第15話 術式改良

 暖炉の前にはエメラルドを砕いたような緑の粒が乾燥を待っている。暖炉の上では温かい石枠を利用して蒸留中のエーテルが一滴、一滴と保存用の円筒形のガラス器ビーカーに落ちていく。


 錬金術による上級魔獣髄液の精製は順調に進んでいる。


 今のうちにこの特別な触媒色媒を使って挑戦する術式の準備をしよう。


 俺は机にもどり術式手本を広げた。開いたページに描かれているのは緑の中位魔術盾剣バッシュソード術式スペルだ。この前の演習で上級色媒相当の魔力色媒を使ってもまともに運用できなかった魔術しろものだ。


 今精製している超級色媒でこの術式に再挑戦する。これが王女様に言った俺なりの練習だ。


 先日の実験で青の超上級触媒のけた違いの性能が明らかになった。描いた周囲への魔力の漏れがない浮き上がるようなシャープなラインと、魔力を流し終わった後もしばらく光が持続するというとんでもない特性を見て思いついたのだ。


 緑の超上級色媒があれば盾剣こいつを攻略できるのではないかと。


 一つは、何度魔力を通しても曇らなかった超上級色媒の安定性だ。精製により量が大幅に減ってしまう問題は解決していないが、繰り返し使えるのならその欠点は軽減する。量が十分の一になっても、曇るまでの使用回数が五倍になれば実質約二分の一だ。将来、精製の収量を上げることができれば問題ではなくなる可能性もある。


 もちろん、潜在的に何度術式が使用できようと、俺自身が一度もまともに使いこなせなければそれこそ宝の持ち腐れだ。そして、普通に考えれば術式規模が変わらない以上、どれだけ魔力伝導率を上げても必要最低限の維持魔力の軽減は見込めない。


 何しろ、前回俺があきらめかけた理由がそれだからな。


 だが、これだけけた違いの魔力伝導率があるなら話が変わってくる。つまり、この色媒を使って術式の規模その物を圧縮できるのではないかということだ。


 術式には内部の同色干渉を避けるために記号同士の配置を重複させたり、記号間の距離を開けている場所がある。これを最短でつなげば術式の大幅な簡略化ができるはずだ。


 最初にやることは術式の中で抵抗が大きい場所のチェックだ。


 ダイアべロスの髄液を精製した上級相当の色媒を使って術式を描く。もったいないけどこれを使わないと術式全部に魔力を通すことすらできないからな。盾の部分と剣の部分に分けて抵抗のある場所をチェックしていく……。


 手本から写し取った『本来の術式』に十カ所の丸が付いた。これが、魔力の抵抗が強い場所だ。それを踏まえてみると術式がその場所で間隔を広くしたり、ラインを長くして回避しているのが分かる。


 これを全部無視してやればかなりコンパクトになるだろう。


「……とりあえずこんなものか」


 出来上がった新しい術式は、お手本の六割くらいの面積に収まっていた。本来隣接させてはいけない記号同士が横に並んでいるのだから当然だ。


 圧縮版盾剣バッシュソードの設計図は出来た。いよいよ超級触媒の出番だ。


 乾燥が終わった色媒と蒸留済みのエーテルを使って超級触媒を作る。青の時と同じようにほれぼれするような煌めく緑だ。量はかなり減ってしまったが、術式が簡略化されたのもあって何度か試すのにも足りる。


 狩猟器ぼうに改良した術式を描き魔力を通してみる。まずは盾と剣それぞれだ。確認すべきはきちんと通るかだけ。どうせ結界に干渉されて発動はしない。


「すごいな。これで反発しないのか……」


 思わずうなった。コンパクトになった術式に細い光のラインがしっかりと最後まで通った。思惑通りだ、線の周囲に全くと言っていいほど魔力の漏れがないのが効いてる。


 次は盾の部分だ。こっちの方が少し複雑だから……。ああ、やっぱりここはもう少し工夫がいるな……。


 改変術式に次の変更を記して修正する。だが、順調に行くと思ったところでトラブルに気が付いた。


 線の中央がボウっと光っている。洩れないはずの魔力が漏れているのだ。なんでこんな何もないただの線で……ああなるほど。問題は術式でも色媒でもなかった。その部分の狩猟器の表面にかすかに錆が出ている。俺の使っている練習用狩猟器の魔導金属は最低の純度だ。ちゃんと整備していても、こういうことはままある。


 あの王女様の狩猟器みたいなのは望まないけど、せめて普通の演習用の狩猟器があればだいぶ違うんだが……。まあ、無いものねだりをしても仕方ないか。


 狩猟器表面を磨きなおして再度その部分を書き直す。よし、上手くいった。剣部分である三角の術式、盾部分である円形の術式、そしてその二つの接続、順調に確認が進んでいく。


 後は全体を通して試してみるだけだ。俺は満を持して狩猟器に魔力を流そうとした。


 ドン!!


 ドアが大きく音を立てた。危ない、危うく狩猟器を落としそうになった。


「こんな夜に魔力を漏らしてるんじゃないぞ、へたくそ」


 隣室の同級生の怒鳴り声がドアの向こうから聞こえた。平民出身者の中では優秀な方で、騎士院の偉い家に気に入られてるって話だ。おかげで同じ平民出身者にもアタリが強くて、特に落ちこぼれの俺なんかのことは完全に馬鹿にしている。


 「お前みたいなのがいるから平民出身者が馬鹿にされるんだ」って面と向かって言われたことがある。でも、最近は俺なんか相手にしている暇はないって感じだったんだけど。


 ……確かに夜も遅いか。隣から魔力が漏れてきたんじゃ眠り難いと言われたら仕方ない。明日校庭の隅にいって試そう。


 もっとも、壁越しに漏れる程度で気になるほど俺の魔力は強くないんだけどな……。


 △  ▽


 翌日の放課後、俺は校庭に向かった。こうして放課後の校庭に出るのも久しぶりだ。合同演習が近いせいか自主練習中の学生の数が、いつも以上に多い気がする。


 あんまり見られたくないから人気のないところを探さないといけないんだが…………。お、あそこ空いてるじゃないか。


 ちょうど校庭の角、木々が植えてある場所に向かう。結構いい場所なのになんで空いてるんだろう。とにかくここなら気兼ねなく試せそうだ。


 俺が木の向こうで狩猟器を鞘から抜こうとした時、数人の足音がした。


「…………合同演習では我々は…………」

「……しは禁忌じゃ…………」

「……だから……を利用するんだろう」

「でも…………を嗾けるって、そこまでやるのか?」

「…………するな。俺達にはアントニウス様が付いて……。それに実際に…………をおびき寄せるのは…………」

 聞き覚えのある声だ。あの演習の時、ダイアべロス相手に死にかける前にデュースター先輩を囲んで王家の悪口を言っていた三年生達だ。ただ、リーダーであるデュースターの御曹司はいないみたいだけど。


 二度目はシャレにならない。俺は狩猟器をしまうと、ゆっくりと後退る。


 森の中と違って音を立てることもなく、撤退に成功した。


「……別の場所を探さないと」

「どうしたレキウス。珍しいな」


 校庭できょろきょろしているとクライドが声を掛けてきた。


「あ、ああ。ちょっと自主練習にな」

「レキウスまで自主練習とはさすが合同演習だな」

「……人を珍しい魔獣みたいに…………。まあでも、そういうことだよ。どこか空いてる場所がないかな。さっきあっちでやろうとしたんだけど人が来てさ……」

「おまえなあ。あそこはデュースター閥の専用だぞ」


 クライドは呆れたように言った。なるほど、道理でいい場所なのに開いていたわけだ。校庭なんてろくに使わないから知らなかった。それならそうと立札でも立ててくれ。


「特にレキウスは気を付けないとな。多分睨まれているぞ。リーディア様ことでな」

「何だそれ」

「噂になってるんだよ。リーディア様が平民上がりお気に入りだって」

「落ちこぼれが学年代表にお説教を喰らっているって噂だろ」

「お説教されていたのか?」

「いや、前回は違うけど……っていうか、俺なんて取るに足らない人間を気にしないだろ」

「自分で言うか。まあ、目立っているのはリーディア様のご活躍でという側面が大きいだろうけどな」


 そういわれると関係しているので何とも言えない気分になる。


「ただ、その王家と騎士院の関係がより難しくなっている。リーディア様におかしな虫が付いたって噂をアントニウス先輩にご注進する連中がいてもおかしくない。だから、気を付けたほうがいいって言ったんだ。噂を広める連中にとって事実なんてどうでもいいんだからな」


 そういえばアントニウス先輩から王女様に近づくな的なことを言われたな。だが、あの時の俺を見る目、間違っても競争相手という認識じゃないよな。自分の席にゴミが置いてあったからのける、程度のものに見えた。


「気を付けるもなにもそんな話じゃないんだよ。まあ忠告は感謝する」


 俺がここ最近学年代表室に呼ばれているのは狩猟計画の為だ。王家と騎士院の争いで、レイラ姉たちが割を食っている方がよっぽど深刻だ。


「ちなみに王家と騎士院の争いはどうしたら収まるんだ?」

「本来なら王家は都市の管理者であると同時に騎士の代表だ。その形にもどったら問題は解決だな」

「つまり、王女様が騎士としての実績を示すことか……」

「……そうだな、王家と騎士院のもっと言えばデュースター家が均衡するのが一番いいだろうな」

「その言い方だと他にあるって感じだけど」

「他の納め方というなら、両者が一つになることだ」

「それって……」

「デュースターからリーディア様の婿が、もっと言えば将来の王が出るという形だな。このままだとそっちの可能性の方が高いだろうな」


 珍しくクライドが苦い顔で言った。


「それっていいことか?」


 誰にとってかあいまいなまま俺は思わずそう聞いてしまった。


「王家にとって良いかと言われるとそうじゃないな。今の力関係だと王家が乗っ取られるのと同じだからな。リューゼリオンが完全にデュースターの物になるってことだ」


 あの酷薄そうな美男子がリューゼリオンの王になる。単にこの街の住人の一人としても、それはあまり望ましくない未来に感じてしまう。その横に王女様が並んでいるのはなおさら……。


 あの演習の時まるで王女様を道具みたいに言ってたこと覚えている。いや、そうだあの代表室で一見穏やかに話していた時も、何というか彼女自身に対しての執着みたいなものがどこか希薄で……。


 言い方は悪いが、職人なら道具には愛着を持つがそういった……。


 いや、現実問題として俺にできることなんてあるわけがない。とにかくリューゼリオンの次の支配者なんて雲の上の話だ。俺は学生としてすら地面に立ってるかどうかも怪しい。


「っと、しゃべりすぎた。練習場所だったな。残念ながらこの混雑は続くよ。時間を空けた方がいいと思う」

「わかった。せっかく隣に住んでるんだ、日が暮れてから出てみるよ」


 視界の端にお隣さんがさっきの木立の方に向かうのが見えた。俺はひとまず寮にもどることにした。部屋にいないなら文句も来ないだろう。


 まだまだ術式に細かい調整したいところが残っている。とにかく、卒業までに最低限の騎士としての力を得る。一歩一歩だ。


 まあ、演習後に三つ目のホットスポットが確認できてその褒美? でレイラ姉たちの人頭税を何とか出来ればとりあえずは一安心なんだけどな……。

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