四回目 ⑱投げかけられた問い、その答え
ノックもなしに、部室の扉が音を立てて開く。
恐らく柚希たちが帰って来たのだろう。そんな時間帯だった。
「あれ? 梨乃は?」
部室に入ってきたのはなぜか柚希一人だけで、梨乃の姿が見当たらない。
まさか、二人の仲がもっと拗れたとかそういうことじゃないよな?
そう僕が危惧していると、柚希が部室の外を指さした。
「外で待ってるよ」
「お、おう。わかった」
なぜ入って来ないのだろうかと思ったが、別に気にすることでもないので返事だけして僕は扉を潜った。
部室を出てすぐ右手に梨乃は居た。
壁にもたれかかって、何やら考え事をしているようだった。
「今日はどこ行こうか?」
なるべく落ち着いたトーンで声をかける。
「……どこでも」
僕が声を発してしばらくしてから蚊の鳴くような声が返ってきた。
やはり、昨日のことを気にしているのだろう。梨乃の声は、いつも以上に覇気が感じられなかった。
流石に四回も文化祭を繰り返していれば行きたいところなんてそうそうない。それに、今の調子じゃ何も楽しめやしないだろう。どこかでゆっくりと話が出来ればそれでいい。
「そっか。じゃあ中庭の休憩エリアでのんびりしてもいいか?」
梨乃はこくりと頷いた。
目的地も決まったところで、足並みを揃えて歩き出す。最上階角部屋ともなれば人の数も少ないため話声などもまったく聞こえない。
無言で廊下を進む僕らの空気は、泥沼に沈んでいくような感覚に近かった。歩けば歩くほど深みへと誘われる。
さて、このまま時が過ぎるのを大人しく待ってるわけにはいかない。ちょっとここらで、男の本気を魅せなくては……。
告げる言葉は決まっている。
だから――、
「昨日はすまなかった!」「……昨日は、ごめん」
僕らの声が共鳴する。
同時に互いの双眸もバッチリと重なり合った。梨乃は、驚いたように目を見開いて僕を見ている。その瞳に映る僕も、同じような顔をしていた。
梨乃と至近距離で見つめ合ったことがなく、何だか気恥ずかしくなって僕はひょいっと顔を背けた。
視界の外から、声を振り絞ろうとする賢明な息遣いが聞こえる。
「……瀬戸君は、悪くない。昨日の私は……ちょっと変だった。せっかく心配してくれたのに……酷いこと言って……ごめん」
梨乃の言葉につられてのっそりと顔の位置を元に戻す。
彼女のつり上がった目尻が、僕を上目遣いに見上げていた。そこから伝わってきたのは、正真正銘の感傷だった。
「あ、えっと、僕の方こそ……ごめん」
たじろいでしまう自身の声に、内心で喝を入れる。重要なのは謝ることじゃない。僕が昨日言えなかった言葉、今までの僕が気づかなかった感情、それらを目の前の彼女に伝えることだ。
「それと、昨日言えなかったこと、やっと気持ちに整理がついたからさ、よかったら聞いてくれないか?」
そんな僕の申し出に、梨乃はきょとんとした顔で頷く。
「……う、うん」
それを皮切りに、僕は言葉に想いを馳せた。
「えっとな、昨日僕は柚希のことが好きだと確かに言った。それは、梨乃の想像していた通りの意味で、だ。それで、僕は梨乃のことも、友達として好きで……とても大切な存在なんだ。だから僕は、二人のことが心配だった。僕にとって柚希と梨乃は、かけがえのない大事な仲間だから」
しっかりと梨乃の目を見据えたまま、僕は力強く言い切った。
例えまたこの言葉に反論を被せられたとしても、今の僕なら挫けることはない。これで梨乃が納得しないというのなら、何度だって、彼女が首を立てに振れるだけの言葉を用意してみせる。僕の彼女たちを大切に思う気持ちは誰にも負けはしないのだから。
僕がそう身構えていると、梨乃はずっと息を止めていたんじゃないかと疑いたくなるほど盛大に息をついた。
「私……色んな人が当たり前のように持っている好意的な感情を……知らなくて、その……友達っていう関係なんかも……よくわからない。だから当然、好き……なんてのもわかるわけがなくて……それで、昨日はあんなことを訊いてしまった」
可笑しいでしょ? そう言って梨乃は口籠る。
予想外の言葉ではあったが、梨乃の普段の様子から鑑みるに納得できるものではあった。
他人のことが嫌いだから、いつでも人を突き放すような態度をとっているのだと、僕は思っていた。だが、本当はそんな単純な問題じゃない。もっと当たり前のことだったんだ。
人との関わりが薄いからこそ他人との接し方がわからない、なんていうのは決して可笑しなことではない。
なぜなら、大抵の人が友達や好きの本質や定義を理解なんてしていないのだから。
「そっか。……何となく梨乃の気持ち、わかるかもしれない」
「……え?」
「自分で言うのもなんだけど、梨乃も知っての通り、僕って友達がいないじゃないか。柚希や梨乃と出会うまでは実質ぼっちみたいなものだったし……。友達の作り方なんて知らなかった」
クラス内で決して浮いているわけではない。寧ろ僕は、誰とでも分け隔てなく会話が出来る方だ。だがそれ以上の交流はない。そんな関係を友達と呼べるとは到底思えない。
でも、柚希や梨乃と日々を過ごしていくうちに、僕には新しい感情が芽生えたんだ。
初めて、誰かと一緒に居ることを楽しいと、心地良いと思えた。さよならをした後に、初めて明日が楽しみだって思えたんだ。
「また明日」って笑顔で手を振り合える、そういう関係をきっと友達って言うんだと思う。
「それに僕も、柚希のこと……好きになるまで、そういう感情わかんなかったからさ。きっとそういうことは、経験していくうちにわかっていくんじゃないか? だから、全然可笑しなことなんかじゃないと思うぞ?」
なんて堂々と言ってのけているが、僕はフラれている身であり、その事実は揺るがない。かなり気恥しいがくだらない不平も言っていられない。僕が苦い思いをするだけで、梨乃の励みになれるのならいくらだって堪えられる。
「経験していくうちにわかる、か……。瀬戸君が言うと妙に説得力がある……」
いつものようなジトーっとした目で僕を眺める梨乃。
そんな梨乃に、僕は頼りない自分の胸をバシンッと叩いてみせた。
「お、おう! だから、まあ先駆者からの言葉だと受け取ってくれ……!」
「声、裏返ってるし……」
「……ぐっ」
どうやら恥ずかしさを隠し通すことは出来なかったみたいだ。
「なんか、この繰り返し現象に巻き込まれてから、瀬戸君には変なとこ見られてばっか……」
「それはお互い様だ。僕もこんな恥ずかしいことを言ってるんだし」
自分らしくもなくかっこつけたことを言うなんて、のちに思い出した時には絶対発狂ものだろう。思い出さないように封印しておかねば……。
低く念仏を唱えるように、「忘れろ忘れろ」と口に出す僕の隣で、梨乃が小さく噴き出した。
「似た者同士、かもね……」
梨乃の思いがけない発言に、不思議と自然に頷いていた。
「似た者同士、だな」
まったくその通りだと思った。僕らは二人とも人との関わりについてあまりにも知らなさ過ぎた。実際僕は、さっき会長に教えられるまで、友達とか好きとかそういう定義もあり方も知らなかったのだから。
だから、そういうところも含めて僕らは似た者同士何だと思う。
「まったく……不本意」
口調こそはつっけんどんな具合だったが、その相好は慈愛にも似た笑みを浮かべていた。
しかし、そんな彼女の表情に一気に翳が差し込む。
「昨日、柚希にも……酷いことを言った」
不意を突いて出た梨乃の言葉が、宙で二三回転ほどしてようやく僕の耳に届いた。
「この話は、その……中庭に着いてからしてもいい……?」
異を唱えることもなく、僕は静かに同意した。
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