三日目 ⑭一枚のルーズリーフ

「……瀬戸君、何で濡れてるの?」


 部室に戻るや否や、梨乃に当然の反応を向けられた。

 さて、どう説明したものか。

 メイド喫茶に入ったら、水ぶっかけという謎のメニューがあったので面白半分で注文したら冷水を顔面にぶちまけられました~。と言えばいいのだろうか。


「……なるほどね」


 どうやら伝わってしまったらしい。口にしたつもりもなく、相手に気持ちを吐露してしまうという特殊能力は案外便利なのかもしれない。……いや、そんなわけないか。


「えっと、次は僕が店番でいいんだよな?」


「ええ……」


 頷くと、梨乃は心底重たそうに腰を上げる。

 どんだけ動きたくないんだろう、この人は。ペースがかなり遅い。梨乃はカタツムリのような速度で椅子から離れようとして、


「っておい、座るな」


 どさくさに紛れて座り直しやがった。

 それにしびれを切らした柚希がカタツムリの手を引く。


「ちょっと、梨乃ー? 行くよー」


 柚希は、まるで駄々を捏ねる子供を引きずるようにして梨乃を無理矢理連行する。対して梨乃は、意識ここにあらずといった様子で柚希に身を任せていた。そんな梨乃が、部室を出る一瞬、意味ありげに僕へ目配せした。

 その意図はよくわからなかった。


「梨乃ー今日はどこ行こっかー?」


 柚希の陽気な声と共に、ピシャリと音を立てて扉が閉まった。

 途端、身をひそめていた静寂が顔を出す。

 僕以外の人々が世界から消えてしまったみたいに、自身の呼吸の音以外には何も聞こえなくなった。そんな感覚に、怖気が全身を襲う。


「まさか、な……」


 適当に一人笑って不安を追い払った。

 馬鹿げた妄想をするくらいなら、これまでの状況を整理して、この繰り返し現象の突破口でも探っていた方がいいだろう。

 積み上げられた文集の山の隣に置いてあったルーズリーフを手に取り、達筆な字で記された文章を目でなぞる。

 一回目の文化祭との変化は、無かったはずのいちご味のかき氷があったこと。使えなかったはずの放送室が使えたこと。前日に雨なんて降っていなかったはずなのに、なぜか雨が降り車のスリップ事故が起きていたこと。

 それだけが書かれていた。

 たぶんメイド喫茶も本来はなかったはずだ。そのもてなしの内容も妙なものが混じっていたし、あれも変化の一つだろう。

 僕はボールペンを手にして、先程の出来事についても付け加えた。

 静かにペンを置き、眉を顰める。

 これらから導き出される共通点は何だ?

 二回目で変化のあったかき氷屋と放送室は、人々の立ち回り方次第ではそれを実現することが可能だ。例えば、かき氷屋でいちご味を買わなかった客がいれば、必然と売り切れになるなんてことはなくなるし、放送室で起こったトラブルとやらも回避することが出来れば使用することが出来るだろう。

 三回目で変化のあった交通事故の件とメイド喫茶は、本来なかったはずなのに今回突如として現れた。交通事故に至っては、文化祭前日に何かが起きているし、メイド喫茶の内容も支離滅裂だった。挙句の果てには百合喫茶だとか言い出されるし。

 それぞれ二回目と三回目で分けて考えるなら共通点はあるが、一貫した共通点はまったくわからない。

 やっぱり夢なのだろうか。だとしたら誰の夢なんだ? 僕らが三人で見ているのか? 本当に、夢のシンクロを引き起こして僕らが同じ夢を……?

 夢ならば覚めることが出来るはずだ。だったらこれは夢なんだと、眠っている本当の自分にわからせれば現実に戻れるのではないだろうか。


「おい起きろ! 瀬戸彼方! これは夢なんだ! 早く目を覚ませー!」


 天に向かい高らかに声を上げる。それだけじゃ足りぬだろうと、右頬を強くつねったり引っ張ったりしてみる。だが、何の変化も見られなかった。

 つまりこれは、夢じゃないということなのだろうか。


「ってか何やってんだろ。誰も居ないからよかったけど、かなり恥ずかしい……」


 照れ隠しのために呟いてみたが、こういうところから僕の特殊能力である独り言が誘発されているのかと、ようやく自身の失態に気づき、背もたれに体を投げてうな垂れた。

 ルーズリーフを天井に翳してじっと睨みつける。

 僕も紙になればいいのかな。そうすれば独り言を呟くこともなくなるのかな。自嘲気味に肩を揺らすと、裏面にも何かが殴り書きされている事に気づいた。


「ん? 何だ?」


 さっと裏返し、それを目で追う。

 明晰夢。夢を夢だと自覚して見ている夢。その経験者は、しばしば夢の状況を自身の思い通りに出来ると言う。その最低条件として、眠りにつき、夢を自覚した段階で起きてしまわない必要がある。


「何だよ、それ……」


 それじゃあやっぱり、これは夢だということか? だとしたら、何でそんなものをわざわざ僕らは三人で見ているんだ?

 明晰夢なんてものがあることを僕は初めて知ったし、夢の内容だって別に自身の思い通りになんて決して書き換えられてない。少なくとも僕は……。


「あっ……」


 僕以外は誰も居ないはずなのに、動揺し過ぎて思わず口を塞いだ。

 そうか……僕だけじゃないんだ。三人で明晰夢を見ているのだから、他の誰かが操っているのかもしれない。この明晰夢というものに気づいた者が先導して状況を操っているのだとしたら、僕よりも、これを書いた梨乃よりも、もっと早くに気づいた人物が居るだけじゃないか。

 


 トントントンッ。


 不意に扉がノックされ、やましいことがあるわけでもないのに、僕は驚きのあまり机の中にルーズリーフを押し込んだ。


「あ、はい! どうぞー!」


 不自然にならない程度の間を取って返事をする。

 扉が開かれ、そこからお客さんが入ってきた。

 たとえこれが夢であったとしても、一応その責務は果たさないといけないよな。

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