第5話 里帰り
騎士学院の寮からは朝焼けに染まる街がよく見える。結界の形に合わせた円形の都市は、同じく円形の運河により内側と外側に区切られる。
今俺がいる騎士学院があるのが内側、騎士の街だ。あの王女様の住む王宮が中心にあり、それを取り囲む白いお屋敷の数々は騎士院に席を持つような有力な騎士の家だ。例えば王女様の側近であるご令嬢サリアのベルトリオン家はその一つ。
その中でも王宮に次ぐ大きさを誇るのはデュースター家の大邸宅で、真新しい姿を誇示している。ここに来た二年前にちょうど建築を始めていたのを覚えている。
そういったお屋敷の周りを囲む庭付きの一軒家は一般的な騎士の家。廊下で俺と話したクライドなんかの家だ。
騎士の家の外側から運河までの灰色の小さな家々は王宮や騎士に仕える文官や使用人の物だ。昔の俺にとっては怖いお役人様の家で、運河のあちらから見た時は小綺麗で立派に見えたが、こちらから見る印象が変わる。
ここまでがいわば支配する側の街。そして、運河の向こう側は支配される側。茶色の家々が並ぶ平民の街だ。一番目立つのは運河にかかる大きな橋の向こうにある市場で街の物の流れの中心だ。市場を中心に運河に沿って水車や煙突を持つ職人工房が並ぶ。
内と外の一番の違いは税金だ。内側は無税。魔獣を狩ることが最大の貢献だからだ。一方、平民は都市に住まわせてもらっている立場。全員が人頭税を納めなければならない。商人は商売の儲けで、職人は自分たちの作ったものを売ったお金で税を払う。
この人頭税が払えないと都市から追放になる。平民が森の中に放逐されて生きる道はない。採取労役は税金を払えない平民に税金代わりに課せられる。
今から俺が向かうのは外側だ。いわゆる里帰り。俺が十五年前に生まれ、二年前まで暮らしていたのはあちら側だ。
両親は醸造酒を蒸留する職人だった。蒸留酒は騎士御用達で、王宮の宴に使われるような高級品だ。おかげで豊かとはいえないが平民の中では悪くない境遇だったと思う。だがそういった高級品を作るということは、決して逆らえない客からの無茶が降ってくることでもある。
七年前、俺が八歳の時、両親は取引先の商人からの急な注文のため、採取労役者について燃料を取りに森に向かった。運が悪かったというべきだろう。ちょうどその時、火竜がリューゼリオンの上空に現れたのだ。留守番していた俺も結界上空を舞う巨大で凶暴な姿と空を焼く炎を今も覚えている。
竜は上級魔獣を超える超級魔獣だ。どれだけ強い騎士でも倒せない。火竜を防ぐため閉じた結界により街の外に多くの人々が取り残された。火竜襲来と呼ばれ、七年たった現在でも影響を残す大災厄だ。
竜が出現して二日後、当時王位を継いだばかりの国王、あの王女様の父親だ、が自らの狩猟団を中心に多くの騎士と共に出撃した。そして自らも片腕を失いながら王家伝来の宝剣で火竜を何とか“撃退”した。学院入学までの準備期間に何度も聞かされた英雄物語だ。
だが、火竜が去った時には外に取り残された多くの平民は森の魔獣の犠牲になっていた。魔獣と戦う力のない平民が死ぬのに火竜に直接遭遇する必要なんかない。そしてその中に俺の両親もいた。
両親を失った俺は本来なら孤児院に引き取られるはずだった。将来多くが採取労役くらいしか道がない。だが、そんな俺を引き取ってくれたのが父親の友人だった染料工房の親方だ。酒好きで頑固だが気のいい男で、親父から秘かに蒸留酒を融通してもらっていたらしい。
俺は染料職人の見習として修業を始めた。親方には筋がいいと褒められ、後を継ぐかなんていわれたこともあった。まあ、これは多分に俺をかまう一人娘をからかうための冗談だったけど。
それはともかく、仕事は嫌いじゃなかったし、いい職人になって工房を俺の力で大きくして恩返しなんてことも考えていた。レイラ姉にいいとこ見せたいって気持ちも多分にあったけど。
だが、下町で魔力のテストが全てを変えた。十二歳の人間が全員受けることになるが、魔力があると判定されるものなど百人に一人だ。だが、俺はその百人に一人に、ギリギリ引っかかってしまった。
魔力を扱える資質があると判定された者は騎士学院に入学するのは義務だ。選択肢はない。こうして俺は運河の内側に来ることになった。
あとから知ったことだが、俺の魔力は平民出身者の中でもさらに低く、一昔前なら学院に入ることはなかったらしい。ただ、七年前の火竜襲来で優れた騎士を多く失ったリューゼリオンは数で補う必要があった。つまり、俺がこっちに連れてこられたのも火竜の影響というわけだ。
まあ、火竜の襲来なんて天災以外の何物でもない。文句を言っても仕方がないことだ。もっとも、こちらに来た当初は強い騎士に成って両親の敵討ちなんてことも考えていた気がするかな。
現実を知らないにもほどがあった。今の俺じゃあ下級魔獣すら倒せない。
寮から出て白く綺麗な街を歩き運河についた。橋を渡ると、周囲は木と土壁の茶色の建物になる。内側に移って二年たったがこっちの光景の方が落ち着く。
平民街最大の施設である市場だ。騎士が狩った魔獣と労役者が採取した森の産物を取引する場所で、その為に運河に面している。
市場の中心は魔獣の競り場だ。今も競りの最中らしく裕福そうな商人が集まっている。
「すごいな、
黒い体表に赤い流線型の模様の巨大魔獣が横たわっている。めったに狩られない上級魔獣に思わず札を確認する。首に付いた札はデュースターの家門だ。騎士院を代表する名門の面目躍如と言ったところか。あの屋敷が建つわけだ。
ちなみに競りに参加できるのは許可証を持った大きな商人だけだ。一般素材といえど魔獣のものは高級だし、騎士との取引になるから様々な注文の窓口にもなれる。俺の両親に急な注文をしたのもそう言った商人だ。そのせいで……、いや向こうも多分断れない注文を受けたのだろう。
せっかくの里帰りに暗いことばかりを考えていても仕方がない。競りを横目に市場の端の方に向かおうとした時、見慣れない人間に気が付いた。
魔獣を囲む商人の中にリューゼリオンとは違う異国の服装が見える。彼の横には黒ずくめで背中に布を巻き付けた狩猟器らしきものを背負った男女が付いている。傭兵が付いているということは他都市の商人か、珍しいな……。
競り場を離れ、その周囲に広がる採取産物が並ぶ区画に向かう。面積としてはこちらの方が三倍は広い。果物などの食物が中心だが、木材や草の根、薪などもある。工房にいた時は原料を運ぶために荷台を引っ張って良くここに来たよな。
店頭に並ぶ様々な品に懐かしさを感じて周りを見渡した時、どこか雰囲気が暗いことに気が付いた。
「前に来た時よりもまた値段が上がってる?」
品ぞろえをざっと確認するが種類に変わりはない。数も豊富だ。でも、原材料がこの値段になると職人は厳しいはずだ。
いや、毎日見てるわけじゃないし。たまたまかもしれない。それよりもそろそろ約束の時間だ。
赤茶けた木の根が積み上げられた店の裏に入ると、小さくこちらに手を振る美人を見つけた。栗毛を結い上げた一歳年上の女性は前に会った時よりも少し大人びて見える。
「レイラ姉!!」
早足で彼女に近づく。三ヶ月前よりもさらに綺麗になった気がする。ドレスを着せれば学院のご令嬢達にだって負けないはずだ。年度末の学院舞踏会でダンスの申し込みが沢山あるだろう。
ただ、こうやって久しぶりにその姿を見ると、懐かしさの方が先に立つ。だが、レイラ姉は俺が近づくと手を止め左右を見る。そして、両手をエプロンの前にそろえて一礼した。
「ええと、レイラ姉。そんな畏まってどうしたの。なんか似合わないというか……」
「似合わないって!! コホン……あなたは将来の騎士様なんだから」
確かに平民は自分たちのおかげで生きていると思っている騎士に下手な態度を取ったら大変なことになる。でも、こちらとしては小さいころから知っている憧れのお姉さんにこういう態度を取られると悲しくなってくる。
「それを言うなら二年前まではレイラ姉は雇い主のお嬢様で、俺は住み込みの見習だったよね。それに、今日はいわば里帰りじゃないか」
「そういうことなら……。いえ、やっぱりそういうわけにはいきませんから」
「実はちょっとお願いもあるんだけど、これじゃ頼みにくいなあ」
「お願い、何? ……ってだから、そういうわけにはいかないのよ。今はもう身分が……」
一度整えた口調が少しずつ戻ってくる。もう一押しかな。
「そもそも、そうやって畏まられる方が目立つでしょ?」
「……もう、相変わらず理屈っぽいったら。分かったわよ。お帰りレキウス」
これでこそレイラ姉だ。まあ、さっきの女性っぽい仕草もちょっと新鮮だったけど。
レイラ姉ももう年頃だ。美人な上に工房一人娘だから職人の中で人気だったんだよな。しっかり者だし、親父さんも一人娘を大事にしてるからおかしな男には引っかからないだろうけど……。
久しぶりに会ったせいでこっちもおかしなことを考えているな。まあ、俺にとってはいわば初恋のお姉さんだし仕方がないわけだが……。
市場を出て運河に沿って歩く。職人工房が並ぶ区画で、煙突から煙を出し回転する水車が水しぶきを上げている。懐かしい光景を、俺はレイラ姉と並んで歩く。
「それでお願いって? 分かった、またなんか変な道具の注文でしょ?」
「あー。そういうのもないわけじゃないんだけど。今日は違う。欲しいのは水なんだ。工房で使ってる一番いい井戸の水が欲しい」
「水? 水なら向こうにもいくらでもあるでしょ」
「ええっと……そのだね。水はこっちの方が美味しいなって」
「……ふーん、そっか。それでなんで水?」
レイラ姉は俺の前で腕組みをする。おかげで大きめのふくらみが強調されて。やっぱり年頃だよな……。じゃなくて、これはさっきの態度とは違う。彼女はこうなったら引かない。
「実は親方の工房で習った技術を向こうで生かしたいなって思ってるんだ。ところが、向こうの井戸の水の硬さが変わったみたいで、今までうまくいってた工程が上手くいかなくなっちゃってさ。工房でも水の違いで色が曇ることがあるだろ」
職人技術で魔力色媒の“色”を綺麗にしようとしていること。その過程で、水が原因かもしれないトラブルに見舞われていることを説明した。もちろん、心配させないように成績のことは言わない。
レイラ姉は俺の話を聞いて目をぱちくりさせた。
「魔術とかの難しいことはよくわからないけど、向こうに行っても水の硬さなんて気にしてるんだ……」
「まあ、親方に鍛えられて感覚として沁みついてるからね」
「はあ、レキウスらしいといえばそうだけど。昔もとにかく変なことばっかりして、父さんや先輩職人に叱られて……」
「その折は色々かばってもらって感謝してる」
「そりゃ覚えそのものは早かったし、とにかく熱心にやってるのもわかったから……。父さんが言うには死んだ爺さんがそんな感じの変わり者だったみたいだしね」
親父さんの家は元々北のダルムオンの職人だった。ダルムオンが滅びた後にリューゼリオンで工房を持てたのは、先代が新しく作り出した染料があったからだって話を聞いたことがある。
すっかり昔の雰囲気が戻ってきた。だけど、レイラ姉は急に声を潜めた。
「でも、大丈夫なの? ほら、ウチらが
「ま、まあ一応俺も騎士見習だし。そもそも騎士様だって着てる服も住んでる家も、料理だって平民の職人が作ったものだよ。ああわかってる。そんなこと口には出さないから。今回のことも秘密にしてるから」
俺は両手を振る。だが、レイラ姉はますます心配そうな顔で俺を見る。
「そんな無茶をやってるってことは、もしかして騎士様の修行、あんまりうまくいってないの?」
相変わらず鋭いな……。
「ええっと、ちょっとだけ苦戦しているかな。いやほら、周りは生まれた時から騎士の訓練をしているようなのばっかりだし」
じっと見られると弱音を吐きそうになるけど。平民出身者の中でも最下位なんて言えない。そもそも、職人街なららもう一人前として働いてる歳なんだ。
「そ、それよりもさ。そっちこそ大丈夫なの。市場の採取区画の方がなんだか雰囲気が暗かったけど。物の値段がまた上がってたような」
話題を変えようとさっき見たことを口にする。レイラ姉が顔を曇らせた。
「……最近はどこも苦しくなってるから」
「やっぱり。でも、競りは盛況だったし物も豊富だったけど……」
「物があるのは森に入る人間が増えてるから。職人の中にも外に出なくちゃいけない人間が出てきてるんだよ」
「なんでそんなことに。もしかしてまた税が上がったとか」
採取労役はあくまで家業のない人間の最終手段だったはずだ。それ以外でも親を失ったとか、賭け事で持ち崩したとかがないわけじゃないけど、あくまで例外だ。ちゃんとした生業がある人間がなんで……。
「税はかわらないよ。ただ、御用商人が素材をこっちに下す材料を値上げしてる。それに、上の街に収める品の値段は下げろっていわれるんだ」
「費用は増えて売値は下げろってそんな無茶な。市場を取り締まる役人は何をやってるんだよ」
「……見て見ぬふり」
御用商人というのは狩りの獲物を扱う商人だ。当然、騎士とのつながりが強い。でも、そんな商人があまり勝手なことをしないように役人が管理していたはずだ。
大きな商人だって結局は市場を使わせてもらってる立場、役人には逆らえない。
「……あんたに言うことじゃないけどね。偉い騎士様達が外国の品とかで贅沢するためにお役人を通じてお金を吸い上げてるって。ご本人が狩りが出来ないからって……。あくまで噂だからね」
一番偉い騎士、俺の同級生の父親である王様のことだ。都市の管理者は王様で、市場を管理する文官は王家の組織だったよな。
「それで、工房は大丈夫なのか」
レイラ姉や親父さんが魔獣が潜む森に入るなんて考えただけでもぞっとする。俺の両親はそうして帰ってこなかったんだ。火竜は最悪の事故で採取労役者が魔獣に襲われるなんてめったにない。
だけど、年間何人も大けがしたり死んでしまう人間が出るんだ。
「……ウチは技術がしっかりしてるし。それにあんたのおかげで人頭税は免除でしょ」
「つまり、レイラ姉や親父さんが森に入らなくちゃいけないってことにはならないんだな」
平民の子が騎士学院に入るというのは身分が変わり家族との戸籍上の縁も切れることだ。俺の場合は正確には住み込みの職人見習だったけど。それでも、取られる側としては一緒だ。せっかく鍛えた働き手が今から役に立つってところで失うんだからな。
だから人頭税の免除という形で補填される。正直割に合うかといわれると微妙だと思うけど。それでも、この場合は生命線にはなってるわけか。でも、免除には条件がある。取られた子供がちゃんと騎士になることだ……。
「そうだ、水の代金を……」
「ウチは染料を売ってるのであって、水は売り物じゃない」
「でも、だってこの前頼んだ試験管とかだって、あれだって仕入れ値だろ」
おかげで思ったよりも沢山の器具をそろえれたんだ。特に特注の試験管とかそういうのだ。
「あれ? 今私の目の前にいるのは里帰りしたレキウスで、お偉い騎士様じゃないんだよね。そういう生意気は、ちゃんと騎士様になった後で聞いてあげる」
レイラ姉は片目を瞑って冗談めかした。そして、真面目な目で俺を見る。
「だから、凝り性なのも頑固なのもいいけど、私に対しては秘密もほどほどにすること」
そういって人差し指で俺の額を弾いた。さっきの畏まった態度は消え失せて、すっかり弟分あつかいだ。こういうところは敵わない。
「まあ、いざとなったら取引先の……。ってそんなことよりもあんたは自分の将来を考えなさい。ええっと、一番いい水だったね。ちょっと待ってて」
レイラ姉は俺から瓶を受け取ると、工房に向かった。その背中を見ながら、背筋に冷たいものが流れた。
人頭税の免除は俺が騎士になることが前提だ。退学なんてことになったら免除は打ち切られるどころかそれまでの免除分まで取り立てられるという話だ。今みたいな状態でそんなことになったら……。
「自分の将来……」
そうだ、今一番大事なのは俺が騎士の資格を取ることだ。それさえできれば少なくともレイラ姉たちが危険な森に出ることはない。
橋を渡って内側の街、今の場所にもどる。どこか寒々として映る白い光景の中、少しずつ足が重くなる。せっかくもらった水が重い。寮まであとどれくらいかと上の方を見た。夕方の空に光る王宮が見えた。
門に向かって多くの男女が集まっている。そういえば、今日は季節に一度の狩猟の宴だったな。平民出身者が下町に行く日に、上の連中は宴会というわけだ。参加したいなんて思わない。ただ、さっきの贅沢云々の話が思い出されて、思わず奥歯を噛みしめていた。
いや、そんなことを俺が考えている場合じゃない。
王宮の中心から結界の白い柱が見えた。王家が結界を管理している以上、町に住まわせてもらっている立場の平民は従うしかない。騎士見習にすぎない俺だって同じだ。
「今できることがあるとしたら、やっぱりこれだけだよな」
瓶の持ち手に力を入れた。今はとにかく錬金術だ。寮へ向かう足を無理やり速めたその時だった、
「あれっ?」
視界の端で結界がかすかに赤く光った気がした。目をこすり、首をかしげながら上を見上げた。結界は純白のドームとして都市を守っている。いつもと変りない。
「夕日の反射か」
こんなところで立ち止まってる場合じゃない。次の演習は週明け。それまでにレイラ姉からもらったこの水で色媒の精製を進めないと。
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