第2話 学年代表殿下

 翌日の放課後、俺は重い足取りで学院二階廊下を歩いていた。


 演習翌日のカリキュラムである狩猟器の整備は滞りなく終わった。昨日獲得した小魔獣の髄液も乾燥し終わってカバンの中に納まっている。つまり、一刻も早く寮に帰って“実験”に取り掛かりたいところだ。


 だが、今日はこれから学年代表室、リーディア王女様の部屋に行かなければならない。


 要件は分かっている。俺の実技の成績のことだ。


 一年の時とは違い、二年から四年の卒業まではカリキュラムの全てが実技のためにある。つまり、演習で魔獣を狩った実績が成績の全てを決める。将来の魔獣狩猟者、つまり騎士を養成する機関としての騎士学院はとにかく実技優先だ。


 言い方を変えれば、魔力がすべてを決めるといってもいい。


 そもそも、学院に入れるのは魔力を扱う資質を持つ者だけだ。魔力は血統に大きく依存するから、八割が騎士の子だ。ただ、騎士の子にもたまに魔力を持たないものが生まれる。そういう人間は入学できない。一方、平民の中にもごくまれに魔力を持つものが生まれる。その場合は問答無用でここに入学させられる。騎士の数を維持することは都市にとって最優先だからだ。


 平民にとっては身分が上がったことになるが、魔力量が血統で大きく左右されることから、平民出身者は基本的に下位に甘んじる。


 その平民出の中でもぶっちぎりの最下位が俺だ。周りの学生は元より教官にもなんでこいつが入学を許されたのかと思われている。こちらが聞きたい。まあ、ある情報筋によると七年前の惨劇で減った騎士の数を回復させるため、魔力が小さい人間もかき集めたという事情があるらしいけど。


 俺はこのままでは卒業が出来ない。今日の王女様の呼び出しもそういう話に決まっている。


 本来なら下々の者を気に掛けていただけることを感謝すべきなのだろう。向こうは王女としても学年代表としても忙しい中、落ちこぼれの同級生に更生を促しているつもりらしいからな。


 だけど当然ながら俺が一番焦っている。卒業できなければ困ることがあるのだ。騎士に成れない俺だけではなく、俺を育ててくれたあの二人も……。


 正当に頑張るだけで平凡な学生の何倍もの力を発揮する彼女の言いたいこと、つまり騎士見習としては反論しようのない正論、ではどうしようもならないと悟っているからこそ、俺は別の工夫をする必要がある。それが実験だ。その為の貴重な時間を今から王女様の説教に取られる。


 もちろんこんなことは口が裂けても言えない。平民出身者は王家の恩恵で学院に通っていることになっているのだから。


「何とか早めに終わってくれることを祈るしかないか。…………やけに廊下が騒がしいな」


 教室と代表室の間にある掲示板の前に生徒たちが群がっている。掲示板には昨日の演習の成績が貼り出されているはずだな。


「……順位に変動でもあったか?」

「騒ぎの原因は成績表の横だよ」


 つぶやきに応えたのは緑髪の男子だ。名前はクライド。頬に残るソバカスが唯一の特徴といった顔で、騎士院の議席には縁のない平騎士の家の息子だ。情報を集めるのが好きな変わり者で、下町のことを聞かれたのがきっかけで話すようになった。こっちの世界に疎い俺にとっては基本有難い相手だ。


 俺なんかが上に連れてこられた理由は彼の情報だ。


 俺はクライドの指さした方を見た。成績表の横には赤い竜を意匠化した団章が押された張り紙がある。


「……へえ、ついに三人目ってわけか」

「午前中から噂になってたぞ」

「俺とパーティーを組んでくれる奴なんていないからな。ノーマークだった。まあ、二人であれだ、三色揃ったら手が付けられないだろう。…………でも、ほとんどの人間には関係ない話だろう。成績が振るわない人間はなおさらだ」


 掲示板の前で騒いでいる連中の中に平民出身者が多いのを見て俺は首を傾げた。


「レキウスにこれを言うのはアレだけど。平民出身者はこっちに血縁がないから王家に依る傾向がある。加えてリーディア様御自身が学年代表として別け隔てなく接しておられるからな」


 なるほど、今まさにその“恩恵”を被ろうとしている俺には皮肉な話だ。


「それに加えてほら、リューゼリオンの真朱玉クリムゾン・クリスタルだ。そりゃ男子生徒は気になるだろう」

「まあ、たしかにそうかもな」

「興味なさげだな」

「俺には雲の上の話だからな」


 確かにとんでもなく綺麗だけど、染料で汚れた指で触れようものなら火傷じゃすまないだろう。


「一年最後の表彰式ではリーディア様と肩を並べたじゃないか」

「こっちは座学一位、あちらは実技の一位だ。価値が天と地の差だろ。そして座学は一年で終わり。残り二年半か、は演習の成績が全てだ。今の俺が考えるべきはどうやって進級するかだよ。それこそパーティーを組んでくれる人間もいないしな」


 肩をすくめた。クライドが少し困った顔になる。慌てて話を逸らす。


「大体、二人で中級魔獣を狩るパーティーだぞ。将来は竜狩りに付き合わされるかもしれないぞ」


 冗談めかしたつもりだった自分の言葉に背筋が震えた。七年前、突然来襲した赤い竜の姿が脳裏をよぎったのだ。あの魔獣のせいで俺の人生はどれほど変わったか……。


「で、騒いでる平民出身者を遠巻きに見てる人間は?」


 首を振って過去を追い払い、尋ねる。掲示板に注目している人間よりも明らかに身なりがいい。昨日犀を仕留めた三人がちょうど通りかかったが、掲示板を避けるように校庭に向かった。


「騎士院に席のあるような名家はいろいろあるからな。特に今、騎士院と王家の間は難しいことになっているから」

「それは大変だな」


 昔は騎士様なんてみんな同じだと思ってたが、上は上で大きく分かれているのだ。


 俺は掲示板の周りの人間模様を観察するクライドと分かれ、目的地に向かった。王女様も俺に説教している暇があるなら、パーティーメンバーの選定に時間を取ればいいのに。


  △  ▽


「あなたの学識はみとめているのよ。魔獣の詳しい性質などよく理解しているようだし。私たちの様に生まれた時から教育を受けているわけではないことを考えればなおさらよね」


 二年生の学年代表室には立派な白檀の机がある。白い天板には王家の紋が真紅の塗料で描かれている。塗料を流し込むための掘り込み加工はもちろん、塗料自体も膨大な職人の作業の結晶だ。座っている人間は知りもしないだろうけど。


 ただ、そこに背筋を伸ばして座る女性徒が机の美しさに相応しいのは確かだ。深みのあるワイン色の髪の毛、紫の瞳、細く真っ直ぐな鼻梁と柔らかそうな唇。大きな瞳が揺らぐことなくまっすぐ対象を、この場合は落ちこぼれの同級生を見ている。


「あなたにもメダルの誇りがあるだろうし。得意なことを活かそうというのは悪いことではないわ。でも、その努力の方向をもう少し……そう、実質的なものに変えるべきだと思うの」


 机の前に直立不動の男子学生おれにリーディアは穏やかにいった。こちらを認めるような言葉が並ぶが、要するに最後だけが彼女の言いたかったことだ。いくら騎士の常識に疎い平民出身者でもそれくらいは分かる。


 一年生最後の表彰式のことを思い出した。去年は空気を読まずに済まなかった。おかげで王女様に忖度もせずに獲得した座学一位にプライドを持っていると思われているらしい。


 まあ、放課後とか他の学生が外で自主練習に励む中でとっとと寮にもどったり、図書館にこもったりしているからな。無理もない話ではあるか。


 だが、それは完全な誤解だ。


 ハッキリ言えば一年時の座学の成績に俺は誇りなど持っていない。持ちようがない。それは騎士見習にとって実技の評価がすべてであるという話ではない。


 一年生の時に行われる座学を『魔術基礎』というが、あれは子供の遊びだ。幼いころから騎士として教育を受けているわけではない平民上がり、最低限の読み書きと計算ができるだけだった俺が、あっさり一位を取れる意味は何か。


 騎士の子が魔術基礎を時間の無駄だと思っている証拠だ。実際、教科書に書かれていることをまとめると『体内の魔力を魔術色媒を通じて色を付けると同時に術式を満たすことで魔術は発動し、魔導金属を通じて効果を発揮する」といった、一度でも魔術を使えばわかる、内容を超えない。


 これをどれだけ学んだとしても、肝心の狩りの実力に差は付かないということだ。全くの同意見だ。何しろ最下級の魔術にすら苦戦する魔力しかない俺は、何とかやり方で工夫ができないかと教科書の先、元になったグランドギルド時代の原本まで当たったんだからな。


「平民上がりゆえ資質に乏しいのは仕方がないことだ。だが、それなりにやりようがあるだろう」


 反応の薄い罪人に業を煮やしたのか、王女様の横に黙って立っていたご令嬢が口を開いた。


「サリアその言い方は……。いいえ、はっきり言うべきね。私たち騎士の役割は強い魔獣をより多く狩ることです。狩猟こそが偉大なるグランドギルドの末裔としての誇りであるべきだわ」


 騎士が魔獣を狩らないと都市は存続できない。それは厳然たる事実だ。狩りの獲物、つまり巨大な魔獣が大量の食料や毛皮などの資源を生み出すだけではない。騎士が魔獣を狩ることで安全地帯を作らなければ平民が森で採取をすることも出来ないのだ。


 特に強力な魔獣、上級魔獣は数は少ないが出現すれば並みの騎士は近づけない。万が一都市の近くにこれがのさばると人間は都市結界に閉じこもるしかなくなる。つまり食料が断たれる。


 だから、騎士は魔術を磨き強い魔獣を狩ることを求められる。そうしないと平民から飢え死に、あるいは死を覚悟で森に入った挙句に魔獣に食われることになる。いやというほど知っている。


 だから反論はないのだ。もし一つだけ言いたいことがあるとしたら、偉大なるグランドギルドの人間は狩りなんてしてなかっただろう、くらいだ。


 歴史書を読めばわかることだが、現在の都市を支配する騎士は高度な魔術を擁したグランドギルドの支配下で、限定された魔術だけを教えられた末端の末裔だ。俺たちが一年生の時に学んだ魔術基礎の教科書は、グランドギルド時代に作られた原本の初歩を切り取ったものにすぎない。


 別に隠された秘密というわけじゃない、それこそ資料室の書庫に死蔵された本に書いてある。もちろん、狩りが第一の騎士にそんな暇も興味もない。いや、グランドギルドが滅んで門外不出だった高度な魔術が失われた今、そんなことを気にしても仕方がないのだ。もしも騎士が学問にかまけて狩りをおろそかにすれば、残り九割の平民から飢え死にする。


 騎士は狩りに集中すべし、ただしそれが出来る人間に限るけど。


「黙ったままではらちが明かないわ。何か考えがあるなら、それを聞かせてもらえる」


 沈黙している俺に、リーディアが問いかける。とても我慢強いと思う。真っ当な努力が真っ当に報われてきたであろう人間の余裕だろうか。


「では努力の方向性を変えてどうなるでしょうか」


 答えるまで帰さないという雰囲気に負け、しぶしぶ口を開く。


「どう、とは?」

「騎士にとって最も大事な要素は魔力量です。演習はもちろんですが、術式の習得や訓練に関してもそうです。また魔術の行使に必要な魔力色媒は魔獣の髄液で、強力な魔獣を狩れば良質なものが手に入ります。強い魔獣を狩れるものがより強い魔術を行使できることになります」


 つまり、優れた資質を持つものは優れた実力を獲得しやすく、俺のように際立って魔力の低い人間はどん詰まり。これが騎士見習の教育だ。


「卒業、つまり騎士叙任の条件は中位狩猟魔術の習得ですよね。私の計算したところ、私の魔力ではどうあがいても中位狩猟魔術は実用性を持ちません。なぜなら私の魔力量で中位術式を発現させるには、上級の色媒が必要になるのです。リーディア様とは逆ですね」


 つまり、上級魔獣を狩って得た色媒で何とか中級魔獣に対抗できる魔術を行使できるという逆転現象が起こる。要するに不可能ということだ。ちなみに目の前の王女様は昨日、中位魔術を下級色媒で使って見せた。術式に無理やり大量の魔力を流し込んで可能にしたのだ。


 本当にすごいと思うが、それは努力でまねできる領域ではない。それを解ってほしいところだ。


 俺と彼女は全く正反対の立ち位置にある。彼女の未来が輝かしいのが確かなように、俺の未来は限りなく暗い。というか、このままでは騎士としての未来は存在しない。


「このままでは私はどうあがいても卒業、つまり騎士叙任は受けられない。これが私の現実認識です」

「それは……その可能性はないとは言えないわね」


 彼女は言葉を濁した。騎士ならば相手の魔力量は感覚的に分かる。俺の魔力量の少なさは折り紙付きだ。


「でもあきらめるのは早いのではないかしら。例えば一人では無理でもパーティーを組めば」

「では、リーディア様のパーティーに入れていただけますか?」

「貴様!!」

「サリア。ごめんなさい。それは無理だわ。あなたに合わせては私たちの実績が落ちる。それは将来的には王家の、そして猟地全体の成果に影響するわ」


 パーティーメンバーを抑えてリーディアがはっきり言った。こういう率直なところだけはありがたい。そして彼女の言う通りだ。上級魔獣狩れる有力騎士候補が落ちこぼれに足を引っ張られることは、都市全体の損失だ。


「おっしゃる通りです。そして、この事情は基本他の同級生も同様です。彼らも自分たちの将来と家の繁栄が掛かっています。私と同じ平民出身者はただでさえ魔力が低い、足手まといを連れていく余裕はないでしょう」


 これが俺がパーティーに入れてもらえない最大の理由だ。


「それは…………」


 淡々と説明する俺に王女様は言葉を止めた。こちらとしては現状認識を語っているだけだ。納得していることなので、可哀そうな人間を見る目で見ないでほしい。


「…………なるほど、あなたの言っていることにも一理ありますね。もしかして文官への転身を考えているのかしら」


 リーディアははばかるような口調で聞いてきた。


 いわゆる文官“落ち”だ。騎士の家に生まれながら魔力が無かったものがたどる道だ。名門家にとっては兄弟姉妹の結婚にまで影響する不名誉らしい。


 ちなみに、平民にとって文官はお役人様だ。正直言えば騎士なんかよりもずっとあっている気はする。だが、俺が騎士に成れなければ困る人たちがいる。七年前に両親を失った俺を引き取ってくれた挙句、見習として鍛えていた途中でこっちに引き抜かれた染料工房の親方とその娘だ。


「それは正直言えば困ります」

「そうよね。でも、先生の話ではこのままでは落第ということになるの。何か手段を講じるべきではないかしら。あなたの考えは?」


 噛んで含めるような言葉に思わず「やってるよ」といいたくなる。実際、王女様に捕まらなければ今頃寮に戻ってそのための手段を講じているはずだった。


「そうですね。例えば、色媒の魔力伝導率を大幅に引き上げる方法があれば、私の魔力でも中位狩猟術が使えるようになるかもしれません」


 望み通り考えを言った。リーディアはますます痛ましげな眼でこちらを見るだけだ。彼女の横でサリアがあからさまにため息をついた。予想通りの反応だ。


 良い色媒が欲しければ、より強い魔獣を狩れるように魔術を磨く。魔力を磨けばより良い獲物を狩れて、良い色媒が手に入る。そしたらさらに優れた魔術を使えるようになる。これが学院のカリキュラムの基本だ。


 騎士はとにかく実用を重視する。考えを言うよりやって見せろというのが基本だ。もちろん、狩猟魔術は実際に使えなければ意味がない。だから、俺は何も言えない。俺の実験はまだその段階ではない、というよりもその段階に至る保証なんて何もない状況だ。


 沈黙する俺にリーディアは小さくうなずいて、口を開く。


「どうかしら、一度放課後の自主練習を一緒にやらない。少しはアドバイスができるかもしれないわ。確かに生まれ持った魔力は基本的に大きく伸びることはないけど、そういった例が皆無というわけじゃない」


 おそらくこれは彼女の中で最初から用意されていた結論だ。どれだけ親身に見えても、騎士家の子供の考えはこうなのだ。そう思ったら一際心が冷えた。


「とんでもございません。リーディア様の貴重なお時間を私などが奪うなどできません。それに、実は明日は予定がありますので」

「リーディア様のご好意を」

「いいわ。突然のことだもの。仕方がないわね。もし今後私にできることがあれば遠慮なくいって」


 これまでは曲がりなりにもこちらの向いていた紫の瞳がそらされた。完全に失望したって感じだな。美人の王女様のこの表情は多少堪えるけど、正直諦めてくれた方がいい。


 俺は黙って一礼して部屋を出た。


 校庭で熱心に自主練習している生徒たちが見える。その中を寮への道を歩く。たしかに、傍から見たら成績が悪い癖に努力もせず部屋に逃げ込む落伍者だな。


 だが、これからが俺の騎士見習としての本番だ。色媒の等級を技術的に引き上げる、俺にとっての唯一の可能性である『錬金術』の実験をするのだ。

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