五回目 ㉕誓いの言葉
その後の時間もあっという間に過ぎ去っていった。
天文部の簡易プラネタリウムでは二人きりで星空を眺め、短冊にお願い事を吊るし、季節外れの七夕気分を味わった。ずっと二人でいられますようにと、心からの願いを記して。
柚希がもう一度お化け屋敷に行きたいなんて言い出したから付き合ってみたら、前回はなかったはずの通路を塞ぐ巨大な和紙を突き破って、ブリッジしたまま女のお化けが追いかけてきたり、急に汗だくのマッチョが出現して抱き着いてきたりして色んな意味で肝を冷やした。それを見て、他人事のようにゲラゲラ笑う柚希は正真正銘悪魔にしか見えなかった。
前回芋まんじゅうを作った調理体験教室では、柚希の手作りチョコレートを味わうことができた。今まで渡せなかった、本命チョコだと言ってはにかんでいた彼女を、一生大事にすると心に誓った。
お返しに、僕も初めてのスコーン作りを試みた。どうしてわざわざスコーンにしたのかと聞かれ、君のことがすこすこだからスコーンなんだとドヤ顔で答えたら、梨乃のような冷たい目であしらわれた。
出来上がったスコーンは、お世辞にも美味しそうだとは言えないような見た目で、僕は思わず皿を引っ込めようとしたが、柚希はそれを嬉しそうに頬張っていた。
笑顔で美味しいと言ってくれた彼女と結婚したいと、涙ぐみながら天を仰いだ。
そんな騒がしい文化祭に、僕らの一生分の思い出を詰め込んだ。
「ここで、最後だね」
花クラブと書かれた扉の前に立ち止まり、柚希は緊張した面持ちでもじもじとしていて落ち着かない。
「彼方くんは、合図があるまでここで待っていてくれないかな?」
「え、まあ、別にいいけど。ここは一体?」
「そ、それは入ってからのお楽しみ、ということでっ……」
柚希は明らかに挙動不審だ。何らかのサプライズを企んでいるということが、否が応でも伝わってくる。
「わかった。ここで待っていればいいんだよな?」
「う、うん。中を覗いたら絶対に駄目だからねっ」
そう言われると余計に気になって仕方なくなるだろう。絶大なカリギュラ効果で好奇心が高まる。鶴の恩返し的なノリなら、覗いてしまえば柚希が消えてしまう。
それは嫌だ。
勝手に想像して身震いしてしまった。
「じゃ、じゃあ、わたしは先に行くけど、絶対開けたりしたら駄目だからっ」
最後まで念を押して柚希は扉の向こうへと姿を消した。
さて、覗いてみるか。なんて往生際の悪いことはしない。もとい勇気がない。柚希が消えてしまうんじゃないかと本気で思ってしまう。
僕は扉に背を向けて、合図とやらが来るのを大人しく待つことにした。
今日一日、僕らは今までにないくらいはしゃぎ回っていた。それはもう、後悔なんて残さないくらいに全力で。柚希の人生を彩るはずだった数々のイベントも、なるべく再現して文化祭に盛り込んだ。いくら時間があろうとも足りなくて、僕はこの夢に永遠を望もうとしている。
柚希の笑顔を手放したくないって、我儘を言ってしまいそうになっている。
でも、それじゃあ駄目なんだ。ここでそれを望んでしまえば、この夢を終わらせることができなくなる。だけど、だけど……。
「瀬戸彼方さん、入っていいですよー」
すっかり悶々としていた僕の耳に、柚希ではない別の女の子の声が届いた。声の主が彼女ではないが故に、嫌な予感めいたものがふつふつと湧き上がる。
よくわからないが、取り敢えず中に入るべきなのだろう。
――どうか、柚希が消えていませんように。
教室の扉に手をかけ、存分に祈った後で勢いをつけて開いた。
その向こうには、僕の想像を上回る光景が広がっていた。
「なっ……!」
視線の先、教団の上で佇む柚希が身に纏っているのは、僕の勘違いでなければウエディングドレスだろう。純白のドレスに身を包んだ柚希の表情は、薄いベールの奥で熟れたりんごのように新鮮な色をしている。
「それでは、柚希さんのお隣までどうぞお進みください」
女子生徒に施しを受け、緊張で覚束ない足を必死で言い聞かせながら前へ進む。しかし、一体何が起こっているのか、まるで理解が追い付かない。ついさっき、確かに柚希と結婚したいなんて思っていた。でもまさか、本当にそうなるなんて予想もできなかった。
教団へ上ると、見慣れぬ柚希のドレス姿に目が釘付けになった。
普段は窺うことのない柚希の露出した肩は、透き通るような羽二重肌で思わず触れたくなるほど魅力的だ。そんな彼女だからこそ、胸元から足元にかけて彩られた花の如きドレスを、満開に着こなせるのだろう。
ひと際目を引くのは、理が非でもスカートだ。まるで、これまで辿った足跡を詰め込んだとばかりに膨れ上がったスカートは、彼女のこれから歩むべき軌跡を独り占めにしている。
彼女のドレス姿はとにかく幻想的で、楚々とした雰囲気を印象付けた。
「か、彼方くん……そんなにじっくり見られると、流石に、は、恥ずかしいよっ」
「ご、ごめん。あまりにも綺麗だったから、つい」
好きな女の子のウエディングドレス姿を目に焼き付けたいと思うのは、この世の男子全員が持つ欲望だろう。何せ、この機会は人生において一度きりしか訪れないのだから。
「でもまさか、やりたいことの最後が結婚式だったなんて、想像もしてなかったよ」
「わ、わたしだって女の子なんだから、そ、そりゃあお嫁さんにも憧れるよ」
「はは、そうだよな」
その相手に、自分を選んでくれたことは素直に嬉しいし、僕だって相手が柚希であることを望んでいた。まだ高校生で、まだまだ子供な僕らだけど、叶わない夢を見るくらいは神様だって許してくれるだろう。
さり気なく柚希から視線を逸らし、改めて教室内をざっと見まわしてみる。
手作り感満載の飾りつけだが、大した再現度だと思う。まあ実際の式場なんて見たことないけど。
「――それでは」
牧師役であろう女子生徒の声がかかり、僕は再び柚希に視線を戻す。柚希は、僕のことを真剣に見つめてくれていた。
「柚希さん、彼方さん、お二人は互いを生涯愛し続けることを誓いますか?」
かなりざっくりしたセリフだなと心の中で苦笑する。無理もない、柚希自身結婚式なんて初めてなんだから、完全再現はできっこないだろう。
「わたしは、生涯彼方くんのことを愛し続けると誓います」
急なことで思考が追い付いてないし、理解も完全にはできていない。でも、何をやらなきゃいけないのかはわかる。僕の気持ちを表明すればいい、ただそれだけだ。
彼女の言葉に続き、僕もその誓いを交わす。
「僕も、柚希のことを生涯愛し続け」
「――ううん。彼方くんは、駄目だよ」
「え?」
僕の声は予想外の台詞によって掻き消され、戸惑いを隠し切れなかった。
だが、そう感じているのは僕ただ一人だけで、牧師役の生徒も、張本人の柚希も、毅然とした態度で取り乱す様子はない。
「彼方くんは、わたしのことを、その……あ、愛し続けちゃ駄目……」
「な、どうして」
「彼方くんがそうしちゃうと、悲しむ人が居るし……。それに、彼方くんにはもっといっぱい色んな人に出会って、そして良い人を見つけてもらって、幸せな恋をして欲しいから」
「は、はあ? 何だよ。そんなの、余計なお世話だ」
柚希を好きでいられることを、例え報われない恋だったとしても、幸せな恋だと思っているし、誇りにさえ感じている。恋人が自分のそばに居なくたって、想いが通じ合っているのなら十分に幸せなんだ。だから、この恋に一切の後悔はないし、これからだって絶対にしない。
いくら僕が捲し立てようと、柚希は納得する素振りを見せやしない。
「彼方くんの気持ちは、本当に、凄く凄く嬉しいよ。でも、それじゃあやっぱり駄目なんだよ」
僕の気持ちは見抜かれていた。この夢を終わらせるためには、その気持ちを振りほどかなければならない。
そうか。これはただの結婚式なんかじゃないんだ。僕の心が揺らいでしまわないように、そんな意味も込められているんだ。流石だよ、柚希。やっぱり抜け目がない。
「だから彼方くん、お願いします。この夢の終わりまでは、こんな我儘でどうしようもないわたしのことを愛してください」
何を言われようとも揺るがない、固い意志を瞳に宿してそう訴えかける柚希。
そこまで必死な顔をされたら、もう何も言い返すことはできない。
「そんなこと、お願いされるまでもなく愛すよ。たった一日だけでも、柚希のことを愛せるのなら……それで構わない。だから、僕からもお願いしたい」
本来なら届くことのなかった想いであり、実ることのなかった恋だ。一日だけでも叶えられたこと、彼女を愛せることに感謝するべきなのかもしれない。そして、愛されることを当たり前だと思わないように……。
「僕のことを、こんな頼りない僕のことを……どうか、好きでいてください。お願いします」
勢い余って頭まで下げてしまった。まるで告白のやり直しをしているみたいだ。
「はい、もちろんです。……って、すっかり誓いの言葉がお願いの言葉になっちゃったね」
返事を受取り、頭を上げる。柚希は照れくさそうに頬を掻いていた。
「まったくだ。僕は愛を誓う気満々だったのに」
「だーめ。彼方くんは十分、わたしのことを愛してくれてるよ。だから、永遠なんて望まない。わたしはもう十分に幸せだから」
あの日から、僕は柚希のことを一方的に想い続けていると思っていた。一度はフラれたけれど、本当は彼女も僕と同じ気持ちを抱いていたことを知った。付き合えることになり、一日中二人で文化祭を堪能して、あまつさえ結婚式まで行って。間違いなく僕も幸せだと思っている。
だから、僕もこれ以上は望んではいけない。
「では、柚希さん。彼方さん。お二人の愛を、誓いの口づけを――」
牧師役の合図で、再び結婚式が動き出す。
きっとこれは、本来の結婚式とは色々と違っていて無茶苦茶だ。何より、永遠を誓わない結婚式なんて前代未聞だろう。もはや結婚式とは言わないかもしれない。でも、それでもこの結婚式は、僕らにとっての大切な思い出に変わりはない。
柚希と僕の距離を遮るベールをゆっくりと取り払い、彼女の華奢な肩に手を添える。緊張のためか、柚希は遠慮気味に身を縮め、瞼をきつく閉じている。高鳴る自身の鼓動を抑制し、呼吸を落ち着けると、彼女の唇にそっと誓いを示す。
名残惜しさが拭い切れないが、触れた彼女の唇から僕は距離をとった。
「ありがとう、彼方くん。わたし今、すっごく幸せだよ」
彼女の咲かせる屈託のない笑顔が、僕を幸せにしてくれる。
――だからもう、怖くない。
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