第3話 旧時代の学問、錬金術

 学院寮は校庭から道一本の所にある四階建ての建物だ。内側に家がない平民出身者の為の住居で、王家の施設扱い。一人一室で部屋にはベッド、机、テーブルなどの家具がそろい、暖炉もついている。下町の基準で考えたらかなり立派だ。もちろん周囲の騎士屋敷と比べてはいけないけど。


 今の俺にとっては個室なのがありがたい。おかげで人には見せられない秘密の作業をすることができる。今からやろうとすることを学院の教官やさっきの王女様に見つかったら何を言われるか……。


 余計なことを考えてる場合じゃないな。ただでさえ遅くなったんだ、早く準備をしよう。


 机に座り、奥に掛けた布を取る。赤、青、緑の粉末が入った菱形の小瓶と、少し光沢のある透明な液体が入った円筒形の中型瓶がある。粉末は魔獣の髄液を乾燥させたもので、透明な液体はエーテルと呼ばれる。


 エーテルに粉末を溶かすことで調整されるのが魔力色媒マナ・ディグだ。魔力色媒は狩猟器に術式スペルを描くのに必要で、その品質は魔力伝導率と呼ばれる数値で表される。下位から中位そして上位と、術式が大きく複雑になるほど全体に魔力を流すのが難しくなるので、高度な術式ほど高い魔力伝導率が必要になる。


 魔力伝導率を決める要素は第一に髄液がどのランクの魔獣から取られたかだ。


 下級魔獣と中級魔獣の髄液では三倍以上の魔力伝導率の差があり。それはちょうど下位と中位の術式に必要な魔力伝導率の差に相当する。魔力色媒は消耗品なので、魔術を使って魔獣を狩ることで補給する必要がある。


 つまり、強力な術式を使いたければ強い魔獣を狩る必要がある。一般的な現役騎士は中位術式で中級魔獣を狩るというサイクルを回す。


 もう一つの要素が色媒の調整手順だ。調整手順は原料をエーテルに溶かして上清を濾し取るだけの簡単な工程だが、作業者によって差は出る。器用で慎重なものはやはり調整が上手い。ちなみにこれに関して俺は誰にも負けない。何しろこっちに来るまでは染料工房で見習をしていたのだ。


 仮に同じ原料から調整させたら魔力伝導率が一割程度よくなる。ちなみにこれだけの差が出るのは珍しい。もちろん原料の差に比べれば誤差だが、なかなか馬鹿に出来ない。


 実際、一年の時から同級生の調整を手伝って小遣い稼ぎをした。一割と言えどもギリギリのラインの魔力の場合は発動できるか否かを分けることになるからだ。


 ただし、これは当の本人、つまり普通の学生の半分以下の魔力しかない俺には気休めにもならない。


 だが、それはあくまで“通常の調整手順”を用いた場合だ。ただ溶かして上澄みを取るという単純な工程でも多少なりとも魔力伝導率が変わるなら、もっとしっかりした“精製”手順を確立すればもっと大きな差が出るはずだ。今から俺がやろうとしているのはその為の実験だ。


 机の横に掛けて置いた職人見習の時から使っている前掛けを取り外す。様々な色の染みが付いたこれを着ると、工房にいたころに戻った気になる。


 引き出しから匙とすり鉢などの道具を取り出す。人差し指ほどのガラス管十本を自作の木台に差し込む。同級生の色媒調整を手伝って得たお金を投入して、職人見習の伝手を使って入手したものだ。


 実験サンプルは先日の演習で調達した下級にも届かない小魔獣の髄液だ。


 材料は魔術に属し、道具と方法は職人見習のもの。魔術と職人技のどちらでもあるし、どちらでもない。今からやろうとしていることを象徴しているようだ。


 だから俺はこれを『錬金術』といっている。


 『錬金術』は魔術誕生前、つまり旧時代に存在した技術と知識の体系だ。


 歴史によると千年前までの旧時代は魔力がなく魔獣もいない時代だった。記述を信じるなら、都市に住んでいる人間の方が少ないという今では想像できない社会だ。人間は大地に草を植えてその実を集めて食料にしていたらしい。


 草の実というのは猟地の草原に生えている麦と同じものだったらしい。今では最も評判が悪い食べ物だ。保存がきくので貧しい平民が口にするが。煮なければ硬くて食べられず、その上えぐ味が強くて不味い。腹持ちがいいのだけが取り柄だ。同じ採取産物でも果物や芋の方がずっと美味い。


 なぜわざわざくさを植え、しかもそれがよりによって麦なのか、本当に理解に苦しむ。


 それはともかく、旧時代は千年前に魔力が発生したことで滅んだ。魔力によって巨大化した動物、つまり魔獣が大地を闊歩し、やがて大陸は今のように森におおわれた。外で草を植えるなんてできなくなったのだ。


 だが、人類は魔獣に対抗するために魔力について必死で学んだ。現在の騎士が使う狩猟器と魔術の基礎である、魔導金属や魔力色媒などが発見されたのはこの時期だ。魔術は発展し、やがてグランドギルドと呼ばれる大都市が築かれた。グランドギルド時代と呼ばれる人類の最盛期が始まったのだ。


 グランドギルドはその高度な魔術で大陸各地に結界に守られた都市を築き、魔獣をはじめとした資源を獲得していた。リューゼリオンもその一つとして作られた。現在この大陸にある三十を超える都市は、すべて同じように作られた。


 だが、そのグランドギルドは繁栄の頂点で一夜にして滅んだ。魔力を極限まで圧縮する研究の失敗とか、禁忌である黒魔術に手を出したとか言われているが、詳細は全く不明だ。ただ、その結果グランドギルドが独占していた高度な魔術は失われたのは確かだ。


 残されたのは下級の魔術、つまり現在の騎士が使う狩猟魔術だけだ。


 後は、現在の騎士には全く理解できないレベルの遺産と呼ばれる超高度魔術だ。その中で一番重要なのは当然、都市の結界だ。入学前に一度だけ見学させられた王宮の地下にある結界器、つまり都市結界を発生させている三色の術式を見れば、この都市を建設したグランドギルドが確かに現在とは隔絶した魔術を使っていたことは分かる。


 それはともかく錬金術に話を戻そう。魔術はもちろん魔力すらなかった旧時代に生まれた錬金術にどうして俺が注目したかというと、それは錬金術の基本的な考え方に衝撃を受けたからだ。


 「この世界にある全ての物質は、これ以上小さくできない粒、原子アトムスの組み合わせでできている」という概念だ。水も空気も土も、この粒の組み合わせの違いだという。旧時代の学者が【原子アトムス論】と呼んでいた考え方だ。


 この原子論に基づいて、錬金術は特定の種類の原子つぶあるいはその組み合わせを、純粋な形で得るための手段を探求した。目的は黄金だ。その物質の持つ性質は純粋であればあるほど強くなる。金属は光り輝くが、その光はすぐに曇る。いわゆる錆だ。


 だが、黄金だけは輝きが鈍らない。これは黄金が純粋な金属であり、輝きを邪魔する他の原子つぶが含まれていないと考えたのだ。


 ならば金属を純粋な形で精製していけば黄金が得られる。普通の金属から黄金を得られれば大儲けだ。だから錬金術という胡散臭い名前が付いた。まあ、黄金を得るには失敗して、旧時代でも錬金術師は詐欺師の代名詞だったようだけど。


 だが、俺は錬金術の基礎にある原子論や、実験手法がインチキだとは思えなかった。理由は二つある。まず、錬金術の実験手法は現在存在する職人の技術と共通点が多いことだ。実際、下町で職人が作る物、酒造りや染色、冶金などが生まれたのは旧時代だと伝わっている。


 俺の両親は蒸留酒職人だったし、両親亡き後引き取ってくれたのは染料工房の親方だ。特定の物質を純粋な形、あるいはそれに近い形で取り出すことは職人にとっては当たり前に行われる作業だ。


 例えば蒸留酒は水と酒精アルコールが混じった醸造酒の中から、酒精だけを濃縮する技術だ。錬金術的に言えば文字通り“蒸留”という実験手法で、水の粒より酒精の粒が軽いことを利用して、温めることで酒精だけを空中に飛ばしてそれを冷やして集めることで濃縮する。


 染料職人は普通の木の根に比べて僅かに赤いだけの木の根あかねから真っ赤な染料を抽出する。これは木の根の中にわずかに含まれる赤い粒だけを取り出すことだ。この過程で使われる酸や灰水アルカリと呼ばれる溶液は錬金術の実験で使うものそのものだ。


 そして、職人見習から騎士見習になった俺は、必然的に次の発想を持った。魔力色媒という物質にも同じ原理が使えるとしたら。


 つまり、もし酒精や染料のように、魔獣の髄液から純粋な魔力色媒の成分だけを取り出せれば、魔力伝導率を大幅に引き上げることができるのではないか。


 魔力色媒の魔力伝導率が上がれば術式の発動に必要な魔力が少なくて済む。下級魔獣から中級の色媒を得られ、中級魔獣から上級の色媒を得ることができる。


 言わばあの王女様が生まれ持った才能でやってのけていることを、俺は技術と工夫で実現してやろうというわけだ。


 これに成功すれば、魔力の少ない俺でも卒業要件である中位魔術が使える可能性がある。


 勿論、冷静に考えればあまりに小さな望み、無謀な挑戦だろう。だが、今の俺に思いつく魔術の鍛錬方法はこれだけだ。


 同時にこれは凄くワクワクする挑戦だ。


 騎士からは卑しい技と思われている両親や親方の職人技で、高貴なる騎士様の魔術を改良して見せるんだ。もし実現できればとても痛快じゃないか。


 しかも、魔術も技術も含め、錬金術こそがこの世界の本当のことわりだと言うことも…………。


 っと、こんな風に理屈ばっかり考えてしまうのが俺の悪い癖だな。この実験には俺の卒業だけじゃない、俺にとって恩人である親方とレイラ姉の安全もかかってるんだ。


 準備は出来たことだし、実際に魔力色媒の精製を開始しよう。

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