第19話 合同演習③

 私の前には四つ足の魔獣が二体いた。その体躯は魔狼ダイアべロスより二回りは大きく、銀色の体毛でおおわれている。べロス系の上級魔獣、銀狼王フェンリル。それもつがい。


 首周りに襟巻のような逆立つ毛を生やした雄と頭頂部からお尻まで鬣を生やした雌……だったわよね。彼ならすぐに答えてくれたでしょうけど……。


 って、この状況では関係ないわね。どちらがどちらでも両方を私が相手にしなければいけないのだもの。とりあえず襟巻が雄。鬣が雌としましょう。


 雄っぽい方が私に突っ込んできた。剣に魔力を流し込む。王家伝来の狩猟器、お父様が火竜に傷を与えた武勲の証が赤く輝く。突き出された巨大な爪にタイミングを合わせて術式の力を解放する。螺旋を捲いた朱光が私を押しつぶさんかのような一撃を跳ね返す。


 すぐさま体を反転させる。側面に回ろうとした紫の鬣に剣先を向けて牽制する。


 さすがグランドギルドから伝わる狩猟器だわ。制御から発動までほとんど一瞬。魔術がまるで自分の手足の延長のよう。


 演習に使うようなものじゃないけど、越境魔獣への警戒に徹するつもりで持っていたのが幸いしたわね。これが無かったら今頃は狼の腹の中だったわ。


 ううん、これがあっても過去二回の狩り、彼の計画の元で万全に近い状況で上級魔獣と戦った経験がなければ到底無理だったでしょうね。


 でも、最悪を通り越したこの状況ではそれでも全然足りない。


「そっちは大丈夫」


 狼のつがい牽制しながら、背後に声を掛けた。そう、私たちの相手はこの銀狼王フェンリル二体だけじゃなかった。


「辛うじて、というところ、ですね」


 三重に束ねた鎖を巧みに伸縮させ、繰り返される攻撃を受け流しているサリアが答えた。


 サリアの前にいる魔獣。燃えるような渦巻く赤毛での巨体はこちらの狼二体を合わせたくらい。二本足で立ち、四本の腕を広げる巨大な山岳熊ベルガード・グリズリー。山頂から一つの山を支配する赤の上級魔獣。


 背中越しに熊の赤と、サリアの青の魔力の魔力のぶつかり合いを感じる。魔獣の赤い魔力の暴風が細いサリアの鎖に叩き付けられている。本当に切れる寸前まで耐えては受け流すという、背筋が凍るような本当にギリギリのやり取りが続いている。


 彼女の狩猟器としての質は上級魔獣に対するには足りない。そもそも、彼女のスタイルは直接魔獣に対する赤や、緑じゃない。にもかかわらず背後を守ってくれるパートナーが本当に誇らしい。


 でも、そんな感傷は狩りの場ではあまりに無力。いいえ、騎士としてあるまじき現実逃避。実際には二人だけという私たちの狩猟団の問題が最悪の形で現れている。


 いいえ、弱点を突かれたというのが正しいでしょうね。上級魔獣が複数そろうなんてこんな状況、自然にはあり得ない。


 左右の山からこいつらを誘導したものがいる。当然上級魔獣に近づけるだけの狩猟団が二つ。それだけの組織力を持つのは騎士院の中でもあの家だけ。


 今思えば考えてみれば、彼が一人こっちに向かったという嘘を私たちに吹き込んだのは、デュースターに近い家の息子だったわね。なんでこれだけの力を猟地の為に使えないのよ、あの時だって……。


 って、また泣き言。そんなことは分かっていたこと。ここまでやるとは思っていなかった私の甘さ。この二年間でサリア以外の味方を見つけられたかった私の未熟よ。


 はっきり認めるの。この状況、もう撤退すらできない。なら、私にできることは……。


「サリア。少しだけ時間を稼ぐから、離脱して助けを呼んできてくれない。あなたの方が足が早いもの」

「私が鎖で障壁を作ります、その間に退いてください。河まで出ればあるいは」


 私たちは背中合わせに同時に言っていた。


「私の判断ミスなんだから。私に責任を取らせなさい。ここで二人死んでどうするの」

「納得してついてきたのは私です。いかにリーダーとは言え、納得できない決定には従えません。それに、一人でのこのこ戻ってはお爺様に合わせる顔がありません」

「確かに翁には孫娘のようにかわいがってもらったけど、翁も孫が二人いなくなるよりも、一人でも残った方がいいでしょう」

「では、リーディアが…………。っ!!」


 サリアの声が途切れるのと同時に、青い魔力のラインがいくつもの断片に分かれる感触が伝わってきた。そして、赤く太い魔力が大きく膨らんで弾けた。じゃらという音と一緒に、私の横に黒髪の少女が転がってきた。


「サリア――!!」


 私は体内の魔力を振り切り、目の前の銀狼王の鼻面に叩き付けようとする。だけど、私の背後には緑の魔力が迫っていた。恐怖が無理やり後ろを振り返らせた。涙に滲んだ視界の中に、私たちを一緒に叩き潰してもあまりある巨大な腕が見える。


 目をつぶった。それでも、緑色の暴力が私の頭上に迫ってくるのがわかって…………。


 ダンッ!!!!


 次の瞬間、視界の全てが緑の光に覆われた。私はまだ立っていた。信じられない思いで目を開いた。


 歪む瞳に大きな緑色の盾を構えた背中が見えた。見たこともない術式を展開して上級魔獣の渾身の攻撃を防いだのは、一人の男の子だった。


 男の子の魔力は三体の強力無比な魔獣に囲まれていた私には接近を感じ取れないほど小さかった。なのに狩猟器に流れる魔力はあり得ないほど澄んで鋭い。


 何よりも、展開された魔術は極めて静かにして強靭極まりない。


 だから、それは自分の生み出した幻だと思った。私としたことが、ピンチの時に男の子に助けられたいなんて願望を持っていたなんて……。


 でも、次の瞬間気が付いた。この魔力を感じたことがある。それも二回。一回目は彼を助けようとして魔狼ダイアべロスに向かっていた時。


 そして、ただの棒にしか見えないその狩猟器は、ここにいるはずがない彼のものに似ていた。


 私を助けたのは、私が学年代表として一番頭を悩ませた落ちこぼれだった。でも、そんなことがあり得るの?


 △  ▽


 深い森の中を走る。方向を間違うことはない。前方では強力な魔力同士のぶつかり合いがまばゆいばかりなのだ。絶対にあそこに近づいてはいけないとはっきりと警告している。


 だけど、力がない平民出身の落ちこぼれには選択肢なんてものは手の届かない贅沢品だった。


 俺がやっと二人の同級生をその視覚で認識した時、“狩り”は終わりかけていた。ご令嬢は倒れていて、王女様は三対の魔獣に取り囲こまれていた。そして、背後の山岳熊ベルガー・グリズリーが右の両椀を振り下ろさんとしていた。


 何も考える暇がなかった。左手にあらかじめ持っていた魔力結晶を握りつぶすようにして術式を発動させる。


 狩猟器が光るのと同時に、両手でそれを構えて飛び出した。山岳熊ベルガーグリズリーの炎に包まれた丸太の様な赤い二本の腕を、緑色の光る菱形が辛うじて受け止めた。


 魔力で打ち消してなお俺の足が腐葉土にめり込む。手持ちの最大の魔力結晶、魔狼ダイアべロスの、がぴしりとひび割れる。


 魔力結晶から搾り取った魔力で山岳熊を跳ね返す。同時に自前の魔力を注ぎ込み“巡回”させることで術式を維持に成功する。


 上級魔獣やばすぎるだろ。たった一撃でこんなに削られるのか。


 というか、完全に話が違う。なんで二体じゃなくて三体に襲われてるんだ。俺の無事を伝えて引き返させるだけの第一計画は最初から成り立たない。最悪でもこの魔術で助太刀すれば撤退の手助けくらいはって第二計画だって危うい状態だ。


「ほ、本当にレキウス君……。なんで、どうして……。どうやって今のを……その術式は?」


 王女様はすっかり混乱している。何とか体を起したご令嬢も信じられないものを見たような顔をしている。


「そんなこといいので、早く逃げましょう」


 自分の盾で熊を牽制しながら言った。三体の魔獣は突如現れた俺に驚いたのか距離を取っている。今がチャンスだ。


「そ、そうね。サリア立てる?」

「はい。ですが足がやられてしまって。走れそうにありません。ですから私のことは置いていってください……」

「何を言ってるの。あなたを置いていけるわけ――」

「お前がリーディアを連れて脱出してくれ。その間だけ、何とかこいつらを止めて見せる。だから頼む」


 木に手をついて辛うじて立ち上がっている黒髪のご令嬢は、パートナーではなく俺に向かって言った。懇願するようなその口調は彼女から聞いたことがないものだ。


 見ると、彼女の鎖を構は青い魔力がとぎれとぎれ、弱弱しく点滅している。色媒が負担の大きいところから曇ってしまっている。


 これでまともに狩猟器が動くはずがない。止めるって絶対自分が食われる間も含めてるだろ。俺としてはこの状況で俺よりも強い騎士にいなくなられるのは困る。


 まてよ、青の触媒なら念のため持ってきたあれがあるじゃないか。俺はベルトに吊るしていた小瓶を取り外した。


「これ、使えませんか」

「なんだ、この色は……本当に青の色媒……。だめだ、塗りなおしている暇などない」


 ご令嬢の言葉どおり、いったん距離を取った三匹がじわじわとこちらに近づいてきている。でも、現状で一番生き残れる可能性が高いのは三対三の状況を維持することだ。


 同じ時間を稼ぐなら、そちらに賭けたいじゃないか。少なくとも、三体の魔獣に後ろから追いかけられるよりもいい。


「俺とリーディア様で塗りなおしの時間を稼げばどうですか」

「それなら……。待て、私の言うことを――」

「三人で生き残るにはそれしかなさそうね。難しいけどやるわ。私がこっちの二匹を、あなたが後ろの熊をお願い」

「いえ、逆にしましょう。私が狼二匹を相手にします。正直まともな魔獣なんて犬系くらいしか経験がないんですよ。さっきも胡狼ジャッカルの群れと戦ってたので」

「何を馬鹿なことを言ってるの。アレは銀狼王フェンリルよ。そもそも、あなたの術式は盾型よね。守りしかできないじゃない」


 王女様は俺の狩猟器が宿す魔術を見て言った。まあ、確かにそう見えるよな。


「ところがそうでもないんですよ。じゃあ、騎士見習らしく論より証拠ということで」


 俺は襲撃の姿勢を取った二匹の狼の前にでた。そして、本来の形で魔術を発動させる。


 錬金術で精製した超級触媒の力で実現した術式、盾剣改バッシュソード・カスタムってところかな。

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