第4話 実験
木の試験管立てに二本の試験管を立てる。緑の粉末の入った菱形の瓶を開け、二つ折りにした紙に粉末を慎重に掻きだす。紙の折り目を使って、左右に並んだ試験管にこぼさないように同量の粉末を入れた。
今回の実験サンプルは昨日の演習で狩った小魔獣、鼠の髄液を乾燥させたものだ。試験管の底に見える粉末の黒ずんだ緑色だけで質が悪いことは明白だ。等級としては下級色媒のさらに下ということになる。
演習の点数にならないことからわかるように、質が低すぎて普通はまず使われないものだ。
だが、低いながら魔力色媒としての性質を持つことは変わりなく、俺が自由に使える実験サンプルとなるとこれくらいだ。それに、この実験の目的は錬金術により色媒の魔力伝導率を上げる精製手順の確立だ。
つまり、同じ原料をスタートに、通常の手順で【調整】した色媒と錬金術の手法を用いて【精製】した色媒を比較すればいい。精製の方が伝導率が優れていればその
通常の【調整】用の右の試験管には栓をして、左の試験管を手に取る。今からこちらの粉末に精製の処理を施していく。具体的には、この粉末の中に含まれる不要な成分を除き、必要な成分だけを残すための処理だ。
その為に必要なのが酸、
引き出しから取り出した灰水を試験管に加える。特定の種類の貝殻を綺麗に磨き、挽いて粉にしたものを水に溶かし、その上澄みだけを取ったものだ。
染料工房で原料から染料を抽出する工程で必須の液体で、この灰水の質で出来上がる染料の出来に大きな差が出る。下手に指についたら皮が溶けることでわかるように、普通の水には溶けない物を溶かすことができる。
灰水を入れた試験管を振ると、透明だった水が黒く色づいた。これはただの水では起こらない現象だ。粉末の中にある緑色の成分はそのままに、黒い色の不純物だけが灰水の中に溶けだしたというわけだ。
灰水に強い布を試験管に被せ、廃液入れである陶器製の器の上で逆さにする。黒ずんだ灰水が流れ落ち、布の上に緑の粉末だけが残った。更に、布の上に灰水を垂らし、徹底的に黒ずみを除く。
これで最初の粉末から黒い色の不純物が除去された。ただ、このままでは粉末にしみ込んでいる灰水が触媒成分を損なう。そこで灰水と逆の性質を持った酸、明礬を溶かした水を垂らすことで中和する。明礬水も染料工房で使われているものだ。
最後に酸を洗い流すために『水』を三度注ぎ、粉末をよく洗う。洗い終わった粉末を布の上で広げ、暖炉の近くに置く。乾燥したら錬金術による処理は完了だ。
ちなみにこの灰水と明礬を使う工程は、赤根から朱の染料を取り出す工程とよく似ている。いらない物質を除き望みの物質だけを残すために、灰水や酸に対する溶けやすさの違いを使う。やってることは染料作りでも色媒でも一緒なのだ。
工房にいた時はそういう物だとだけ教わっていたが、錬金術の知識があると酸とアルカリという二種類の方向に偏った液体のことや、それを合わせることによる中和という原理だと理解できる。
染料とは全く違う原料である魔力色媒に工房の知識を活用することができたのは、錬金術の体型的な考え方のおかげだ。
ここからの工程は両方とも一緒だ。二本の試験管にエーテルを注ぎ、粉末を溶かす。どちらもエーテルが緑に染まり、試験管の底には茶色の沈殿が生じる。
両方の試験管の上清だけを別の試験管に移す。ここで底に残った溶け残りをちゃんと除かないと質が落ちてしまう。これはどちらの手順でも同じだ。つまり、通常の調整でも不純物の除去は最低限行われているわけだな。俺はそれを徹底的にやってるだけということになる。
さて、これで同じ材料から通常の調整と、錬金術による精製で色媒が出来たことになる。
肝心なのはこの二つの色媒の差だ
測定用の魔導金属の板を用意する。平たい板の上に二本の線が彫り込まれていて、三つの大きな目盛りと、それぞれの目盛りの中に更に小さな十の目盛りが刻まれている。
細い溝に色媒を流し込み魔力を通して到達距離を調べることで魔力伝導率を測定する仕組みだ。
ちなみに“通常”の下級色媒の到達距離は小十目盛り。つまり、最初の大目盛り前後だ。だが、この色媒は下の下、しかも魔力が少ない俺の場合は三目盛りがいいとこだ。
左右の線に右手と左手の人差し指を当て、同時に魔力を流す。魔力が通った部分は緑色の光を発すのですぐに分かる。
通常の調整手順の色媒は三目盛りで光が止まった。一方、手間をかけて錬金術で精製した色媒は同じ髄液からのものであるにもかかわらず四目盛りを超え、五目盛りとの中間まで光が到達した。通常の調整に比べて約1.5倍の伝導率という測定結果だ。
つまり、この【精製】方法の力は1.5倍ということになる。ちなみにいろいろな色の小魔獣をサンプルとしてこれまで実験してきた結果分かったことだが、ある色の色媒でうまくいった手法は赤や青でも大抵が通用する。魔力色媒の成分には色を問わない共通性があるらしい。
俺は今回の結果を実験ノートに記録する。
錬金術を始めてからここまで約三ヶ月、 ここまでの条件を見つけるのは大変だった。何しろ最初は通常の調整以下だった。
だが、ある程度感覚をつかんだらその後は順調だった。触媒の純度がある程度は色で判断できることもあって魔力伝導率は右肩上がりになっていった。一か月前には1.5倍を超えて、このまま二倍を目指せるかと思っていたのだ。
ただし……
「やっぱり伸び悩んでるよな」
これまで試した精製方法の実験結果を記録した表を見てため息をついた。
錬金術の概念にのっとり、魔獣の髄液から不純物を取り除き純粋な魔力色媒成分を取り出す。この方針自体は有効だということは示された。錬金術の手法でここまで魔力伝導率を上げることができたということは、魔力色媒も酒精や染料のように物質であるということだ。
騎士の世界で信じられているように魔術は特別ならこうはいかないはずだ。そこは自信を持っている。
だが、魔力色媒は使えてこその物だ。俺の魔力では五割がた魔力伝導率を上げても魔力の差を埋めるには足りない。少なくとも倍は必要なのだ。
問題はそれだけではない。精製度を高めるために手順を増やせば増やすだけ最終的に得られる色媒の量は減るのだ。左右の試験管を比べると、同じ緑の濃さになるようにエーテルの量で調整すると、錬金術で【精製】した方は三分の一の量になっている。
術式を使えば劣化していく色媒は消耗品だ。魔力伝導率が1.6倍になっても量が三分の一では厳しい。費用と時間かけているのだからなおさらだ。
更に、劣化といえば最近現れた問題がある。
「やっぱり早いな」
二本のラインの左側、つまり【精製】魔術色媒の色がくすんでいる。これは、たった一度魔力を流しただけで劣化してしまったことを意味する。魔力伝導率の伸び悩みとほぼ同時に現れはじめた現象だ。この問題を解決しなければ、精製色媒の実用化はさらに遠くなる。
以前はこんなことはなかった。むしろ精製した方が安定して繰り返し使えたくらいだった。となると、考えられることは季節の変化くらいか……。ここ一月、秋にかけて気温が下がってきている。
染料工房でも季節の変化は重視する。同じ工程でも夏と冬ではかかる時間が全然違ったりする。だが、逆に言えばそういうことなら気が付くことができるはずだ。
ノートを広げ、工程を書いてそれぞれの工程で出そうな問題を考えていく。だが、これといった解決策は浮かばない。
ついつい目の前の試験管に恨めし気な目を向けてしまう。
「これに目に見えない汚れでも溜まってるとかじゃないよな?」
気休めかもしれないが、試験管を洗ってみようと部屋の水壺に向かう。ふたを開けてひしゃくを入れると、コンという乾いた音と共に底に当たった。もうなくなってたか。実験のせいで大量に使うからな。
壺を抱え一階の食堂まで水を取りに行く。食堂で水を取るついでに喉の渇きをいやそうと一杯飲んだ。
「あれ、少し硬いか?」
舌に当たる水の味が“硬い”普通の人間は気が付かないだろう。俺だって注意して無ければ気が付かない程度の味の差だ。水の硬さに敏感なことは染料職人として大事なことなので、職人見習時代に鍛えられた。
「もしかして井戸が変わった?」
厨房の料理人に水を変えたかを聞く。近くの井戸が濁って使えなくなって別の井戸から汲んでいるらしい。距離が遠くなって大変だと愚痴られた。詳しく聞くとこの季節特有の現象で、井戸が変わった時期がちょうど色媒の安定性が損なわれ始めた時期と重なることが分かった。
「水は盲点だったな」
俺は壺を抱えたまま立ち尽くした。水は精製のほぼすべての工程に使う。灰水や明礬水も元は水だし、最後に粉末を洗うのも水だ。つまり、水自体に問題があったらどれだけ注意して実験してもダメということになる。
同様の問題は染料工房でもあった。同じ水に見えて井戸によって出来が違ったりするのだ。特に高級な染料の場合は特定の井戸からの水を使っていたくらいだ。
「工房の水があれば……」
俺は寮から運河の向こう、下町を見た。明日は外出許可日だ。三ヶ月に一度、平民出身者が向こうに帰ることが許される日で、実はさっき王女様に言った「明日は用事がある」の用事は実は里帰りだ。
丁度いい、レイラ姉に頼んで水を分けてもらおう。
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