四回目

四回目 ⑰生徒会長の教え

 目の前の彼女は、今もなお誰かのために胸奥に秘めた何かを必死に守っている。

 その隣で手際よく作業を進める梨乃も、恐らく何かを隠している。

 彼女たちの目論見とその何かが、僕にはわからない。

 それだけじゃない。この繰り返し現象の正体が、梨乃の言う明晰夢というものなのかどうかも、昨日は結局わからず終いだった。

 もしそうだとしたら、梨乃の睨んでいる通り柚希が主導権を握っているということになるのだろうか。柚希が僕に嘘をついて、僕ら三人がこの夢の世界に閉じ込められていると。

 それを今、目の前の彼女に直接訊いてしまえばいいのではないだろうか。


「なあ柚希? ちょっと訊いてもいいか?」


 視線の先で、柚希はお釣り用の小銭の準備を行っている。


「え、何?」


 僕の方には目もくれず作業を進める柚希から、一歩引いたような声だけが返ってきた。

 訊ねたところで答えてくれるのだろうかと、今更怖気づく。でも、黙って待ってるよりかは訊ねてみた方がいいだろう。


「えっと、柚希さ、何か僕らに隠し事ってしてないか?」


 ピタリと、柚希の手が動きを止める。それに後れを取って彼女は顔を上げた。


「隠し事って? わたしには心当たりがないけど……」


 そこに浮かんでいた彼女の柔らかい表情は、やっぱりどこかぎこちなかった。口元は笑っているのに、目があまり笑えていない。まるで、何かを堪えているようだった。


「あ、いや、この現象について何か知ってるんじゃないかって、思って」


「そんなまさか。どうしてそう思うの?」


「えっと、その……何となくだよ……」


 柚希の表情に気後れしてしまい、何一つ根拠を述べることが出来なかった。そんな僕に向かって、とどめを刺すように柚希が言い放つ。


「変なのっ。あるわけないじゃん」


 いつものような明るい声に、僕はそれ以上口を開かなかった。



 四回目の開会式終了後、僕は初日と同じように部室で文集販売を行っていた。柚希と梨乃は互いに無言のまま部室を後にした。一応回る順番と組み合わせを初日の通りに戻すことになったのだが、それに意味がないことはもうわかっている。

 疑いたくないのが本心だが、柚希がこの現象について何かを隠しているのは確かだろう。だが、それを問い詰める術がない。たとえもう一度聞いたとしても、柚希はきっと答えてくれないと思う。彼女が口を割るまで待つしかないのだろうか。

 それともう一つ、梨乃の件。昨日の様子を見る限りでは、梨乃も僕が知りえない何かを隠しているはずだ。柚希と梨乃の間に走った亀裂がこの現象に影響を与える可能性もあるかもしれない。だが、僕がその何かを知るためには、梨乃を納得させるだけの『梨乃を心配する根拠』が必要だ。

 僕が梨乃を心配する理由……。友達だからなんて単純なことじゃない。言われてみればそうだ。友達だったら心配になるのが当然なんてのは変な話だ。

 僕が梨乃を心配しているのは、友達だからって義務感だけじゃない。友達だったら誰でも心配するなんてこともない。僕は、柚希と梨乃のことだから心配しているんだ。なのに、その理由が上手く言葉に出来ない。


 トントントンッ。


 部室の扉が軽快にノックされた。その子気味良い音に、心当たりがあった。

 気分は乗らないが、一応ここでの役目も果たさないといけないだろうと自身に言い聞かせて外の人物に返事をする。

 すると、扉が勢い良く開かれた。


「やっほー! 遊びに来てやったゾー!」


 顔を覗かせたのは、鬱陶しいくらいに元気な会長だった。

 これまでのたった一度も会長はこの時間帯にやって来たことがない。そんな会長が急に顔を出したということは、誰かがまた夢を操作したということだろう。


「文集を買いに来てくれたのか? そりゃあ助かる。思い切って十冊くらい買って行ってくれ」


「泉里の分を合わせて二冊までなら買ってあげてもいいケドー?」


「遠慮するなって。文集が買いたくて買いたくて仕方がなかったんだろー? 今なら僕のサインもつけてやるぞ?」


「えー彼方のサインはいらないから柚希のサインが欲しいナー」


「いらないとか言わないでくれよ。冗談でもいいから欲しいって言ってくれ頼むから」


 くだらない雑談をしながら、僕は文集を会長に二冊渡す。その対価として会長からピカピカの一〇〇円玉を四枚受け取った。どうでもいいことなのだが、全部今年度の硬貨だった。


「それで、何か用事があったんじゃないのか?」


 会長に、さりげなく彼女たちのどちらの筋書きでここに来たのかを訊ねる。

 もちろん会長にはそんな意図があるとはわからないはずだ。


「用事って言うか、柚希から頼まれたんだよネー」


「ん? 何を?」


「彼方が寂しそうにしてるから行ってやってくれってサー」


 柚希の方だったのか。だとしてもなぜ柚希がそんなことを?

 それを会長に訊いたところで、彼女が知るわけもないだろう。

 だから僕は何も言わなかった。


「なあ彼方? お前ら何かあったのカ?」


 不意を衝いて出た会長の言葉に尻込みする。


「えっと、どうしてそう思ったんだ?」


「どうしてって。さっきあの二人にあったんだけど、何だか様子が変だったし、彼方も今すっごく動揺してたし。なーんか違和感あるんだヨネー」


 会長め、妙なところで鋭い。

 どんな言い訳をすれば誤魔化せるのか色々思案してみるが、これといって良い策が浮かばない。


「昨日はあんなに楽しそうだったのにサー。たったの一日で何があったんだヨ?」


 僕らにとっての昨日と、会長にとっての昨日はまったく別の日だとわかってはいるが、一瞬だけそんな馬鹿なと思ってしまった。完全に僕の中で、この繰り返し現象が日常化し始めている。この世界が夢ならば、今の状況を話してしまってもいいのかもしれないが、一から説明するのは面倒なのでやめておこう。


「それが……よくわかんなくてさ」


 困ったように笑ってそれっぽく演じる。

 だが、あながち間違ってはいない。今のこのギクシャクしている僕らの関係を、恐らく僕が一番理解出来ていないのだから。


「あたしは、三人が仲良しでいてくれなきゃ嫌なんだけどナー」


 唇を尖らせて、会長が自身のサイドテールを左手でくるくると弄ぶ。


「え……。何でだ?」


「何でって。そりゃあ三人のことが好きだからだヨ」


 澄ました顔で、会長は今凄いことを言わなかったか?

 三人が好きと言うのは、即ち、柚希と梨乃と……僕だよな?


「あ、勘違いしないでネ。あたしが彼方のことを異性として好きだとかそういうことじゃないからネ」


 どうやら考えが漏れていたらしい。僕は慌てて口を開いた。


「わ、わかってるよ。……じゃあ、その……好きってのは何なんだ?」


 僕の割と本気の質問に対し、会長は実にいやらしく不敵な笑みを浮かべる。


「はは~ん。もしかしてお前ら、そういうことカ?」


「な、何だよ……そういうことって」


「仕方ないからあたしが教えてあげるヨー!」


 会長はコホンッとわざとらしい咳払いを一つして、僕の眼前に人差し指を突きつけた。


「好きっていうのは、複数の意味合いを持ってるんダヨ。例えば……そうだ、彼方の好きな芸能人は誰ダ?」


「え? 鬼島明音さん」


「ごめん。ちょっと誰だかわかんないケド……。まあその人のことが好きだとして、果たしてその人のことは異性として好きなのカ?」


「いや、そういうわけじゃ……」


「じゃあ、柚希のことは?」


「異性として好き……っておい! 何言わせるんだよ!」


「梨乃のことは?」


「え……」


「好きか? それとも嫌いか?」


「そりゃあ、好きだよ。嫌いなわけがない」


「じゃあその好きは、どういう意味の好きダ? 因みにあたしは、彼方と梨乃は友達として好きだゾ? 泉里と柚希は恋愛対象として好きで二人ともあたしの嫁にするつもり」


 聞き間違いでなければ、会長がとんでもないことを言っていた気がするのだが、敢えてそっちの台詞には触れないでおこうか。さもなくば、僕は勝手な妄想を始めて現実世界に戻って来れなくなる。


「友達として好き……。僕の梨乃に対する気持ちってのは、それなのか……?」


「なんか納得いかないみたいな顔してるナ。……じゃあもう一つ。彼方は家族のことは好き?」


「ああ、もちろん」


「それじゃあお母さんと結婚を前提に付き合いたいと思ってるってことダネ」


「いやちげーよ! そんなわけあっ……。そういう、ことか……」


 僕にとって家族はかけがえのない存在であり、わざわざ口にはしないが好きなのは事実である。つまり友達だって同じようなものなんだ。僕にとって梨乃は、かけがえのない大切な友達だということ。かけがえのない存在だと思うのは、僕が梨乃のことを好きだからなのか。

 そんな僕の心境を悟ったように、会長がふっと笑みを零した。


「好きっていうのはな、絶対的に恋愛要素を含むってわけじゃないんダヨ」


 会長の言葉が、じっくりと僕の心に染み込んでいく。

 

「それに、友達って間柄にも色々ある。ただ会話をするだけの友達だったり、バカやれる友達だったり、休日一緒に遊ぶ友達だったり、悩みを打ち明けられるくらい信頼している友達だったり、逆にとかナ」


 最後の部分がやけに引っかかった。嫌々ながらに付き合ってる友達? 僕にはそんな友達なんて一人もいない。もとい、そんなに友達がいない。


「あたしが三人のことを心配しているのは、あたしが柚希のことも、梨乃のことも、彼方のことも好きだからダ。そして、そんな三人が仲良くしてる姿を見るのが大好きだから。だから心配なんダヨ」


 会長は言い終えると満足気に頷いた。

 僕も会長と同じだ。柚希と梨乃がギクシャクしているのが嫌なんだ。それは、僕が二人のことを好きだからなのか。そして、そんな二人が仲良くしている姿が大好きなんだ。

 たったそれだけのことじゃないか。


「なんか、吹っ切れたみたいダナ」


「ああ、おかげさまで。ありがとう、助かった」


 僕が素直に頭を下げると、会長は「まあいいってことヨー」と手をひらひらさせながら部室を出て行った。そんな会長の後ろ姿は、小学生みたいな容姿には不釣り合いに大人びて見えた。

 会長の助言により、僕は昨日の過ちを思い知った。梨乃を傷つけた愚かな自身のことを。

 昨日僕は、柚希のことが好きだと断言した。だから梨乃は、僕が『好き』という明確な感情と意志を持って柚希のことを心配していると捉えていた。

 対して、梨乃には『友達だから心配するのは当然だろう』なんて言ってしまった。だから梨乃は、僕が義務感で梨乃を心配していると受け取ってしまった。

 悪いのは、完全に僕だ。

 あんな言い方じゃ、僕が梨乃のことを心配していないって思われても仕方がないだろう。


“……どうして、友達だったら心配になるのが当然なの?”


 当然だなんて義務感で心配しているわけじゃない。

 僕は柚希のことも梨乃のことも、大切だから心配しているんだ。

 その思いを、梨乃にちゃんと伝えよう。

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