋みが全くないわ」

「ではこれではどうでしょう」

「渋みだけでとても飲めたものではない」


 気味が悪いほど青い液体を恐る恐る口にする三人。王女様がためらいがちに言った。俺は湯で出した赤い液体を渡した。王女様はぎゅっと口をすぼめた。代わりにご令嬢が感想を言った。


「確かに不思議なものを見たが、これが今の話と何の関係があるのかな」

「この茶葉が魔獣の髄液を乾燥させたもの。取り出した色が色媒だと考えてください。普通の色媒の調整は茶葉にただお湯を入れただけ。一方、私がやったのは今のように調整の過程でいくつもの工程を経ることで、色媒から特定の成分だけを取り出すことです。髄液から色媒に必要な成分だけを純粋に取り出したら、魔力伝導率が上昇してもおかしくないと思いませんか」


 俺は青一色のカップをもう一度三人の方に向けた。


「し、しかしだ、色媒をいくら濃く塗っても魔力伝導率は変わらない。いや、むしろ阻害されることすらある。今のお前の言葉が正しければ、色媒を濃くすれば同じように伝導率が上がってもいいはずだ」


 ご令嬢の指摘はなかなか鋭い。俺は答える。


「実は髄液の中には魔力伝導を妨げる物質が入っているようです。阻害物質の多くはエーテルに溶けないので“調整”の過程で除かれます。ちなみにこれが調整の手際によって微妙に色媒の魔力伝導率が変わる理由でしょう。それはともかく、阻害物質の一部はエーテルにも溶けます。その結果、色媒を濃くしようとすれば同じように阻害物質も濃くなる。今のお茶の渋みを考えてください、お茶の香りを良くしようと濃く入れれば、渋みも同時に増して飲めるものじゃなくなりますよね」

「……理屈は通るな」

「演習が始まって以来、私はこのような特別な調整の手順を自分が集めた小魔獣の髄液を用いて試してきました。自分の魔力の小ささを色媒の魔力伝導率を上げることで補おうとしたのです」

「そういえば代表室でそんな話を聞いたことがあるわ。あの時は私、まともに取り合わなかったわ。「あなたの学識は認めている」なんて言っておきながら情けない話だったわ」

「あっ、ええっと、あの時点では私自身雲をつかむような話でしたから。今のような説明にもたどり着いていません」


 シュンとなってしまった王女様。最初に代表室でお説教されたときのことかな。良くあんな言葉の一つ一つ覚えていたな。


「とにかくですね、精製により魔力伝導率が等級一つ分上がることが分かったのです。ちょうどそのころ例のホットスポットのことで、青の上級魔獣の髄液をサリア殿から頂いたじゃないですか。それを見て思ったんです、これ以上ないはずの上級色媒を、さらに精製したらどうなるのかなって。で、出来上がったのがサリア殿にお渡ししたものです。私が青の触媒を精製したものです」


 ご令嬢は「そんな無茶苦茶な」と絶句した。赤い髪の王女が顔を上げた。


「つまり、あの色媒はどこからか持ってきたものではなく、あなた自身の力で作りだしたものということよね。だってそうでしょ、錬金術は魔術の為にあったわけではないのに、あなたはそれを魔術に応用したのだもの」

「待ってくださいリーディア様。一人でなしたとは限りません。むしろ、これほどのことを一人で成し遂げたと考える方が不自然ではないですか」


 興奮気味の王女様をご令嬢が押さえる。


「……今の質問に対する答えは私もぜひ興味がある。まず、これだけのことをはたして君一人でなしたのか。そして、さらに重要なことがある」

 老騎士はテーブルの上で組んでいた両手をぎゅっと握りしめてから俺を見る。


「今の話を聞く限り、上級魔獣の髄液があれば、君はアレをいくらでも作り出せるということになる」


 さっきの、帰りたければ止めない、的な雰囲気が消え失せている。というか隣のお孫様は鎖に手を置いている。まるで、合図があれば即座に俺を拘束できそうだ。


 ここからが正念場だな。

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