五回目 ㉔幸せの共有

「あっはははっ! それは死ぬほど恥ずかしいね! 黒歴史だ黒歴史!」


 遠慮という言葉を知らないらしい柚希が、右隣で笑い転げる。

 開会式の時間なんかはとっくに終わっており、今は店番真っただ中だ。とはいえ客数も少なく、その最中とは思えないほど暇を持て余していた。

 果たしてさっきでいくつ目のエピソードになるだろう。途中で数えるのをやめてから、もうずいぶんと経った気がする。自分がこんなにも恥を掻いて生きて来たのだと思い知らされると、自己嫌悪に陥りそうだ。


「前彼方くんの部屋にお邪魔した時の謎がようやく解決したよ。だから小学校のアルバムだけなかったんだね~」


「ああそうだよ。あんなのを誰かに見られるわけにはいかない」


「でも、その卒業アルバムを持っているのは彼方くんだけじゃないわけじゃん? 何一〇人もの人が持ってるんだから、隠したって無駄だと思うけどなー」


「知人に見られるのと他人に見られるのでは絶望の尺度が全然違うんだよ!」


 絶対に柚希に見られるわけにはいかなかった。どうして当時の僕は、全写真を漫画の敬礼のポーズで写ってしまったんだろう。しかもキメ顔で。

 今更悔いてもしょうがない。小学生というのはそういうものだ。

 時計の針が一〇時を回ったのを確認し、そろそろ頃合いだろうと思ったところで柚希が口を開いた。


「いい時間だし、文芸部も店仕舞いにしない? 流石に彼方くんが可哀想になってきちゃったし、わたしももうお腹一杯だよー」


「やっとこの地獄から解放されるのか……」


 いったい何という拷問なのだろうか。こんなにも長時間にわたりメンタルを破壊され続けたのは初めてだ。今の僕は体力も気力も底を尽きている。


「あ~面白かった! 彼方くん、こんなにいっぱい面白い話持ってるんだから、積極的になれば友達たくさん作れるんじゃない?」


「話せるわけないじゃんか、こんな話。柚希相手だから仕方なく話したけど、もう金輪際口にするつもりはない」


 僕は、腕を組んで鼻を鳴らす。


「どうどう。そんなにムキにならないで。これから、そ、その……で、デートなんだから、ね?」


 照れくさそうにはにかむ柚希。その表情だけで白飯五杯は余裕だろう。

 それにしても……デート、なんて素敵な響きだ。

 全体力及び精神状態が回復容量をも突き抜けてカンストした。どうやら僕はとても単純な生き物のようだ。



 施錠を済ませ、二人で肩を並べて当てもなく歩き出す。そういえば、気まずさも感じずに平然と歩いてるのっていつぶりだろうか。ここのところ、ずっと繰り返し現象や柚希のことで頭を悩ませてたから随分と久しぶりな気がする。


「ねえ彼方くん? 何か買って食べ歩きしない?」


「さっきお腹一杯って言ってなかったか?」


「それは別腹」


 まあ確かに、かなり意味合いは違ったけど。


「あ、そうだ。わたし肉まん食べたい」


 パッと表情を明るくしてこともなげに提案する柚希。


「またその話を蒸し返すのか……」


「いや別に蒸し返したかったわけじゃないけど……。っていうか、視線に悪意を感じるのはどうしてかな?」


 口元は笑っているのに目が笑っていない。この子怖い。


「はは、てっきりその肉まんを食べていいのかと……」


 僕はいったい何を言ってるんだろう。

 案の定、柚希が僕を排水溝に溜まったゴミを見るような目で見ていた。


「うわー、結構本気で引いたかもー。面と向かってそんなこと言うなんて、変態にも節度ってものがあると思うなー」


 何とか反論しようと思ったが、ぐっと言葉を飲み込む。今のは完全にセクハラで訴えられても文句は言えないだろう。素直に謝るのが吉だ。

 僕は恭しく首を垂れた。


「はい、まったくもってその通りだと思います……。僕が間違っていました……」


「わかればよろしい」


 そうこうしているうちにあっという間に目的地まで到着したみたいだ。柚希が「あったあったー」とはしゃいで屋台に駆け寄る。

 見覚えのあるその屋台には、見覚えのない中華まん蒸し器が鎮座していた。


「ここ、もともとかき氷屋だったよな?」


「まあまあ細かいことは気にしない気にしなーい」


 僕の疑問を軽く受け流して、柚希は定番の肉まんとピザまんを一つずつ注文した。

 財布を取り出そうとポケットに手を突っ込む。が、柚希は有無も言わさず、自らのポケットマネーを取り出して店員さんに手渡した。対価として肉まんとピザまんを受取り、僕らはそのまま列を離れる。


「かき氷のお礼。これで借りは返したからね」


 中華まんの入った袋を片手に、華麗にウィンクをする柚希。

 はい、可愛い。余計にお小遣い上げたくなった。


「まったく、そんなの気にしなくてよかったのに」


 柚希は立派すぎる。一切の抜け目がない。何事にも律儀すぎて逆に心配になるレベルだ。

 僕の心中をよそに、柚希はそそくさと肉まんの包み紙に手を付けている。


「肉まんとかピザまんを一つずつ買って、半分個にして分けて食べるの憧れてたんだよね~」


「両方とも食べてしまう方が得じゃないか?」


「はぁ~。彼方くんは女心がわかってないな~。す、好きな人と半分個できるってところが醍醐味なんだから」


 頬をぷくっと膨らませて柚希は僕を非難する。

 確かに、柚希と半分個できるってニュアンスだけで喉が鳴るシチュエーションだ。


「それに、幸せを共有できるって素敵だと思わない?」


 柚希は歩みを止め、僕に向き直る。だから僕も自然と足を休めた。


「例えばそれは幸せだけじゃないかもしれない。人にはそれぞれ色んな悩みがあって、一人で抱え込んでしまっている問題が山ほどあると思う。でも、そんなどうしようもない悩みも、誰かと分かち合うことで一緒に解決できるかもしれない」


 柚希の言葉は、僕の瞳を通じて自分にそう言い聞かせているように思えた。


「この夢のおかげでそれがよくわかったんだ。わたしは、きっと一人じゃどうしようもなくて、ずっと後悔を抱えたまま夢を見続けるんだって思ってた。でも、燻って動けなかったわたしの背中を梨乃が押してくれて、踏み出したわたしのことを彼方くんが受け止めてくれたから、だから、わたしは今もこうして笑っていられる」


 真剣に語っていた柚希は、言い終えると照れ隠しのためか手元の袋を無作為に揺らしている。

 一人ではどうしようもなかった。現実ではただ泣いていた僕も、この夢の中で友人たちに大事なことを教えてもらった。今も尚、無知な自分に大切な彼女が言葉を与えてくれている。


「人生っていうのは、この肉まんみたいなものなんだよ、きっと。苦しいことも楽しいことも、一人でたくさん消化するんじゃなくて、誰かと一緒に分け合って消化する。その方が苦しくないし、より楽しくなれると思う。そして、そんな分け合った時間っていうのが後に思い出になるんだよ」


 って、何言ってるんだろう。今のは忘れて、と柚希は顔を背ける。


「いいや、忘れない。流石は将来有望な作家となる柚希先生だな。今の言葉は心に突き刺さったよ」


 僕はこれまで、与えられたもの、降り注ぐ事象に対して、一人で向き合うことが得策だと思っていた。誰かを頼ることで使う労力を削減して、自分一人で真っ向から戦うことが正しいと思っていた。

 でも、振り返ってみてそこには足跡があっただろうか。自分一人で藻掻き苦しみ歩いてきた道なりに、果たして何かが残っていただろうか。恐らく何もない。乗り越えてきたはずなのに、何も残っていない。

 今思えば、それはものすごく寂しいことのような気がする。

 誰かと一緒に乗り越えられたなら、きっと辛いことでも思い出としてその人と共有できる財産になる。ただの辛かった記憶ではなく、辛さを乗り越えた思い出になる。


「柚希は、いつも僕に新たな気づきをさせてくれるよな。大事なことをいつも教えてもらっている気がする」


「え? そんなことないよ、ないよ全然」


 大げさに両手を振りかぶって否定する柚希。本気で心当たりがなさそうなのだが、当然だろう。初めて出会ったあの日から、僕の知らなかった当たり前を、彼女が当たり前に教えてくれたのだから。


「柚希が無自覚なだけだよ。ほんと、ありがとう。感謝してる」


「えっと……、どういたしまして?」


 柚希は困惑したように笑い、袋の中からピザまんを取り出し、僕の手の中に収める。


「そ、それじゃあ早速、肉まん、半分個にしよ?」


「ああ、そうだな」


 柚希が肉まんを真ん中から器用に半分に割る。対して僕は、ピザまんを歪な形に崩してしまった。相変わらず僕は不器用みたいだ。


「すまん柚希、綺麗に割れなかった」


「うわっ、ほんとだ。凄いことになってる……。でも彼方くんらしいかも」


 歪に崩れたピザまんから、中身が溢れ出している。幸い、手について汚れたなんて被害はまだ出ていない。だが、そうなるのも時間の問題だろう。

 にしても、こんなこともできない自分が情けないな。


「彼方くん、ちょっとそのまま持っててね」


「え? あ、うん」


 素直に頷くと、柚希が僕の手元にあるピザまんにかぶりついた。

 横髪が前のめりになり鬱陶しかったのだろう、柚希がさり気なくその髪を耳にかける仕草をとった。

 そんな光景に、思わず喉仏が上下する。伴ってそいつがゴクリと小さく音をたてた。

 柚希がゆっくりとピザまんから口を離す。すると、ピザまんの割れ目から柚希の口元にかけて、糸を引くようにチーズが伸び切っていた。


「んん~! チーズが切れないよ~!」


 その光景は健全な思春期男子には少々刺激が強すぎた。

 失礼極まりないことだとわかっていても、つい柚希の口元から視線が外せなくなった。一言も言葉を発せずに、石化された僕の眼球が彼女とチーズの行く末を見守る。

 やがて、伸びるチーズと粘る柚希の耐久戦は、柚希の勝利で幕を閉じた。


「あ、やっと切れた」


 思わずそっと胸をなでおろし、安堵の息をつく。

 柚希の助力の甲斐あって、無事ピザまんを半分にすることができた。


「さ、気を取り直して、はい、彼方くん?」


 柚希が僕に向かって半分の肉まんを差し出す。

 僕がそれを受取ろうとすると、柚希が首を横に振った。


「えっと、駄目、なのか?」


「ううん、そうじゃなくて……その……」


 曖昧に口ごもり、挙動不審に目配せをする柚希。なんとなく、柚希の求めていることが理解できた気がする。

 だから僕は、黙って口を開けた。


「は、はい、あーん」


 柚希が差し出してくれた肉まんに食いつき、じっくりと味わいながら頬張る。


「何だろう、味は普通の肉まんと何ら変わりないのに、格別に美味い」


「でしょ? これが幸せの共有だよ」


 そう言うと、今度は自分の番だと言わんばかりに柚希は小さく口を開く。そんな可愛らしい口元に、そっとピザまんを近づける。

 その工程は、思っていた以上に恥ずかしく緊張してしまう。こんなリア充っぽいこと、自分には到底似合わないだろう。


「せっかくだから、これもやってみたくて。嫌、だったかな……?」


「とんでもございません。願ってもいない奇跡に口をあんぐりとしてしまいました」


「うっしっし。正直でよろしい」


 真っ白な歯を大胆に見せて笑う柚希。

 彼女がそばに居てくれるだけで、自然と僕も笑顔になれる。

 ――こんな日々がずっと続けばいいのに。

 ようやく手に入れた幸せは、たった一日だけの限定的なものだ。壊れる瞬間が必ずやってくる。その瞬間が訪れるのは途轍もなく怖い。怖いけど、そう思えるのは今が最も楽しいからなんだ。だから、この夢が与えてくれた時間をもっと僕ららしく、抱えた恐怖さえも楽しい思い出に変えていけばいい。

 失うことに怯えず、笑えることを築いていこう。柚希のためにも、僕のためにも。

 隣を歩く、彼女の小さな手のひらを覆うように、そっと自身の手のひらを絡める。それに応えるように伝わる彼女の温もりは、僕らを繋ぐ確かな証として、ぎゅっと胸を握りしめた。

 僕たちは、終わりへと近づいていく愛おしい一分一秒を、しっかりと踏みしめて歩いていく。

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