第6話 実験成功

「やっぱり水はすべての基本だよな。もっと早く気付くべきだった」


 夜、寮の部屋で実験を終えた俺は大きく息を吐きだした。


 机の上には赤、青、緑の粉末がある。精製を終えたばかりの色媒だ。粉末のきめはとても細かく、鮮やかとまではいかなくてもしっとりとした色合いは規格以下の小魔獣の髄液からのものとは思えない。


 色だけじゃない、実際に魔力伝導率も高い。小魔獣の髄液を通常の【調整】をした場合の伝導率が小目盛り『3』、これまでと同じ水で【精製】した場合が『5』程度だった。ところが、レイラ姉からもらった工房の一番井戸の水を用いて【精製】した今回はなんと『10』、つまり大目盛り一つ目まで到達した。単純計算なら魔力伝導率が三倍になったことを意味している。つまり、等級が一ランクアップだ。


 問題だった一度使っただけで曇ってしまうという安定性の問題も解決した。三度魔力を通しても色は綺麗なままだ。


 やっぱりこの一月の停滞は『水の硬さ』が原因だったようだ。しかも、水のせいで精製が上手くいかなくなるのと、実験精度が上がるのが同時並行に起こっていたらしい。


 つまりここ一月は坂道を上がっていたようなものだ。


 希望が出てきた。やっぱり魔力と違って錬金術は工夫次第で伸びる余地があるんだ。よし、とりあえず基本的な精製手順はこれで決まりだ。いよいよ本番にうつろう。


 俺は引き出しの奥から取って置きのサンプルを取り出した。


 これまでの実験は予備実験。魔獣の髄液を錬金術で精製することで魔力伝導率を高めることができるかどうかの確認だ。三倍とはいえ、下の下をなんとか下位術式に使える程度にしただけだ。


 小魔獣の髄液で下位術式用の色媒を得られるというのは、下級魔獣を狩れない俺にとっては練習材料としては意味はある。

 でも、そもそも目的は俺の魔力でも中位魔術を使えるだけの魔力伝導率を持った色媒を、上級魔獣を狩るなんて無茶をせずに作り出すことだ。


 つまり、本番は中級魔獣の髄液の精製だ。


 厳重に封をして保存しておいた瓶を開く。中にはさっき精製した触媒よりも綺麗な緑色の粉末がある。緑の中級魔獣の髄液を乾燥させたものだ。クライドの依頼で上級生から触媒の調整を頼まれた時、瓶にこびりついたものを集めておいたものだ。


 別に中抜きしたわけじゃない。依頼されたものは丁寧に調整して、普通と変わらない量を渡している。ちゃんと目の前で向こうの器に注いで渡した。ただ、手元に残った触媒がこびりついた瓶を持ち帰ってもう一度乾燥させただけだ。


 貴重なサンプルなのでいつも以上に慎重に精製をする。ランクが違うと一から手順を見直さないといけないかもしれないという心配があったが、実験は問題なく終わった。机の上で乾燥した精製色媒は目の覚めるような緑色だ。


 染料ならこれで布を染めたらさぞかし綺麗になるだろうなと思うくらいだ。色だけなら一度授業で見せられた上級色媒並みに見える。魔力伝導率を測ると期待通り大目盛三つ目を超えた。


 とはいえまだ喜ぶのは早い。色媒の価値は最終的には使ってみないと分からない。


 色媒で描く術式スペルは魔力伝導率の測定器のような直線ではない。複数の記号が組み合わさる。その交差点や曲がりの部分で魔力が抵抗を受ける。だからこそ、複雑になればなるほど伝導率が高い必要があるのだ。


 そして、魔術は術式の全てに魔力が通り切らなければ発動しない。あの王女様のように魔力がけた違いに強ければ押し切ることもできるが、俺にはまず無理だ。


 問題は色媒で描く術式の選択だ。まずは無難に下位魔術の術式スペルで試すつもりだったのだが、出来上がった精製色媒を見て気が変わった。


 学院は当然都市の結界内にある。結界が魔獣を寄せ付けない理由は魔力の効果を打ち消すからだ。ドームから離れた地上でも、高位魔術ほど結界の干渉を受ける。中位魔術以上は結界内でテストが難しいのだ。


 明日を逃したら次の演習は半月以上開く。ただでさえ時間が惜しい。ここはレイラ姉からもらった水を信じて賭けに出よう。


 俺は術式手本書を捲り、前から使ってみたいと思っていた術式のページを開いた。



 …………



 見事に晴れた空の下、俺は演習地近くの船着き場で船から降りた。


 いつもは気が重い演習だが、今日に限っては少しわくわくしている。明け方近くまで実験していたことによる睡眠不足も気にならない。鞘に収まった鈍い銀色の棒、二年生で使ってるのは俺だけの練習用の狩猟器が頼もしく見える。


「珍しく気合が入ってるじゃないか。リーディア様に叱られていよいよ尻に火がついたか」

「ま、まあ、そんなところかな」


 狩猟器の柄を握った俺を見つけたクライドが話しかけてきた。俺は口を濁す。さすがに今の段階で言うわけにはいかないよな。


「それより、俺が説教食らったなんてつまらないことが噂になってるのか。そうだ、噂と言えば王女様のパーティー募集はどうなった、あの後の話を聞かないじゃないか」

「ああ、あれはな……。実は誰も応募していない」

「あれだけ騒いでいたのにか?」

「二つ理由がある。一つ目は要求の高さに応募できる人間がそもそもいない。少なくとも俺たちの学年には。何しろ準騎士の資格がいる」

「おいおい、準騎士資格って早くても三年生の後半じゃなかったか?」


 準騎士とは文字通り正式な騎士に準ずる資格だ。演習ではなく、自分で狩りに出ることができる。四年の卒業までに取れない生徒は半分を超える。これを取るのが早いことがエリートの証なんだが、それでも早すぎるだろう。


「リーディア殿下は来週には準騎士だそうだ。学院始まって以来だそうだ」

「そりゃそんなの誰もついてこれないだろ」


 パーティーを組んでも一緒に行けないんじゃ意味がない。そういえば前回の演習、二人で中級魔獣を狩っていたか。これじゃ下々は夢も見れないじゃないか。


「でも、そうなると上級生と組むのか? 準騎士同士なら学年関係なくパーティーを組めるんだったか」

「……それが二つ目だ。まあ、こっちはあんまり大きな声では言えないんだけどな」


 クライドは左右を確認して声を潜めた。


「三年生、四年生に立候補しないように圧力がかかってるって噂だ。騎士院のさる名門からだ」

「騎士院のお偉方が学生のパーティー募集に圧力? なんだそりゃ?」

「だから言っただろ、王家と騎士院の間にはいろいろ軋轢があるって。そもそも王家は都市の管理者で騎士院は猟地の管理を担当する。立場が違うんだよ」

「でも、王様だって騎士……。ああ、そうか」


 この前レイラ姉から聞いた「狩りに出られない王様」という言葉が思い出された。


「その名門にとっては王家が騎士院に口出ししない今がやりやすいってことか……」

「将来の騎士なら誰も騎士院には睨まれたくない。縄張りの裁定で不利になったら狩りが出来ないからな」

「ヤバい話だってことは分かったよ」


 王家と名門の軋轢なんてそりゃ誰も巻き込まれたくないだろう。俺だってぞっとする。


 まあ、平民出身者には雲の上過ぎる話だけどな。クライドのように普通の騎士の家は親戚関係から派閥の繋がりまで色々あるのかもしれないけどな。


 ただ俺には一つ引っかかることがあった、そういった雲上の権力争いが下町に影響している可能性だ。


「なあクライド、ちょっと聞きたいんだが。この前の里帰りの時……」


 市場の景気の話をした。役人が大商人の横暴に目をつぶっているという話だ。クライドは話を聞くと少し難しい顔になった。


「……都市の管理は王家直属の文官団がやってる。だけど、文官の中にはいわゆる文官落ちがあるだろ。つまり、裏で元の家とのつながりは残っている人間は多いんだ。それに騎士院には監査委員といって側面から文官を監視する仕組みがある。影響が出てもおかしくないな。そうかそこらへんも……」

「やっぱりか」


 王家でもデュースター家でもいいから、頼むからちゃんと管理してくれ。


「皆よく聞け。今日の演習についてだが……」


 教官の声が耳に届いた。気が付くと演習地が前に広がっていた。同級生たちは既に教官の周りに集まっている。俺たちは慌てて口を閉じ、足を速めた。


「今日の猟区では少し奥に行っただけで魔力が濃くなる。強力な魔獣との遭遇の危険を避けるため、我々が巡回している範囲を決して超えないように」

「一人で大丈夫か?」


 自分のパーティーを待たせてクライドが言った。


「いつも通り無理はしないよ。この通り事前調査はばっちりだ」

 自前の地図を出した。地形、季節などの情報から想定される魔獣のリストまで、今日の演習区画の情報がびっしり書き込んである。危険な領域は一発でわかるように赤いバツでマーク済みだ。


 今日の演習地にはこの前みたいに魔脈が複雑な動きをする場所はないし。


「いつもながら予習だけは万全だな」

「命が掛かってるからな」


 俺がそういうとクライドは肩をすくめた。そして自分のパーティーに合流するために離れていった。



 …………



 同級生を離れ、森の中に入り込む。こっち側は三年生の演習区域との境界に近い。上級生の領域はいわば掃討済みで、めぼしい獲物は既に狩られている。その上、横に逸れたらさっき言われていた危険地域だ。


 要するに、俺が精製魔力色媒を試すためには格好の場所ということだ。


 周りに誰もいないことを確認して、柄のカバーから狩猟器を抜く。術式の鮮やかな緑の色合いに思わず頬が緩んだ。術式自体もこれまでのただ魔力を流して強化するという下位にも満たない物と比べたら、けた違いに複雑だ。


 〇と△の二つの領域を組み合わせた形の術式は名を盾剣バッシュ・ソードという。緑の魔力の性質である持続力を利用した攻防一体の魔術で、単独で行動する俺には最適の選択だ。


 中位術式を使うからには、まともな騎士見習なら相応しい獲物を探すところだろう。


 だが今回の演習はあくまで錬金術の実験の延長だ。精製色媒の初めての実地テスト。ぶっつけ本番でまともに動くと考えるほど楽観的じゃない。ただでさえ、かなり背伸びした魔術を選択しているからな。


 狙いは魔術の発動を失敗しても十分逃げられるような弱い魔獣、つまりいつもどおりの小魔獣だ。まあ、今日に限っては下級魔獣くらいなら……。いやいや、油断は禁物だな。いざって時に術式が断絶ショートしたりしたら目も当てられない。


 周囲に気を配る。予想通りまともな魔力反応は皆無だ。小さい魔獣を見逃さないように、太い木々の間を進む。おっ、あそこら辺の藪なんかは鼠が巣穴を作るのにはちょうどいい場所だ……。


 俺が鼠の巣穴に狩猟器を構えて近づこうとした時、前の方に生えている大木の向こうに複数の強い魔力を感じた。一瞬身構えるが、形から人間の物だとわかって緊張を解いた。魔獣はほぼ全身に魔力を纏っているのに対して、人間は体の中央心臓の方に集中するから見分けがつくのだ。


 ちなみに俺くらい魔力が小さいと森の中なんかではなかなか気づいてもらえなかったりする。


 微かに話が聞こえてきた。上級生らしい五人の男子生徒が大木を背に話をしているらしい。三年生の演習区画はもう少し先のはずだけど、大事な演習でさぼりか?


「……の計画は順調だろうな」


 どこか冷たさを感じさせる声、三年生の演習で学生に指示を飛ばしているのを聞いたことがある。そうだ、三年生の学年代表の確かアントニウス先輩だ。名門デュースターの御曹司。


 学年代表がさぼり? いや、計画とか言ってるからこれからの演習のことを話し合っているんだろう……。


「めぼしい人間にはすべて釘を刺し終わっています」

「それに、仮に本人がおかしなことを考えたとしても家が許しませんよ」

「平民上がりはどうだ。大抵が取るに足らん魔力しか持たないが根無し草の分、王家に頼る傾向があるだろう」

「三年にもなれば情勢は理解してますよ。昔はともかく今の王家についていっても騎士としての未来はないってね」


 違った。これもしかしてクライドの言っていた王家と騎士院の軋轢云々の話じゃないか。勘弁してくれ。彼なら嬉々として情報を集めるのかもしれないけど、俺は御免だ。


 とっととこの場を離れよう。そう思ってゆっくりと後ずさりをした時だった、


「とにかくリーディアを孤立させろ。じゃじゃ馬の心が折れたところで俺が手懐ける」


 突然出てきた同級生の名前に思わず足が止まった。悪いことにちょうど転がっていた枯れ枝を踏んでしまう。


「王家の血筋さえ手に入れれば名実ともにリューゼリオンは…………だれかいるのか」


 言葉と共に、立ち上がる音がした。「王家の密偵か」なんて声が聞こえてきた。


 後ろも見ずに走った。雲上の権力争いなんか興味ない。こっちは自分と、そしてあなた達と王家の争いに巻き込まれるレイラ姉たちを守るのだけでもギリギリなんだよ。

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