第8話 大きな問題と小さな疑問

 演習から戻った夕方、俺は寮の自室で机に向かって頭を抱えていた。


 今日の演習は“色媒のテスト”という意味では間違いなく成功だった。俺が錬金術の知識と職人技術を使って精製した色媒は見事に実験通りの魔力伝導率を発揮、中位魔術の盾剣バッシュ・ソードを発動させた。本来なら中位魔術を使うなんて不可能な俺の低い魔力でだ。


 しかも、まぐれ当たりとはいえ中級魔獣を倒すというおまけ付きだ。色媒として間違いなく使えたのだ。


 卒業、つまり騎士資格の取得条件である中位術式は必要な魔力が大きく、俺の魔力量では普通は足りない。魔力の必要量は色媒の魔力伝導率が上がれば減るので、高い魔力伝導率の色媒が必要だ。


 だが、高い魔力伝導率の色媒は強力な魔獣の髄液から作られ、強力な魔獣を狩るためには強力な触媒で強力な魔術を使う必要がある。


 簡単に言えば、俺が中級魔獣を狩るためには上級魔獣を狩れなければいけないということだ。もっと簡単に言えば、俺は絶対に騎士としてやっていけない。


 そこで考えたのが中級魔獣の髄液を錬金術で精製することで魔力伝導率を上げるという裏技だ。中級魔獣の髄液を精製して上級魔獣相当の色媒にできれば、中級魔獣を狩ることで次の中級魔獣を狩る色媒が準備できるという、普通の騎士と同じことができるのだ。


 さっき言ったように、この計画は錬金術という意味では成功した。もちろん、精製の過程で色媒の量が数分の一になってしまうのは頭の痛い問題だが、それは錬金術上の工夫の余地がまだあるはずだ。


 問題は錬金術ではなく魔術の使用者、つまり俺自身にあった。


 術式を維持し、使用するための最低必要魔力が予想以上に厳しかったのだ。発動した術式の維持の為だけに、俺が体内で生み出せる魔力のほとんどが用いられてしまう。安定した持続力が持ち味の緑魔術でこれは致命的だ。


 しかも、魔獣にダメージを与える時には魔力結晶を一つ丸々消費した。あれは万が一の為に学生に持たされている保険、最後の手段だ。普通は避けられない致命的な攻撃から身を守るために使う。


 つまり、俺にとって魔獣との実戦は、相手に粘られたらそれだけで自滅。攻撃を一度外したらそれでおしまい。それも、魔力結晶を消費して。これは狩りではなく一回一回が命がけのギャンブルだ。


 これで中位魔術を使いこなしたといってくれる教官はいない。卒業試験は何日にもわたる演習形式で、中級魔獣を間違いなく狩ることができる力を求められるのだ。


「ここまでだって結構綱渡りだったんだぞ」


 机の上にわずかに残った精製色媒を見てため息をつく。


 顔を上げて低い天井を見上げる。目を閉じる。


 今まで繰り返し何度も見た悪夢、森の中で両親が魔獣に襲われる姿、それが途中でレイラ姉と親方に入れ替わった。ちなみに現れた魔獣はあの魔狼ダイアべロスだ。


「絶対にダメだ!! 何とか方法を考えないと」


 まず考えられることは地道に魔力運用を磨くことだ。魔力量は才能であり努力では殆ど伸びないが、運用は訓練することが出来る。同級生たちが放課後の自主練習などでやっているのは主にこちらだ。


 今回は術式に魔力を通しきることで精いっぱいでコントロールどころではなかったが、少しずつ慣れて行けば……。でも、術式の維持すら青息吐息だった俺がどこまで改善できるだろうか?


 下位魔術の経験から考えると期待薄だと言わざるを得ない。ましてや攻撃するときに込める魔力なんてどうしようもない。


 それに、現状の精製色媒の収量では練習の為の量を確保するのも厳しい。前回の実験で、調整の手伝いで出た余りはほぼ全部使った挙句、焦げ付かせてしまった。


 となると次は術式の選択だ。中位の中でも規模の小さな術式を選択する。だが、こちらも望み薄だ。盾剣はそれも考慮して中位の中では小さめの術式を選んでいるのだ。あれ以下の術式もあるが防御や補助に偏っていて、単独で動く俺には向かない。


 どう考えても当たり前のやり方で届くイメージがわかない。ただでさえ色媒の精製に賭けて二年生も半分まで使ってしまっているのだ。これまでの成果を活かす方法を考えないと……。


 手持ちのサンプルを確認するために、机の中のものを出す。今あるのは俺がコツコツ狩った小魔獣の髄液、調整の手伝いで溜めた下級魔獣の髄液のわずかな残り、それに……。


「そういえばこれがあったな……」


 今日の予想外の成果だ。中級魔獣であるダイアべロスの髄液だ。後は魔力結晶。錬金術には結晶を扱う実験もあるが……いや無謀すぎる。色媒の精製が上手くいったのは染料職人としての経験があったからだ。そもそも、これは万が一の為、もう二度と御免だが、に取っておかないといけない。


 机の上に並ぶ各種サンプル、そしてこれまでの実験ノートを読む。


 これまでの苦労の結晶。繰り返し工夫した結果が何ページにもわたって書かれている。これじゃまるで騎士見習じゃなくて錬金術士見習だな……。


 何度もノートを見直したが、何も思いつかない。気が付いたら触媒の収量を上げるための手段を考えていた。


「クライドが色媒のトレードがあるみたいなことを言ってたし。いっそのこと色媒精製で商売するとか……」


 騎士をあきらめていわば色媒職人になって、そのお金で……。不確定要素が多すぎる。そもそも、魔力伝導率が三倍になっても量自体は三分の一以下になるのだ。


 大体、魔力素材を扱うには騎士でなければならない。平民が扱うのは禁制だ。騎士に成れなかった俺がそんな商売をやろうとしても、技術も知識もすべて奪われて終わりだ。


 騎士になれない俺は平民、よくて文官だ。騎士様と交渉する権利なんてないのだ。


 ………………

 …………

 ……


 頭を上げると夜が白んでいた。机の上が散らかっただけで、何も考えが進まなかった。そろそろ学院に行く準備をしないといけない時間だ。


 俺は机の上を片付け始める。各種髄液の粉末や精製した触媒を順番通りに並べる。覆いをかけようとしたところでふと手が止まった。


 ………そういえば?


 浮かんだのは今の問題はとは無関係の、まったくもって素朴ともいえる疑問だった。色媒を錬金術で精製して魔力伝導率を上げることができる。それも、色媒ランクを超えるほど。それは下級以下の色媒と中級色媒で確認された。おそらく、下級色媒でも同じことができるだろう。


 だが、一つおかしなことがあることに気が付いたのだ。


「下級を中級に、中級を上級に出来るんだよな。…………なら、もし上級色媒を精製したらどうなるんだ?」


 頭の中にいくつものアイデアが弾けた。俺は机の上に一年の時の魔術基礎のノートと、書庫の教科書原本の写しを広げた。確か原本の最後にあったはずだ……。


 △  ▽


 放課後になるや俺は教室を飛び出した。


 自主練習の為にグランドに急ぐ学生たちに逆行して校舎の裏側に向かう。目的地は裏庭に突き出すように立っている六角形の建物、資料室だ。


 資料室は中央に閲覧用の机、周囲の壁に資料が積まれた棚が並ぶ。棚には獣皮紙で作られた巻物が積み重なる。最初これを見た時はあまりに膨大な文字の山にびっくりした。


 表にあるこれらの資料は猟地の地理、魔獣の生態、そして狩猟の記録など基本的に狩猟に絡んだものだ。学生が狩猟計画を立てる為に主に使われる。演習前に地理や魔獣の記録を調べて、所定の形式でまとめ、演習前にそれを教官に提出するのだ。


 俺が演習の時にいつも持っている地図なんかがそれだ。まあ、俺ほどしっかり調べる人間はまずいないけどな。大体が演習前にここに飛び込んで適当に調べて形式だけ埋める感じだ。だから、演習明けの今日なんかは人気が全くない。


 ただ、俺の目当てはがらんとした閲覧室ではない。


「すいません。書庫の鍵を貸してください」


 古い本を読んでいる司書の爺さんに声を掛ける。突き出された書庫の鍵を手に取る。この人は相変わらずだな。まあ、この歴史好きの変わり者のおかげでいろいろ助かってるんだが。


 図書館の奥に向かう。ギイという音のなる扉を開けると、それまでとは違う埃っぽい空気が鼻を突いた。人ひとりが通るのにやっとの通路、その壁に棚が一列に並んでいる。棚に並んでいるのは巻き込物ではなく獣皮紙を閉じた“本”だ。


 この本という形式はグランドギルド期の書物の特徴だ。リューゼリオン猟地をはるかに超える範囲の大陸の地図、ここら辺にはいない魔獣の記述などもある。今日の俺の目当て、教科書の“原本”もここにあった。


 俺はお目当ての本を手に取り、奥に向かう。


 さらに奥には獣皮紙とは明らかに材質が違う紙でできた本が並ぶ小さな棚がある。色が褐色で端が丸まってしまっているこれは、植物で作られている紙らしい。いわゆる旧時代のものだ。実際にはグランドギルド時代の“魔術師”が集めたコレクションだったようで、草を育ててその実を食べていた時代の記録だ。


 ちなみに錬金術の本を見つけたのはここだ。変わったものでは昔の料理書なんてのもある。麦の食べ方でも載ってるのか?


 詐欺といわれた錬金術といい、その魔術師はよほど奇矯な趣味の持ち主だったのだろう。まあ、おかげで俺は錬金術を知ることができわけだが。


 っと、今は錬金術きゅうじだいじゃなくて教科書の原本の調査だ。


 細長い書庫の突き当りには小さな机と椅子がある。背伸びをして明り取りの窓を開け、机に腰掛ける。そして、先ほど棚から引き出した本、『魔力原理 第一巻』を広げる。


 これは俺達が使っている教科書の原本だ。そして、今日ここに来たのはこれに書いてある特別な術式を求めてのことだ。


 そう失われた白魔術の術式だ。

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