四回目 ㉑突きつけられた真実
「まず最初に訊きたいのは、この繰り返し現象について……だよね?」
「ああ、まずはそれを把握しておきたい」
「結論から言うと、この現象は……三人で同時に見ている夢、なんだ……。わたしたち三人の後悔が生み出した夢」
僕らの後悔というのは、さっき梨乃と話していた既視感のことだろう。つまり僕らの感じていた違和感の正体は、現実での出来事に該当するということ。
だとすると、柚希が原因で僕らが巻き込まれたわけではない?
「この夢は、現実での文化祭をもとに描き出された世界なんだ……」
恐らく、一回目の文化祭こそが、実際に起こった本物の文化祭ということなのだろう。
「ここから抜け出す鍵は、自分の中にある後悔を晴らすこと……」
その言葉に、心臓が跳ねるように疼いた。
僕の中にある後悔。それはまだはっきりとはしていないが、途轍もなく大きな後悔だということだけはわかる。きっとこの三人の中で最も後悔しているのは自分なのであろうとさえ思う。
「わたしがずっと二人に隠し事をしていたのは、わたしの中にある後悔を晴らさないため、だったんだ……」
「後悔を晴らさないため? そんなことをすれば、柚希は夢から覚めないってことじゃないのか?」
なるべく説明中は口を挟まないようにしようと思っていたが、流石に黙ってはいられなかった。柚希が一人だけ取り残されるなんてことは、僕も梨乃も決して望むわけがない。
なのに……。
「わたしは……別にどっちだっていいんだよ……?」
「何だよ、どっちでもいいって……。そんなの駄目に決まってるじゃないか。柚希だけが目を覚まさないなんて……そんなの、僕らが望むわけない」
ほぼ八つ当たり状態だった。悪いのは柚希じゃない。そんなことくらい頭では理解している。そのはずなのに、僕はまた柚希を苦しめるようなことを口走っていた。
「だって……わたしは、もう……目を覚まさないから……」
「な、にを……?」
意表をつく返答、なんかじゃなかった。僕はどこかでわかっていた。嫌な翳が付き纏いだしてから、最悪の結末を予感していた。だから僕は、とっくに後悔していると言った。
でも、どんな真実だって受け止めて見せると、確かにそう言った。
言った……。だけど、やっぱり僕は……。
僕は……それを――認めたくない。
「三回目の朝、土砂降りの雨による乗用車のスリップ事故が起きて、巻き込まれた女性が意識不明の重体だってニュースがあったでしょ? あの事故に巻き込まれたのは――わたしだから」
眩暈がした。同時に、胃液が込み上げてきたが既の所で堪えて見せた。
背中を、嫌に冷たい汗が滑り落ちていく。その流れに沿って記憶が意識に急降下する。
土砂降りの雨の中、僕が学校に柚希を一人置き去りにしたばっかりに、帰宅途中だった彼女は車のスリップ事故に巻き込まれて意識不明の重体に陥った。
そんな揺るがない現実での記憶が、すっと体に馴染むように浸透していくのは、僕が薄々と勘づき始めていたから……だろうか。
例えその事実が変えられないものだったとしても、問わずにはいられない。
「で、でも……後悔を晴らせば……目を覚ますんだろ……?」
縋りつくような一縷の願いに対して、柚希は力なく首を横に振った。
「わたしは、その……後悔を晴らしたら……死んじゃうんだ……」
たどたどしく発せられた言葉を自身の中で何度も反芻する。
柚希が――死んでしまう?
受け入れられるわけがない。それこそが夢なんじゃないのか。柚希が死んでしまうだなんて、そんな……。
「後悔を晴らさなければ眠り続ける……。後悔を晴らせば死んじゃうし、ずっと眠ってても結局……」
「そんなこと言うなよ! まだ、後悔を晴らせば目を覚ます可能性だってあるだろ!」
責めるべき相手を間違っている。でも、そう叫んでいないと体がバラバラに砕けてしまいそうでしょうがなかった。彼女の発する真実を受け入れると誓ったはずなのに、僕はまた逃げだそうとしている。
辛い現実から目を逸らして、感情任せに逃げ出して、また柚希を苦しめようとしている。
この期に及んで尚も、甘ったれた幻想に縋り付こうとしている。
「そんな可能性、ないよ……。それに、わたしの後悔が晴れてしまったら、彼方くんを苦しめちゃうことになるから……。だからわたしは、ずっと二人に隠し事をしてたんだよ……」
「僕を、苦しめる……?」
予想外の言葉を受け、きっと僕は間抜けな顔をしている。
対して柚希は、自身のつま先を一点に見つめて顔をしかめていた。
「だって……わたし、ほんとは……ずっと、ずっと……」
言葉を詰まらせながらも、必死な顔をして僕に訴えかけようとしている。その頬には、微かに茜がさしていた。
「……彼方くんのことが、好き……だったから」
優しい横風が吹き、柚希のしなやかな髪が靡く。その隙間から零れた言葉を、一言一句聞き逃すことはしなかった。
当然だ。その言葉は、僕が最も聞きたかった言葉なのだから。
「どうして、僕を苦しめることになるんだよ……?」
嬉しいはずなのに、胸が締め付けられる。感極まって舞い上がってもいいはずなのに、そうはならない。なぜそうならないのか。夢から覚めた後の結末が目に見えているからだ。
それと同時に、柚希の告白してくれた真実が僕の心を奮い立たせているのも事実だ。
「だってわたしは、この夢が終わったら……もう彼方くんのそばには居られなくなるんだよ?」
これがどういう意味か、言わなくても分かるでしょう? 柚希の瞳がそう告げる。
もちろんその意味は分かる。だが、そんなことで諦められるほど僕の気持ちは軽薄なんかじゃない。例えそばに居ないとしても、永遠に引き離されてしまったとしても、それでも僕の柚希が好きだという気持ちは揺るがない。
「柚希のいない世界でも、きっと僕は柚希を想い続ける。それの何がいけないんだ……?」
「これから死んでしまう人間と付き合ったって、何にも良いことなんてないし、彼方くんのことを一生縛り付けるだけ……わたしはただの足枷にしかならない。そんな恋、お互いに苦しいだけだよ……」
わたしは、彼方くんのお荷物になんてなりたくない……。柚希は卑屈に吐き捨てた。
どうして伝わらないんだ。僕にとって柚希は決してお荷物なんかじゃない。彼女がそばに居てくれない辛さや虚しさはあるかもしれない。だとしても、僕にとって柚希の存在が足枷になるなんてことは絶対にないんだ。
「柚希が言ってることは間違ってない。必ず僕も苦しい思いをするってことが手に取るようにわかる。僕は情けなく、寂しくて寂しくて泣いてしまってるかもしれない」
恐らく、柚希にフラれた現実での僕は立ち直りすらできていないだろう。真っ当な生活を送れているとも思えない。だから、そんな僕が夢から覚め、『恋人となった柚希はもうこの世には居ない』という事実を認識してしまえば、更に自分自身へ追い打ちをかけることになるかもしれない。
「でもさ、僕はそんな恋でもいいと思うんだ。寧ろその方が性に合ってるのかも知れない。報われない恋なら、二次元の中でいくらだってしてきてるんだからさ」
言っているほど簡単ではないことを、自分自身がよくわかっている。比べる対象があまりにもぶっ飛んでいるということも。
「それとこれとは、話が違うよ。そんな簡単に割り切れるような問題じゃない……」
「要は、解釈の問題だよ。そう思っていれば、少しは気が楽になりそうじゃないか? よく言うだろ? 物は言いようって。水が半分しか入ってないコップを見て、まだ半分も入ってるって思うか、もう半分しか入ってないって思うのか、そのくらいの気持ちでいればいいんだよ」
そう自分に言い聞かせる。その程度の心構えでいればいい。想いが実ったのにそばに恋人が居ないんじゃなくて、そばに恋人は居ないが、決して叶わなかったはずの想いが実ったのだと、そういうことにしておけばいいんだ。
柚希は、呆気にとられたように凝固していた。気持ちはわからなくもないが、何か言ってほしい。徐々に恥ずかしさが込み上げてきている。……穴があったら入りたい。
硬直したままの柚希に声をかけようとしたが、どうやらその必要はないらしい。
目の前の彼女は、突然腹を抱えて笑い出した。
「あははははっ! やっぱ彼方くんって救いようがないくらいアホだね!」
などと宣いながら。
まったく失礼な奴だ。こっちだって真剣に考えたんだ。結果、柚希を二次元的な存在だと思えばいいという考えに至った。断じて恥じることではない。ましてやアホなどと言われる筋合いはない。僕はただ、物事を前向きに捉えただけなんだから。多少、捉え方がユーモラスだったかもしれないが。
「少し笑い過ぎじゃないか? 流石の僕でも泣くぞ?」
「ごめんごめん。あまりにも発想が飛躍し過ぎてて笑いを堪えきれなかったよ」
謝りながら尚もまだ笑っていやがる。まったく、こっちの気も知らないで。
「でも、ほんと凄いね、彼方くんは」
柚希は自身の袖で軽く目元を払うと、薄く微笑みを浮かべた。
「僕の凄さにようやく気付いたのか? 柚希はまだまだだな~」
「またそんなこと言う。今ので凄さもカッコよさも半減しちゃったね」
「嘘です嘘です流石柚希さん僕のひた隠しにしてきた凄さを見抜くとはいやはや敵いませんなーあっははは」
勢いに任せてもっと恥ずかしく情けないことを言ってしまった。僕のこのアホっぽい思考回路が悪いのか? それともこの開ききったままファスナーの決壊している口が悪いのか?
「はははっ。やっぱりわたし、彼方くんのそういうところ……好き、だよ……?」
柚希から放たれた甘い吹き矢が僕の胸の中心を的確に射る。
「――っ! 唐突に言うのは反則、だ……」
でも今凄い幸せ。
「うっしっし。やっと言えたよ、本当の気持ち……。ちょっぴりすっきりしたけど、かなり恥ずかしいね、これ……」
あんなに思い詰めた表情をしていた柚希は、今や一転してホッとしたような顔をしている。
よかった、柚希が笑顔に戻って。これで、僕の成すべきことは叶ったんだよな。
安心感を覚えると、胸の内で燻っていた蟠りがとけていく。
「ねえ、彼方くん」
遠慮気味に名前を呼んだ柚希は、手元も落ち着いておらず挙動不審に目配せをしている。その仕草に胸の高鳴りを感じた。
普段なら意識することのない血液の循環を否が応でも意識してしまう。抗うことのできない高揚感に落ち着けとシグナルを発する。
いつの間にか僕も、柚希と同じような状態になっていた。
僕の挙動を確認した柚希は意を決したように深く息を吸い込み、
「わたしは、瀬戸彼方くんのことが好き、です。わたしと付き合ってください……!」
両手をこちらに差し出した。
温かくて柔らかそうな柚希の手のひら。プルプルと震えているその華奢な手を取れば、僕らは晴れて恋人同士になれる。
でもその手を取ってしまえば、僕はもう逃げることができなくなる。現実を受け入れなくてはならなくなる。もう、悔やむことはできなくなる。
――だから何だ。僕の答えは最初から決まっている。
目の前に差し伸ばされた手を、一切の迷いなく握りしめた。
「僕も柚希のことが好きだ。だから、こちらこそよろしくお願いします」
返事を受け取った柚希は、夕焼け色にはにかんだ。
そんな彼女の笑顔が、僕の胸を優しく満たしてくれる。が、その温もりが浸透していくのと同様に、逃れられない傷も絶えず広く深くなっていく。
言葉では軽く言ってのけてはいたが、その行為が逆に、傷口に塩を塗り込む形になってしまった。自分の発した言葉が、自分自身を苛む。
柚希が死んでしまうという事実を受け入れなければならない。その事実を悔やむことも、嘆くことも、もう許されない。
「あーあ、せっかく付き合えることになったのに、もう時間になっちゃったね」
曇天を払うような笑顔を向ける柚希。彼女に対して僕は、いったいどんな顔を向けているのだろうか。僕も柚希のように笑みを浮かべているつもりなのだが、口角が吊り上がってくれない。どうやら先程とは打って変わって、急に味のない表情しか作れなくなったみたいだ。
「そろそろ戻ろっか。楽しみは明日に取っておいてさ」
「ああ、そうだな」
覇気のない返事に、柚希は僕の隣に並んでそっと様子を窺うが、口は開かなかった。
「なあ柚希。先に戻っていてくれないか? 少し風に当たっていたいんだ」
気持ちの整理をしたいんだ、なんて口にはできなかった。
「うん、わかった。それじゃあ先に戻ってるね」
くるっと身をひるがえし、柚希は僕のそばを離れた。
きっと柚希は僕の胸中を察している。だが、余計なことは言わずに彼女は足も止めないで扉へ向かったみたいだ。
ようやく手に入れた幸せが、明日には終わってしまう。
柚希が屋上を後にし、重い扉が閉まる音が低く響いた。背後には、彼女の気配はもうない。
一人になった途端、涙腺が崩壊した。募りに募った悔しさと虚しさが抑えられなかった。
これから待ち受ける現実への不安と恐怖に足元から頽れ、僕はその場に座り込んだままひたすら泣いた。
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