閑話 騎士たちの宴

 夕方が終わる時刻。王宮の二階はバルコニーにまであふれる光で迫る夜を押し返していた。


 光を湛える燭台シャンデリアの下、白く滑らかな蜘蛛絹スパイダー・シルクの布を多彩な毛皮で飾り付けた男女が集い、宝石に飾られた指に杯を持ち歓談している。


 その周囲には灰色の給仕服の王宮使用人が動き回り、料理や酒の補充に忙しくしている。


 会場中央には大木を輪切りにした二つのテーブルと、それを囲むように小さなテーブルが並ぶ。大皿には豪華にして野趣あふれる料理が置かれている。様々な果実を丸ごと煮込んだソースの上に、湯気を立てて油吹く巨大な肉が乗っているのは壮観だ。大皿の周囲には付け合わせや果実酒が置かれている。


 今宵は騎士達が狩猟の成果を祝う季節の宴だ。主催は王家で列席者は騎士院に席を持つ有力者ぞろい。宴に供されている肉は彼らの猟果の中でも特に自慢の獲物だ。


 つまり、この豪華な宴は一皮むけば有力な騎士が己の力を誇示し合う場ということになる。


 手前の大テーブルは騎士院を代表する名家、デュースターの提供だ。皿からはみ出さんばかりに巨大な肉塊は立派だ。分厚い外殻ごと焼き上げられた赤身肉は、青の上級魔獣である大鎧水牛の物。特に希少なヒレの部分を供していることで、元の獲物の大きさを誇示するという演出だ。


 一方、奥の大テーブルの皿の上には赤い羽根で周囲を飾られた大陸鳥が丸焼きにされている。脂ののった白い肉からは刷り込んだハーブのかぐわしい香りが立っている。ただし、二羽が左右に並んでいることからわかるように中級魔獣でしかない。主役を補うように盛り上げられた果物の盛り付けが王宮料理人の苦労をうかがわせる。こちらは主催者である王家のものだ。


 料理の差がそのまま勢力を現す。デュースターのテーブルには多くの人間が集まり、王家の方は人もまばらだ。


 そんな奥のテーブルで唯一華やかなのは前に立つ赤毛の少女だ。純白の布地を惜しみなく朱に染めた十六歳の姫、王家の一人娘であるリーディアだ。若い娘らしく胸元や背中の開きは抑えめだが、それがむしろ咲きかけの美しさを強調している。何より印象的なのは彼女の瞳の光、楚々とした立ち居振舞いに反する意志の強さを示していた。


 彼女の前に手前のテーブルから男が近づいてきた。騎士院の名門デュースター家の当主だ。青い鱗で裏打ちされた上衣は東方の海獣のもの。指を飾る宝石は真珠とサファイアを合わせたものだ。優美な品はそれ自体は優れていたが、細い顎髭のやせ型の体型にはいささか大仰に見える。


 ただし、彼の騎士としての実力は決して低くない。テーブルの獲物は彼をリーダーとした狩猟団によって狩られたもの。実際にやせ型の体に宿す魔力はこの場の多くの騎士を凌ぐ。


 ただし、最近は狩りより騎士院内の勢力扶植に熱心だというもっぱらの噂ではあるのだが。


 そんな男がにこやかな笑顔を作り、少女に話しかけた。


「聞きましたぞ。早くも準騎士となられるとか。入学後二年を経ずしてとは、王家の将来は安泰ですな」

「ありがとうございますデュースター卿。そうですわね、次の季節には私が狩った獲物で皆様をもてなしたいと思っています」


 意味ありげに彼女の後ろのテーブルを見る男に、リーディアは礼儀正しく、そして挑戦的な言葉で答えた。男に向ける視線は強気な光を隠していない。


「ははは。さようさよう。森で獲物を追うのは騎士の誉れにして義務ですからな。ますます頼もしい」


 若輩を顧みない発言は男を一瞬鼻白ませた。だが、名家の主はすぐにそれを笑顔で飾る。むしろ、若者をいたわるような表情を作ってみせる。


「しかし、姫は王家の一人娘。無理はどうかお控えあれ。お前もそう思うだろうアントニウス」

「はい。その美しいお姿に万一のことがあればと考えると、このアントニウス心配でなりません」


 芝居がかった仕草で父親の言葉に応えたのは、やはり青を基調にした服を洗練された着こなしで纏う彼の息子だ。髪の毛を撫でつけた名門の若き美丈夫は宴の令嬢たちの視線を集めるに足る。


 リーディアと同じくまだ学院生だが、三年になってすぐに準騎士の資格を取った力量は父親以上といわれている。


 リーディアにとっては一年上の先輩であり、学年代表同士でもあるため、学院の行事の為に話すこともある間柄だ。

 

「そもそも女性はどうしても狩りに出られぬ期間もある。ここはお早めに婿を迎えられることも考えられては? 優れた騎士の血をより多く残すのも大事な勤めですぞ」

「ご心配ありがとうございます。そうですわね。今は騎士としての修練に精一杯ですが、卒業した後にはよく考えたいと思います」


 デュースター卿は周囲の視線を意識してか軋みそうな表情を何とか保った。父親に代わって息子が前に出た。彼は優雅な仕草で一つ年下の少女に右手を差し出す。


「将来リューゼリオンを支える使命を持った者同士。踊っていただけませんか?」


 リーディアは先輩の手ではなく彼の背後を見てから優美な笑みを作った。


「まあ、アントニウス先輩。私が先輩の相手をしては後ろで待つ多くの女性たちから恨まれてしまいます」


 親子の顔が歪んだ。


「デュースター卿。今宵の宴への土産、痛み入るぞ」


 険悪な空気が醸成されようとした時、リーディアの後から隻腕の男が現れた。主催者の席から立ち上がったリューゼリオンの王だ。リーディアの父親は、七年前に失った片腕をマントで覆っている。


 マントにはいくつもの巨大な赤い鱗が縫い付けられていた。火竜の鱗。騎士には決して勝てないとされる超級魔獣に挑み、撃退した武勲の印である。


 赤と青の衣装の二人の男は、さっきまでのやり取りがないように一見は平和に、話を始めた。


 …………


 酒が回った参加者の喧騒を離れリーディアはバルコニーに出ていた。星の光に照らされたその白い頬を夜風が撫でる。背後の扉をサリアが守るように立つ。


 彼女はベランダの端まで歩き、城壁に囲まれた夜の街とその先の暗い森を見る。そして小さく息を吐いた。


 都市の管理者である王家と、猟地における狩りの縄張りを管理をする騎士院。立場の違う両者は補完し合うと同時に、対立関係になる。ただし、王も騎士の一人であり、歴代の王は騎士院においても一定の勢力を持ってきた。


 そのバランスが崩れたのは七年前だ。彼女の父が火竜との戦いで片腕を失い、狩りに出ることが出来なくなったのだ。しかも、王と共に出撃した王家に近い騎士も多く傷つき引退したり亡くなった。


 王家が騎士院における勢力を弱めたことに付け込んだのが先ほどのデュースター家だ。もともと騎士院の最有力者だったが、縄張りを自派に有利に裁定することで騎士院における競争者たちを退けた。今や、はばかることなく王家の縄張りを削り、ゆかりの騎士を切り崩しつつある。


 彼らがさらなる権勢、つまり都市自身の支配権を望み、その手段としてリーディアに目を付けていることは明白だ。デュースター家長男であるアントニウスが彼女の夫となれば次期王は彼で決まりだ。


 つまりリューゼリオンの全てがデュースターのものになるのだ。


 彼女は自分が政治的存在であることなど生まれた時から知っている。それでリューゼリオンがよくなるのならば、歯を食いしばって己が人生をけっして望まぬ相手に委ねることも覚悟の内ではある。


 だが、あまりに横暴なデュースターのふるまいを見るにつけ、彼らが完全にリューゼリオンを支配することが良い未来をもたらすとは思えなかった。特に、騎士の何倍もの平民が住む都市を任せることができるとは思えない。


 リューゼリオンの全てにとって天災ともいうべき火竜襲来の危機において、王家にすべてを押し付け、むしろ自家の利益としたデュースター家にリューゼリオンを支配する資格はない。


 そして何よりも……。


「あの時、あいつらがもっと協力してたら……」


 リーディアが奥歯をかみしめんばかりに呟いた。七年前に失われた王家の騎士の中には彼女の母親も含まれる。


「私が狩猟者きしとしての力を示す。王家の縄張りを取り戻せばすべて解決だわ」


 学年始まって以来の二年生での準騎士資格の獲得という快挙も、彼女にとっては通過点に過ぎない。彼女には間違いなく騎士としての実力がある。彼女にとってそれは強い自負だ。


 だが、狩りというのは個人で行うものではない。


 彼女の狩猟団は幼馴染のサリアとの二人ペア。通常五人、少なくとも三人で組まれる狩猟団に足りない。それだけではない、狩りは獲物をみつけられなければ始まらない。


 広い森の中で獲物を、それも大物と呼ばれる数少ない魔獣を探すためには良い縄張りを抑え、しかも縄張りの魔獣について情報を集める必要がある。そういう意味でも騎士院を牛耳り多くの騎士を影響下に置いたデュースターの力は強力なのだ。


「せめてあと一人、緑の使い手がいれば……。でも、めぼしい学生はデュースターを恐れてる。やっぱり二人で実力を示すことが先決よね。今残った王家の縄張りの中で何とかそれをしないといけない……」


 彼女は天を仰いだ。


 結界越しの星空に浮かぶ満点の星にしばし見とれる。だが、雲一つない夜空を見上げるリーディアの紫の瞳が曇った。夜空にひときわ目立つ赤青緑の三星。魔術の象徴である三連星だ。今、その中で赤い星の色が瞬いたのだ。


 それは星の光の変化が原因ではないことを彼女は知っていた。


「また不安定になってる」


 実はデュースター家以上に王家を悩ませる大問題があった。しかも、騎士院における政治よりもさらに深刻だ。何しろ問題の根本は五百年前にさかのぼり、現在の騎士には手が届かない領域にあるのだ。


 実際、彼女の父が今一番力を入れているにもかかわらず、解決の糸口すらつかめない。救いは、少なくとも当面は表面化しないであろうということだけ。


「ううん。弱気になっては駄目。私が騎士としてリューゼリオンをまとめる。そうすれば……」


 星空の下で一人決意を固める少女。だが、その姿に先ほどの宴ほどの強さはなかった。

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