五回目 ㉖君の想い出
夕映えを描き出す窓の外、グラウンドの中央では相も変わらず篝火が立ち上る。取り囲む生徒たちの姿だって今まで通りだ。
「なあ柚希、本当にキャンプファイヤーには参加しなくてよかったのか?」
「うん、夢の終わりはここで、彼方くんと二人きりって決めてたから」
「そっか……」
辛気臭い空気にはしたくない。だけど、終わりがもうすぐ目の前まで迫っていることがわかると、どうしても口数が減ってしまう。纏わりつく枷を振りほどこうとして、逆に身動きが取れなくなる。そんな感じだ。
曰く、タイムリミットはキャンプファイヤーの終了のタイミングだという。
残された時間は一時間にも満たない。僕らはその瞬間を、部室で迎えることを選んだ。
「ねえ、彼方くん。少し、わたしの思い出話に付き合ってくれないかな?」
定位置に腰かけている柚希が、落ち着いたトーンで問いかける。
拒否する理由も意味もない。寧ろ、互いに黙っているよりかはよっぽど有意義な提案だ。
窓際から離れ、柚希の向かい側、普段彼女と言葉を交わしていた思い出の席に腰をおろす。
「もちろん。柚希の赤ん坊の頃からこれまでの話を包み隠さず教えてくれ」
「そうだねー、わたしが赤ちゃんの頃は、ずっと他人の性的嗜好について考えてたかなー。あ―この人は多分年下の男の子から罵倒されながらこき使われるのが好きなんだろーなーとか、この人は女上司の弱みに付け込んで好みのコスプレをさせるのが好きそうだーとか」
「たまらなく歪んだ思考をお持ちの赤ん坊だったのですねーいやはや恐れ入りますわ」
そんな赤ちゃん全然可愛くない。柚希じゃなかったら。
「他にもね、色んな人を観察してカップリング妄想したり、抱っこしてくれる人の匂いを嗅いで私生活を想像したりとか」
「ただの変態じゃないか!」
そんな赤ちゃん引くわ! 柚希じゃなかったら。
「っと、冗談はここまでにして」
にへらと笑った柚希は、自身の髪の毛をつまんで指の間で擦り合わせる。
そんな彼女の、望郷の念に駆られるような純真な眼差しは、澄み切った空の下、日向の香りが溢れ出す景色を思い起こさせる。
**
一年前の夏に、わたしドジっちゃってさ、締め切り間近の公募用の原稿を無くしちゃったことがあるんだ。
データはパソコンに入ってはいたけど、無くしちゃった原稿、手書きで添削やら推敲やらをした原稿で、絶対に無くしちゃいけないものだったのに。なのに無くしちゃって。
心当たりのある場所を片っ端から探し回って、それでも見つからなくて……仕方なく諦めて、泣きそうになりながら部室に戻ったら、机の上に原稿が置いてあった。
それも、ただ原稿が置いてあっただけじゃなくて、身に覚えのない付箋が付いてて
『落としものを勝手に読んでしまってすみません。小説、すごく面白かったです。ぜひまた読ませてください。陰ながら応援しています』
そう書いてあったんだよ。見つかっただけでも嬉しかったのに、そんなメッセージまで書かれてたら、もう涙を堪え切れなくなってわんわん泣いちゃって。そしたら、部室に帰ってきた梨乃がもの凄い剣幕で、どうしたの? 誰に何をされたの? 私がそいつを懲らしめるからって言いだして……この人のせいって付箋を指さしたら、不思議そうに首を傾げてた。
その付箋をくれた人に、どうしてもお礼が言いたくて、でもその人、名前を書いてなかったんだよね。誰だかわかんないからお礼のしようがないなって思ってたら、ある日、司書の先生が教えてくれたんだ、その人のこと。
図書室の片隅で、小説の原稿を読んでいた男の子が居たって。その男の子に原稿を預けられて、司書の先生が部室に届けてくれたみたい。
そして、文化祭の日。わたしはその男の子と運命的な出会いを果たした。その男の子は、わたしの隣で、一緒に裏門の受付を面倒くさそうにやっていたんだよ。そんな彼に、どうやって声をかけようか、そう考えあぐねていると、何と彼はスマホを取り出してゲームを始めだした。しかもそれは、わたしもやっているゲームで『運命の夜』っていうRPG。まさに、運命的な出会いを果たしたわたしたちにピッタリなゲームだと思わない?
この機を逃すまいと、わたしは思い切って彼に声をかけ、無事共通の話題で盛り上がることに成功した。ただ、お礼を言うだけでは終わらせたくなくて、ううん、本当はいざとなったら急に恥ずかしくなって、結局お礼は言えなかったけど、代わりに、もっと彼のことを知りたくなって、思い切ってフレンドコードとメッセージアプリの連絡先なんかを交換して、彼と仲良くする術を手に入れちゃった。
それから、どんどん彼との交流も増えていって、冗談交じりにわたしが文芸部へ勧誘したら、即答で頷かれて、正直びっくりしたけど、それ以上に嬉しかった。そして、あの原稿を書いたのがわたしだってわかるんじゃないかってちょっぴり期待もした。
だけど、彼はどうやら鈍感らしく、まったく気づく様子もなくて、少し寂しかったな。
でもね、彼はわたしの書いた別の小説のことも褒めてくれて、更には感想文なんて書いてくれたこともあって、その時には、嬉しさのあまり大胆にも抱き着いちゃったりもした。
彼は正直者の変態さんだから、わたしが離れた後も鼻の下を伸ばしてたっけ?
そんなこんなで、放課後の部室ではわたしと彼と梨乃の三人で、他愛もない話をしたり、面倒くさがる梨乃を強引に誘ってゲームをしたり、もちろんちゃんと小説も書いたりして、充実した時間を過ごすことができた。
何だかんだ梨乃も、わたしとしか話さなかったのに、彼とも次第に会話をするようになって、今では漫才みたいな掛け合いまでするようになった。
正直言うと、少し嫉妬もしちゃったけど、それ以上にわたしたちがちゃんと仲良しであるってことが実感できてとても嬉しかった。
巡り巡って一年後の文化祭。わたしは彼に告白された。凄く凄く嬉しくて、でもそれと同じくらいに胸が締め付けられちゃった。本当は今すぐにでも頷きたいのに、とある女の子のことが頭から離れなくて、だからわたしは、咄嗟に彼を傷つけるような答えを出してしまった。嘘の、返事をしてしまった。
彼は部室から飛び出してしまって、わたしは引き留めようとしたけど、その声は届かなくて……その帰りに、わたしに天罰が下った。
暗くて深い海の底に沈んでいくように、わたしの意識は遠退いていって、ああこれは、彼を傷つけてしまったわたしに対する罰なんだって思った。ずっとずっと好きだったのに、自分の気持ちにも、彼の気持ちにも嘘をついた、わたしに科せられた罰なんだって。
何にも見えない真っ暗闇の中をずっと彷徨ってた。時折聞こえる、両親や、梨乃、彼の声はとても遠くて、もう自分が助からないんじゃないかってことを何となく悟った。
わたしはもう死んじゃうんだって……そう思った。
すると、突然暗闇の中に一筋の光がさして、わたしは無我夢中で手を伸ばした。
きっと、わたしがここから抜け出せる、最初で最後のチャンスなんだからって。必死で。
その眩い光に包まれて、目を覚ましたわたしに待ち受けていたのは、終わったはずの文化祭のあの日――二〇一八年九月二一日だった。訳が分からなくて、凄く混乱してたんだけど、そんな状況下で咄嗟に彼に会いたくなって、時間も気にせずに家に押しかけちゃった。彼は凄く気まずそうにしていたけれど、わたしはとにかく彼に会えて安心した。例え夢の中だったとしても、また彼と会うことができて感極まって。
でもやっぱり、告白を断った手前、いつも通りにはどうしてもなれなくて、それが悔しかった。本来の文化祭みたいに、彼と一緒に楽しく文化祭を回りたくて、でもそれができなくて……。よそよそしい……というよりか、寧ろ彼に拒絶されているんじゃないかって思って、とても辛くて苦しかった。
でも、決して悪いのは彼じゃなくて、その原因を作ったわたしが悪いんだからって、自業自得なんだって言い聞かせた。
そこでふと思った。どうして彼と梨乃は、これが二回目の文化祭だと認識しているのだろうかって。これは、わたしの見ている夢じゃないのかって、そう思った。
もしこれがわたしだけの夢じゃないのだとしたら、わたしの本当の気持ちを彼に伝えることができる。そのチャンスがある。……でも、やっぱりできない。わたしは多分、この夢が終わったら死んでしまう。その確信があったから。
後にわたしは、夢を見ているわたしたち三人が、それぞれに後悔のようなものを抱いているということに気がついた。そしてここから抜け出す鍵が、それを晴らすことであると。そうじゃないと説明がつかなかった。わたしたちが何のために、同じ文化祭の日を繰り返しているのか、どうして三人なのか、なぜ抜け出せないのか……。
それは、わたしたちがあの日に悔いを残しているからなんだと思った。
後悔を晴らさないために必死になっていたわたしは、わたしを心配してくれていた梨乃のことを怒らせてしまった。その時、初めて梨乃と喧嘩をした。
寂しくて、胸が苦しくて、衝突し合うっていうのが身を引き裂かれるように辛いんだってことがわかった。でも、喧嘩をした後は、互いにごめんなさいを言い合って、きちんと仲直りもした。約束事だって交わした。親友との初めての喧嘩は、わたしにとって良い思い出になった。
そんな梨乃に背中を押されて、屋上まで駆けつけてくれた彼に、勇気を振り絞って真実を伝え、そして、わたしは彼に本当の想いを打ち明けた。
ずっと、ずっと想い続けた彼と、ようやく恋人同士になれて、胸の内側が温かな気持ちで満たされた。これが幸せなんだって実感した。同時に、まだまだこれから楽しいことがいっぱい待ってるんだって胸が高鳴った。明日が楽しみだって、子どもみたいにはしゃいで。
最後の文化祭。今日、わたしの大好きな彼は、わたしにたくさんの思い出をくれた。わたしの知らない、彼の昔話、まあ全部黒歴史なんだけど、今までで一番って言っていいくらい笑い転げた気がする。わたし多分一生忘れないよ?
秘かに夢見てた、好きな人と肉まんを半分個にして食べるってシチュエーションを、まさか実現できるなんて思ってなかったからすっごくドキドキした。それに、大胆にも食べさせ合いっこまでして、わたしは贅沢をし過ぎちゃったかな?
二人で星空を眺めて、天の川の解説中、どちらからともなく、まるでわたしたちの恋は彦星と織姫みたいだって口を揃えて言い出しだ。今思えば、かなり恥ずかしいこと言ってるよね?
お化け屋敷では、前回彼が全然怖がってくれなかったから、どうしても脅かしてやりたくて、勝手に色々根回しもした。結果、想像以上に驚かせることに成功した。まあ、自分もかなり怖かったんだけど……。
本命チョコを渡せたのは、今回が初めてだった。バレンタインにはだいぶん早いけど、大事なのは気持ちだから日にちなんて関係ないんだー! って思い切って挑戦した。
まさかお返しに彼の手作りスコーンを貰えるなんて思ってなくて、ちょっと驚いた。彼のスコーンは、愛と気合で作ったような味わいで、感涙に咽ぶとはこういうことかって思った。
ただ、すこすこのスコーンってのはどうかと思うよ……?
そして何といっても結婚式! 流石に重すぎたかな? でも、やっぱりどうしても叶えてみたかったんだよね。好きな人と結婚するのは女の子の憧れだよ? ウエディングドレスだって絶対に着てみたかった。だから、この夢を叶えてくれた彼にはものすごく感謝してる。これ以上に望むものはもうないってくらい幸せだった。
彼の誓いの言葉も、絶対に忘れない。
他にももっといっぱい忘れられない大切な思い出があるんだけど、全部を語ってたら時間がいくらあっても足りなくなっちゃいそうだから、この辺で自重するよ。
それにしても、こんなにたくさんの思い出を作れたのは、全部、あの日落としちゃった小説の原稿のおかげなんだよね。
一体どこで無くしちゃったのかはわからないけど、原稿を無くしてよかった。
そして、それを彼方くんが読んでくれてよかった。
そんな偶然が紡いでくれた運命に、感謝をしてもし切れないよ。
公募は落選しちゃったけど、彼方くんに面白いって褒めてもらえて、それだけで十分だった。
えっとね、彼方くん。遅くなっちゃったけど、わたしの小説を拾って読んでくれてありがとう。わざわざメッセージまでくれて本当にありがとう。とっても嬉しかったよ。
あのメッセージのおかげで、自分の書く小説に自信がついたし、何より、わたしは彼方くんと出会えて、そして素敵な恋ができた。
全部、全部彼方くんのおかげ。
だから、わたしにとっても彼方くんは、とっくの昔から特別な存在だったんだよ?
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