第12話 大猟果

 三日月湖からあふれ出した青い魔力に額に汗が伝う。水面から鎌首をもたげる巨大な四つの眼球が私を見下ろす。魔獣えものの分際で完全に狩猟者きしを餌だと認識している。


「確かにこれは大物ね。予想以上かしら」

「リーディア様。一度立て直した方が……」

「あらサリア。騎士たるものが“獲物”を前に下がるわけにはいかないわ。大丈夫よ、私達なら」


 背後のパートナーにいうと狩猟器つるぎを構え前にでる。別に強がりじゃない。確かに恐るべき相手ではあるけれど、この剣がこんなに頼りなく見える相手は初めてだけど。


 でも、これは予定通り。私たちはちゃんとこの魔獣に合わせて術式と戦術を準備済みなのだから。


 脳裏を頼りないと思っていた男子生徒の顔がよぎった。正直半信半疑なところがあったけど本当に上級魔獣のねぐらを当てて見せた。それも、彼の予想ぴったりの色と種類。


 ああもう本当に惜しい。彼にせめて人並みの魔力が……って、今は狩りに集中するべきね。


 体内にあふれる魔力を細い剣に集める。気持ちいいくらいに大量力が狩猟器の術式に流れ込む。刀身が赤く光り、つるぎの周囲にらせん状の光の帯が宿る。


 私は目の前に迫った四つの眼の中心に向かって朱渦と化した剣をまっすぐに突き出す。


 ◇  ◇


「初めてで上級魔獣を狩るなんて、とんでもない準騎士デビューになったな。それもたった二人でだ」

「ああ、そうだな、うん。出来すぎな気がするくらいだ……」


 学院廊下は王女様どうきゅうせいの初の狩りの成果の話でもちきりだった。準騎士資格を得るや早々に出かけた狩りで、青の上級魔獣である大渦蛇タイラント・サーペントをしとめたのだ。


「なんか変な言い方だな?」

「いや、そういうんじゃないんだ。それよりもこの騒ぎがさ……ほら、上の方ではなんか圧力云々があったんじゃないのか」


 俺は声を潜めた。王女様たちの快挙の話をしているのは俺達だけではない。むしろパーティー募集のとき以上の盛り上がりに見える。あの時は距離を置いていた連中まで会話に加わっている。


「だからこそだよ。王家が狩猟者として存在を示せていないからこそ、騎士院が一つの家に牛耳られてるんだ。それに不満を持つ人間だって当然多い。そこに王家の一人娘が史上最速の準騎士資格獲得に続いて上級魔獣狩りだ。風向きも多少は変わってくるってものだろ」

「なるほど……」


 どうやら俺の調査はリューゼリオンの勢力争いにささやかながら影響を与えたようだ。裏方でよかった。


「噂をすればだな」


 廊下の向こうに赤毛の少女の姿が見えた。準騎士活動は授業に優先するって話なのに、狩り明けでわざわざ登校してきたらしい。王女様はいつもと同じ、いやいつも以上に堂々とした歩みで廊下を進む。周囲の視線が自分に集中することを当たり前のように受け止め、同級生が口々に狩りの成果を祝うのに、笑顔で答える。


 そして彼女はそのまま俺の前まで来た。


 …………


「あなたの言った通りだったわ」


 衆人環視の中、学年代表室に連れ込まれた俺に殊勲の準騎士様は言った。見たことがないくらい上機嫌だ。彼女の前には青く輝く大粒の魔力結晶と鮮やかな青い粉末を入れた瓶がある。


「初めての狩りの成功、おめでとうございます」


 遅ればせながらお祝いを述べる。狩りの場所を絞り込んだのは俺だが、たった二人で上級魔獣を狩ったのは間違いなく彼女たちの卓越した実力だ。現役騎士の多くは上級魔獣が出ると言われたら、そこには近づかないのだ。


「あら、他人事みたいに。あなたの成果でもあるのだけど」

「恐縮です」

「あなたがもう少し魔術に通じていたらパーティーに誘いたいくらいだわ」

「コホン、リーディア様。この者についてこれるわけがありません」


 とんでもないことを言い出した王女様パートナーをご令嬢がたしなめた。俺も慌てて首を横に振る。この二人に付き合わされたら命がいくつあっても足りない。荷物持ちだって御免だ。


「リーディア様。それよりも例の件です」

「そうだったわね……」


 リーディアは机の前で両手を組んで少し難しい顔になった。まさか、予想に不備があったか。一体どんな説教を……。


「あなたの予想は当たった。魔獣の色と種類までぴったり。見事なものよ。でも、だからこそこのホットスポットの扱いについては考えないといけないわ」


 王女様は俺が作った魔脈の地図を引き出しから取り出した。そして、なぜか俺の前に置いた。


「私はあくまで教科書の記述とこれまで積み上げられた記録から導き出しただけです。それに、一カ所だけではたまたまかもしれないので……」

「慎重ね。確かに残り二カ所を確認する必要はあるわね。それも確かと分かれば、これは騎士にとって極めて重要な情報ということになるわ」


 それが本当に有用なのは上級魔獣を狩ろうと思って狩れる実力を持ったリューゼリオン内でもごくわずかな……。ああ、なるほど……。


「この情報を一番知りたがるのは縄張りの管理を差配する騎士院、その最有力者であるデュースター家でしょうね。…………それで、もしあなたがこれを公表するなら、私は止められないと思っている。教科書の原本までさかのぼって調べたあなたの功績だもの」

「この調査はあくまでリーディア様のご依頼により行ったものです。それに、先ほど言った通りこのホットスポットの価値はまだ確かではありません。なぜなら……」


 ホットスポットの本質は魔脈の流れだ。つまり一連の三つのホットスポットが揃って初めて確実といえるという説明を改めてする。


「……というわけです。支流の交点まで考慮した予想としては、今回が初めての検証ということになります。私としては最善を尽くしたつもりですが、現時点で完全な信を置くべきではないと思います」

「本当に慎重ね。まあ、言ってることに理はあると思うけど」

「実際は、私の考えなどまともに相手にされるとは思えませんけれど。まぐれあたりといわれて笑われるのが落ちかと。実は魔脈の支流も重要なのではないかということは一年座学、狩猟計画の授業で発表したことがありますよ」

「…………思い出したわ。コーゼン教官に叱られていたわね」

「そういうことです」


 後、王家と騎士院の権限争いなんかに巻き込まれてはたまらない。


「わかったわ。これに関してはもう少し扱いを決めるのを待つわ。じゃあ、未来じゃなくて、とりあえず今回のことを解決しましょう」


 見たことがないほど、と言うと語弊があるな、乾燥させた髄液の状態では見たことがないくらい鮮やかな色の粉末と拳ほどもある巨大な結晶がテーブルの中央に押し出された。青の上級魔獣の魔力素材だ。


「分配については等分ということしか決めてなかったわね。青はサリアが得意の色だし。レキウス君が得意なのは緑よね。どうしようかしら」


 そういえば獲物の分け前を貰えるって話だったな。猟の成果の三分の一だったか。俺の目は巨大な青い結晶ではなく青空をそのまま深めたような粉末にくぎ付けになる。


 ただ、あの時は上級魔獣を狩るという王女様の言葉に現実感を感じなかったが、実際に目の前に持ってこられるとその成果の大きさに少し怯む。これを身に宿していた魔獣の強さが感じ取れるからだ。


 命がけで強大な魔獣と戦った成果だからな。資料室で座っていた俺があんまり沢山取るのも気が引ける。こっちの目的、最低限実験できるだけの量と考えたらどれくらいだろうか。


 俺が「じゃあその瓶の三分の一」といおうとしたら、ご令嬢が瓶を手に取った。そして、そのまま俺の胸元につきつけた。


「これでこの件は貸し借り無しだ。いいな」

「えっ、あ、はい。ありがとうございます」


 貸しなんてあったか? でも、正直に言えば有難い。これだけあれば余裕をもって実験できる。


「それで、残り二つについても協力してもらえるかしら。今回同様にレキウス君と成果を分け合うわ。そして、さっきの話だけど、ホットスポットが全部確認できた時にはあなたの功績としてお父様につたえることを約束する」


 王様に報告って大げさな。…………いや待てよ。もしかしたらレイラ姉たちの人頭税の免除を継続してもらうことができるんじゃないか。


「もちろん最後まで協力したいと思います。次は二つ目の中間のホットスポットでしょうか。一番北は遠いですから」

「そうね。それがいいわ。腕が鳴るわね。次はどんな魔獣が出てくるのかしら。やっぱり、魔獣を狩ることこそが騎士の本分…………。ええと、あなたの予想があればあらかじめ準備できるから心強いわ」


 いつも通り一分の隙も無い正論を言った後で、気まずそうに言葉を濁した。どうやら俺が魔獣を狩れないことを思い出したらしい。気にしなくていい、こっちは最高の実験サンプルだけじゃなくて落第した時の保険の当てだ。俄然やる気が出てきてるんだ。


「では、二つ目のホットスポットの周囲の地形と、この季節の……」


 彼女たちには万全の計画と準備をして狩り場に臨んでもらわないといけない。俺は次のターゲット、二番目のホットスポットについて二人と話し合った。


 …………


「やっぱりレキウス君の知識は大したものね。ちゃんと聞いても同じことができるとは思えないわ。そう思わないサリア」

「知識だけ、ならそうですね」


 紙とペンが片付けられたテーブルの上には白いカップが三つ湯気を立てていた。狩猟計画についての話が終わった後、一服していくように勧められたのだ。


 さすが王女様のお茶会、カップが紙のように薄く白い磁器だ。横に置かれたのは虹色果実ファノレのはちみつ漬け。


 完璧な作法でお茶を飲む王女様は実に優雅で、とても魔獣相手に大立ち回りを演じたようには見えない。区長や表情もどこか柔らかく、唇を濡らしている蜜がなまめかしい。


 だけど俺には少し気になることがあった。


 磁器は失われた技術でグランドギルド時代の品、いわゆる骨董品だ。ファノレは採取産物の中でも珍重される果実だ。多くの果実が年に何度も取れるのに、ファノレの旬は年に一度だけ、それも短いのだ。


 二人はそれを当たり前のように楽しんでいる。テーブルで向かい合っていても住んでる世界の違いが感じられる。何よりも二つの贅沢品が並ぶとどうしても思い出してしまうことがある。レイラ姉から聞いた王家が贅沢の為に……という噂だ。


「こういった磁器は最近求められたものですか?」

「いいえ、おばあ様の代から使ってるものだけど、どうして?」


 普段は狩猟器を握ってるとは思えない細くて白い指でカップを持つ王女様がいった。


「いえ、とても立派なものだったので」


 答えにほっとした時、ドアをノックする音がした。


「失礼。リーディア君はいるかな。次の合同演習について打ち合わせがしたいのだけど」


 ドアが開き中に入ってきた男を見た時、思わず身を固めた。この前の演習で声だけ聴いた上級生だ。


 …………


「それにしても初陣で上級魔獣を狩るとは、これでは先輩として顔がありませんね。ぜひ武勇伝を聞きたいものだね」

「ありがとうございますデュースター先輩。幸いにも大物に遭遇したおかげです」

「これは謙虚な。確かに狩りは水物ですから一度の成果に一喜一憂することは……」


 名門の御曹司と王女様。優男と美少女の会話が入り口近くの窓際で続く。少し距離を置いて二人を見ているご令嬢。そして、俺はテーブルに広げられた次の計画の紙を整理している。


 次の合同演習に関しての打ち合わせという話だが、一向に始まらないな。絵にかいたような社交辞令が交わされている。


 にこやかな王女様はどことなく事務的な言葉に終始している。何より俺には、さわやかな笑顔のデュースター先輩を恐ろしく感じる。あの時の悪口を知ってるせいか?


 まあ、王女様も「たまたま大物に遭遇」なんて言ってたし。どちらも裏があるという意味ではおあいこなのだろうか。先輩を見るご令嬢もなんか視線が鋭いし。本物の上流階級の社交というのは恐ろしい。


 よし、資料の整理は終わった。なるべく早くこの場を離れた方がいいよな。


「そういえばそこの男子生徒は?」


 俺が腰を浮かせようとした時、デュースター家の御曹司が初めて気が付いたように聞いた。まさか、あの時のこと気づかれたとか……。


「ええっと、彼は……」

「私は演習での成績が悪くて。お説……その相談を学年代表であるリーディア様させていただいていました」

「身なりからして平民上がりか、なるほど。しかし、リーディアは忙しい身。あまり負担を掛けないように」


 そういうとすぐに視線を自分に相応しい身分の相手に戻す。ホッと胸をなでおろす。密談を聞いた相手とは気が付いていないようだ。平民上がりの落ちこぼれなんか眼中にないって感じだな。正直こちらとしてはありがたい。


「でも、彼は……」

「そうですね、気を付けます。さて、では私はそろそろお暇します」


 何か言いたそうな王女様にまとめた資料の紙束を見せてから、席を立つ。ホットスポットのことがデュースター家に伝わるのは避けたいはずだ。


「……そうね。次の演習はもっと頑張ることを期待するわ」


 すまなそうな王女様に頭を下げてドアに向かう。

 まあ、俺としても手に入った上級魔獣の髄液で早く実験がしたいし、ちょうどいい頃合だ。

 ドアを出ようとした時、アントニウスがテーブルのファノレを見て蒸留酒につけた特別な品があって、という話を始めた。蒸留酒なんてファノレ以上に高級品だぞ、それを果実をつけるのに使うとは、本当に優雅な話だな。


 俺は以前市場で見たデュースターの札が付いた巨大な魔獣を思い出した。まあ、実際に狩りの実力があるんだから仕方がないか。


 ただ、演習の時はあんな言い方をしていたくせに当たり前のようにリーディアと呼び捨てにすることに少しイラっとした。

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