狩猟騎士レキウスの錬金術 ~職人見習が錬金術で失われた超魔術に挑む

のらふくろう

第一章 職人見習と王女様

第1話 狩猟騎士見習

 巨木が立ち並ぶ森の中。樹冠から漏れる青空は遠く、幹に巻き付く歪な蔦は人の頭ほどの果実を垂らしている。根元近くに張り付くように生えたコケはゆっくりと呼吸するように七色の光を明滅させている。地面から生える人の背丈ほどもあるシダの葉の裏では一抱えほどもあるカタツムリが微かに光る胞子を食している。


 魔力に満ちた密林の中、枯葉だらけの地面がところどころ黒い地肌を現していた。巨大な蹄が抉った跡が刻まれているのだ。


 自分のそれよりもはるかに大きな蹄の跡に一人の少年が両足を広げて立っていた。白地に緑のラインを描き、要所を滑らかな皮で補強された猟衣をまとい、銀色に光る大槌型の狩猟器マナ・ギアを手にしている。


 少年が見据える先には、長い毛皮に赤い光を纏わせた巨大な動物がいた。太く湾曲した眉間の角を突き出し、太い後ろ肢で地面を掻いている。魔力に満ちた森のエサがはぐくんだ巨大な魔獣、それが彼ら将来の狩猟騎士の獲物だ。


 四つ足を地面についてなお己よりも高い犀がその角に赤い魔力を満たしていく。対する少年は両腕を通じて銀色の大槌に白い光を流し込んでいく。槌の柄は持ち手に合わせて緑色に塗られており、そこから槌の打面に向かって同色のラインが伸びている。白い光は緑のラインを通じて緑に色付いていく。


 銀色の魔導金属マナ・メタルの表面に塗られた魔力色媒マナ・ディグにより緑一色になった魔力は槌の打面に同じ色媒で描かれた術式スペルを満たしていく。


 術式の全てを魔力が通った瞬間、模様全体が緑に光り、槌全体に広がっていった。


 魔獣と人、それぞれの流儀によってその力を発現させた魔力は、ほぼ同時に相手に向かって発動する。四肢に満ちた魔力により魔獣が巨体を疾駆させる。反り返った角が少年の体を貫く軌道を飛ぶように進む。


 待ち構える少年は巨大な金属を振りかぶる。木の枝でも振り回すような勢いで振り降ろされる。鞭のようにしなる槌の軌跡に従い打面へと集まっていく緑の魔力が巨角の赤と激突した。


 木々を照らして光が爆ぜた。


 二つの力は拮抗し、四肢と二本足が同時に地面を踏ん張る。だが、少年の魔力が急速に力を失っていくのに対し、魔獣は力を増していく。数秒で均衡が崩れ、少年の体が後ろに下がり始める。


 彼が吹き飛ばされそうになる瞬間、青い光の帯が魔獣の後肢に絡みついた。青く光る鎖が巨木の幹から蛇のように現れ、巻き付いたのだ。


 鎖には青い色媒で術式が描かれ少年と同じ白い猟衣の少女の手元に繋がっていた。


 右前足と左後ろ足に巻き付いた鎖により動きを止められた魔獣の頭上で、今度は赤い光が発生した。木の枝に立った別の少年が赤い光を纏った穂先を真下に向けたのだ。


 魔力で強化された毛皮と槍の穂先がぶつかった瞬間、赤い光が爆発的にはじけた。やがて、心臓を真上から貫かれた魔獣が地面に倒れた。かすかに光る血が地面に広がり、すぐに黒い染みに変った。


 三人の騎士見習は狩猟器をぶつけ合って狩りの成功を祝う。二人が魔獣の額の魔力結晶とそこからあふれる緑色の髄液を回収する。槍を持ったリーダーが自分たちの団章が描かれた標札を獲物の首に差した。


  △  ▽


 三人の同級生が森の奥に向かう。あと少しで演習は終わりだというのに次の獲物を探すらしい。あの大きさなら一人当たりの実習点としても十分だろうに。さすが、二年生の中でも指折りの狩猟団パーティーだ……って危なっ。


 よそ見していた俺の顔の横を影がかすめた。あわてて銀色の棒を構える。俺の前には牙をむいた小魔獣ネズミがいる。


 ネズミといっても都市まちの側溝にいる旧時代からの生き残りの小動物とはわけが違う。大きさは一抱えほどもあり、小さいながら額には魔力結晶もある。


 なけなしの魔力を狩猟器、といっても初歩練習用の棒だが、に流す。棒の先端三分の一に塗られた緑の魔力色媒が光り、強化された一撃が何とか鼠を捉えた。


「よし、これで緑のサンプルは取れた。赤はまだストックに余裕があるから、次は青が欲しいな。カエルが狙い目だけど、ここの地形条件なら……」


 周囲を見渡たす。倒木の雨露が見つかった。中にかすかに青い魔力の光が見える。


 カエルから青い髄液を瓶に採取したとき、河の方から銅鑼の音がした。



 河原に面した草地に周囲の森から同級生たちが出てくる。皆が今回の成果について話しながら歩いている。だが、演習終わりの弛緩した空気は一陣の風のように草原を駆けた魔力の気配により一変する。全員が一斉に言葉を止め、戸惑うように左右を見ている。


 反対側、森が深い北側から生徒たちが駆けだしてきた。大きな魔力が近づいてくる。さっきの犀の数倍の強さだ。


 慌てて懐から自作の地図を取り出す。まずいな、あっちはちょうど魔脈が跳ねてる場所だ。これはヤバいのが出てくるぞ。地図の端に書き込んだ“出会ってはいけない”魔獣のリストを見る。


 夏の終わりという時期とあそこらの地形、それに赤の魔力から考えると想定されるのは……。


 逃げてきた生徒を追うように、森の木を押しのけて二本足の灰色の巨体が姿を現した。


 体の大部分覆う銀の毛皮に背中に蓑のような緑の長毛。中級魔獣の中でも最上位であり、比較的魔力が薄い都市周辺では頂点捕食者である大王熊キング・グリズリーだ。北にある魔脈の支流の変動につられて出てきたのだろう。


 つまり、完全に予想外の遭遇ということだ。演習区域の周囲で外からの魔獣の侵入を警戒している教官たちはまだ駆けつけない。現役騎士のパーティーでも苦戦する魔獣が、狩猟演習を初めて半年もたっていない二年生みならいの前に現れたこの状況はかなり危険だ。


 とはいえ実習成績最下位の俺にできることは何もない。だからこそ、間違っても間違わないように南側の森にいたのだ。俺よりもずっと魔力に恵まれた同級生たちも蜘蛛の子を散らすように逃げ出している。パーティーも何もないバラバラだ。


 だが、そんな中を正反対の方向に駆ける二人の少女がいた。


「みんな下がって。私たちが対処する」


 凛とした声で同級生に指示をしたのは、セミロングの赤毛を靡かせる美しい少女。


 刀身中央に赤い術式を描いた剣を構えた少女はリーディア・リューゼリス。姓からわかる通り俺たちの都市くにリューゼリオンの王女様だ。白い猟衣の胸からスカートにかけて染め抜かれた鮮やかな朱の紋などなくても、彼女から発せられる膨大な魔力が王家の血筋を知らしめる。


 彼女の後ろには黒髪を後ろに束ねた少女が無言で付き従う。二人は自分の背丈の倍以上、体重なら数十倍はありそうな巨獣の前に立ちはだかった。


 威嚇するように両手を上げる大王熊。その丸太のような腕の先に十本の鋭い爪が光る。比べて彼女の手の剣はあまりに頼りない。


 体格差がある魔獣と戦うため、多くの学生はリーチのある狩猟器を選ぶ。更に、王女様が得意とする赤い魔力は瞬発的な爆発力を特徴とする。当たれば最大の効果を発揮するが、外れれば極めて危険な状況に陥る。


 赤く輝き始めた剣を手に熊の前に走り込む少女は後ろで見ている俺の方が怖くなる。毛だらけの右腕が振り下ろされる。赤い軌跡が上から下へと降り注ぐ。こちらまで聞こえる轟音と共に、土煙の中に赤いものがぱっと飛び散った。


 だが、抉られた地面には何もない。真紅の髪の少女は薙ぎ払うような一撃を風のように避けたのだ。猟衣のブーツに走る赤いラインが煌めく。


 削り取られた地面の草が空中に飛び散る中、優美なステップで熊の側面に降り立った少女は、両手で剣を構えた。朱の光が刀身を超えて広がる。効果が狩猟器本体に納まる下位術式と違い、効果が器を超える中位術式だ。


 下位の三倍を超える複雑な中位術式はそれを使いこなすための魔力量と制御を要求する。特に術式を描く色媒の色合いからわかるように、下級ランクの色媒を魔力量で無理やり発動するような芸当となると、いったいどれだけの資質が必要になるのだろう。


 だが、そんな彼女の才能を野生の力は上回る。発動までのわずかなスキに体制を立て直した大熊の左腕が振り上がった。今度こそ外すはずがない攻撃。だが、腕が振り降ろされる前にそれは唐突に止まった。


 槍の穂先が付いた鎖がまるで生き物の様に絡みついたのだ。


 彼女のパートナーである黒髪の少女サリア・ベルトリオンの狩猟器だ。代々王家の側近である名家ベルトリオンのご令嬢の手から伸びる青い光を帯びた鎖は熊の背後の大木を回り、熊の腕を縛り上げている。


 青い魔力は赤とは対照的に遠隔に届き、正確な操作を特徴とする。幾つもの木を跨いで正確に魔獣の動きを止めて見せる技量は、王女殿下のパートナーに相応しいものだ。


 だが青い魔力は力自体は強くはない。大王熊が全身をひねって力を籠めると、魔導金属のきしむ音が聞こえてきた。


 だが、片腕の動きが止まっただけで彼女には十分だったらしい。


 赤い光が鋭く空間を切り裂いた。次の瞬間血しぶきが上がり、熊の咆哮が空気を揺らした。


 太ももを深く切り付けられた魔獣が膝をつく。魔獣の死に物狂いの膂力に鎖がきしむ。巻き付いていた木の幹に火花が散る。行動の自由を得た魔獣が腕に巻き付いた木ごと空間を薙ぎ払おうとする。圧倒的な暴力が少女に向かう。だが、その時には彼女の体は再び空中にあった。


 炎のような一閃が下がった太い首を捉える。真っ赤な血が吹き上がり、心臓まで切り下げられた巨体が地響きを立てて地面に倒れた。


 学生たちの歓声が草原に響いた。狩りの女神に例える賞賛の言葉が二人の美少女に投げかけられる。


 終わってみれば全く危なげなかったようにすら見える戦い、いや狩りだった。俺が資料室の情報をかき集めて予測した危険は、彼女の圧倒的な才能により無意味と化した形だ。


 いや、実際には才能だけではない。背が高い魔獣にダメージを与えるなら太腿の血管は最大の狙い目だし、瞬発力に優れるも持続力に欠ける赤い魔力の特性を完全に把握した戦い方は基本に忠実だ。パートナーとの連携も完ぺきだった。


 魔力量に狩猟魔術の技量、立ち居振る舞いと判断力、それらすべてが高水準で釣り合っている。その結果、騎士にとって最も大事な仕事である魔獣狩りを見事に果たして見せた。


 おかげで一歩間違ったら惨事になりかけたこの演習は無事に完了した。彼女の十分の一の魔力もない平民上がりの小賢しい分析が遠く及ぶはずがない。ただ遠くで見ているだけだった身としては感謝すべきだろう。


 俺には彼女のようなことは決して出来ないのだから。


 …………


「また0点かレキウス。いくら平民出身とはいえそんなことだから……、いやもういい船に乗りなさい」


 都市に引き上げるための船の前で今日の成績を付けていた教官がため息とともに言った。無言で頷く俺を呆れたように見る教官は、すぐに首を振り、顎で船を指した。黙って船に向かう。同級生たちが目をそらす中、隅に腰を下ろした。


 船が出た。揺れに合わせて河の両岸の森が流れていく。周囲が今日の獲物の成果を自慢し合う中、俺は河の左右の森に目を向けていた。


 人間の頭ほどのオレンジに一粒が拳大の葡萄。大きく二つの葉を広げるのは地下に芋が埋まる印だ。あの大きさなら大人の身長を超えるだろう。


 魔獣が闊歩する危険極まりない森は、同時にこういった産物の宝庫だ。だが、見習も含めて騎士しゅりょう階級の人間が採取することはない。それは魔力を持たない九割の、その中でももっとも底辺に位置する人々の仕事なのだ。


 ぼろぼろの茶色の服に籠を背負った人々が森の中に見える。ある者は木に登り果物をもぎ取り、ある者は土を掘り返し芋を引き出す。職人や商人などの技能を持たない平民が人頭税の代わりにする採取労役だ。


 騎士が魔獣を狩り、安全が確保された領域で採取労役は行われる。もちろん事故は起きる。もしあの熊が演習地を突破してここまできていたら、木々は果実ではなく人間の血で赤く染まっただろう。


 そういう意味では王女様をはじめ、同級生たちは持てる者の義務を果たしたと言える。


 本来なら自分がその中にいてもおかしくない労役者たちから目を反らした。彼らが目に付いたということは、都市が近いということだ。


 やがて、流れの先に白い光のドームが見えてきた。ドームの下には円形の城壁がある。大地のほとんどを魔の森が覆うこの大陸で、人間が安心して暮らせる限られた場所である都市だ。


 魔術の最盛期を作り出した偉大なるグランドギルドが狩猟の拠点として建設してから六百年、そのグランドギルドが滅亡してからでも三百年の歴史をもつ都市リューゼリオン。巨大な結界魔術に守られた俺たちの都市くにだ。


 船は城壁の水門をくぐり運河に入る。運河からさらに内側への水路に入り、やがて白い校舎と校庭を持つ施設の前で止まった。俺は最後に校庭に足を下した。


 とりあえず狩猟器の汚れを落とした後、調整室で今日の成果を処理しよう。そう思って校舎に向かおうとした俺の前に赤毛の同級生が立ちはだかった。


「学年代表として少し話があります。明日の放課後代表室まで来てください」


 さっきの大立ち回りを感じさせないすらっと伸びた姿勢で、彼女は落ちこぼれをまっすぐな、そして厳しい視線で見据えて告げた。

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