三回目 ⑬メイド喫茶(?)

 昨日と違うことをやろうと言い出した割には、特に行きたいところなんてなかった。

 開会式終了後、僕らは適当に校舎内をぶらついていた。歩いていて面白そうなものがあれば手あたり次第入ってみようということになり巡回しているのだが、未だに何もしていないのが現状である。


「昨日はわたしの行きたいところに付き合ってもらったから、今日は彼方くんの行きたいところでいいよ?」


 首を傾げる柚希に対して僕は本気で頭を捻る。


「うーん。行きたいところかぁ……」


 正直参っている。ただの百合好きな自分には、リアルでのイベントにまったくもって興味が湧かない。当然それは文化祭にも通用する悩みで、一回目の文化祭を僕が謳歌出来たのは、柚希が楽しそうに笑っていたからだ。

 だが、今回はそうじゃない。僕らが互いに笑い合えるような文化祭には断じてならない。だからといって僕が気を落としていると、ギクシャクしてしまった昨日の二の舞を踏むことになるだろう。何としてでも避けなければ……。

 辺りに気を配り、面白そうなものを探す。しかし、これといって興味を惹かれるようなものはなかった。

 肩を落としてそっと息をつく。このままじゃ二時間放浪して終わりそうだ。

 廊下の角を曲がり、突き進んで行ったところで風変わりなものを見つけた。


「メイド喫茶……だと……」


 昨日もあっただろうか。疑問に思い、馬鹿馬鹿しいなと鼻を鳴らしたくなったが、ピタリと足が止まってしまった。

 不本意ながら、チラチラと中の様子を窺う自分がいた。

 誰だよこんなものを企画したやつは。ちょっと気になるじゃんか。

 自然と鼻の下が伸びるのを抑えきれなかった。


「入って、みる……?」


 控えめに僕を見上げる柚希が視界に入ったところで我に返る。


「ぜひ」


 我に返れていなかった。

 どうやら男というものは本能には抗えないらしい。僕はそう言うことにしておいた。

 微妙に引き攣った表情を浮かべる柚希を連れて、そんな素晴らし……く奇妙な教室に足を踏み入れた。

 そこは、未知の領域だった。


「お帰りなさいませ! ご主人様! お嬢様!」


 王道のクラシカルミニメイド服に身を包んだ清楚な黒髪美少女たちが、丁寧にお辞儀をして僕らの帰宅を天にも昇る心地で出迎えてくれた。

 入口で僕らが茫然としていると、一人のメイドさんが代表で一歩前へ出る。


「お疲れ様です。お席へご案内いたしますね?」


 百点満点の笑顔で僕らを先導するメイドさんの後ろ姿はとても凛々しい佇まいだった。ピシッと伸びた背筋を目で追い、指定された席に柚希と向かい合うようにして座る。

 内装は普通の教室と何ら変わりないのに、この空間に容姿端麗なメイドさん方がおいでになられるだけで、まるで別世界に迷い込んだみたいだった。

 そんな慣れない場所に緊張して、金縛りにでもあったかのように身体が強張る。


「ご注文がお決まりになりましたら、元気な声でお呼びください。それでは、失礼いたします」


 華奢な容姿によく似合う甘い声遣いに心打たれた。メイドさんはお腹の上に手を添えて、またもや綺麗なお辞儀を披露してみせる。

 メイドさんが僕らのもとから離れたところでようやく緊張がほぐれた。


「滅茶苦茶気合入ってないか? 結構ガチっぽいぞ」


「うん、凄い。ってかあの子かなり可愛くなかった?」


 あれ? 意外とご満悦? 心成しか、柚希の目がキラキラと輝いているような気がする。

 僕の正面で柚希は、「あ、あの子も可愛い」とかぶつぶつ言いながら物色するようにあたりを見まわしている。

 そうか、忘れていた。柚希はBLだけでなく、可愛い女の子や綺麗な女性もイケる口だった。だから、入ってみる? なんて言ったのか。

 一人納得して、黒板に書かれてあるメニューを流し見する。


「えーっと……オレンジジュースにコーヒー、ホットケーキとお菓子の詰め合わせ、か。こっちは案外普通なんだな」


 値段もオール一〇〇円と手ごろな価格設定だった。別にお腹も減ってないし、ここは無難にコーヒーとお菓子の詰め合わせくらいにしておこうかな。なんて考えていたら異様なものが目に留まった。そいつは、お菓子の詰め合わせの下に何の遠慮もなく自然に鎮座していた。


「水ぶっかけってなんだ⁉」


 思わず大きな声が出てしまった。

 柚希を含む、周囲の人々の視線が一気に自分に向けられる。あまりの恥ずかしさに俯くほかなかった。

 水ぶっかけというと、つまりあれだろう。読んで字のごとく、メイドさんがずっこけてご主人様に水をぶっかけるというあのシチュエーションのことなのだろう。

 え、そんなのあるの? っていうかこれも一〇〇円ってことだよな?

 それ以前に教育機関でそんな不埒なことをして大丈夫なわけがない。教育委員会とかに何も言われないのだろうか。まあこれが合法とあらば、試さない理由がないわけだが。

 僕の心中は極めて穏やかではなかった。


「柚希は何にするか決めたか?」


「わたしはオレンジジュースとホットケーキにしようかな~」


 口調だけは普通なのだが、彼女の目線は異常だった。さっきから柚希は、教室内をうろつくメイドさんを血走った目で追いかけていた。

 それはもう、完全に変態の素行だった。

 僕も柚希の気持ちを汲み取れないわけではない。正直自分も焦点が定まっていなかった。辺りを行き交うメイドさんの姿を何食わぬ顔で僕もチラチラと眺めている。

 頭上にはメイド姿のトレードマークとも言えるカチューシャを付けており、艶やかな黒髪は降下してウェーブを描き、雪が解け切ったように透き通る白い肌に対抗して、繊細な光沢感を持つ黒いワンピースを覆う、羽のようにふんわりとしたフリルを基調としている純白のエプロンとつり合うほどに、ほっそりと伸びる水も滴るような真っ白な太ももを持ち上げ包み込んでくれる黒のニーハイソックスと高級感漂うヒール。

 これらの尊重し合う黒と白のみで形成されたコントラストは、全男子のスケベ心をくすぐるには十分過ぎた。


「彼方くん……。それはもうチラ見とは言わないよ? そういうのをガン見って言うんだよ? 知ってた?」


 正面の柚希が、僕のことを憐れんだ目で優しく諭してくれた。

 だから訂正しよう。僕は、チラチラとではなく明らかに凝視していた。


「ま、まあそれはさておき、そろそろ注文するか……」


 僕は先ほど説明された通り、元気な声で「すみませーん!」と近くにいたメイドさんを呼び止めた。その声にメイドさんは笑顔で返事をして、僕らのもとに駆け寄る。


「お呼びですか? ご主人様?」


 つい口元が綻びた。


「あ、えっと、メニューのものをそれぞれ一つずつお願いします」


 水ぶっかけをお願いしますと言いたくなかったのが本音だが、どうせ全部を注文するのだから短縮したのだと言い訳をさせていただこう。


「かしこまりました、ご主人様。こちらお給仕料が合計で五〇〇円になります」


 どうやらここは先払いらしい。因みにお給仕料というのは世間一般で言うお会計のことだ。メイド喫茶では、僕ら客人にとってここは店ではなく家という設定なので中々に変わった言い方をする。入店の挨拶が「いらっしゃいませ」ではなく「おかえりなさいませ」なのだから当然だ。

 五〇〇円ってことは、水ぶっかけも込みってことなのだろうか。やはりあれは僕の見間違いではなかったみたいだ。

 僕は財布から五〇〇円玉を取り出し、惜しげもなくメイドさんに手渡した。

 手のひらを両手でぎゅっと包み込まれた。


「それでは、少々お待ちくださいませ、ご主人様、お嬢様。失礼いたします」


 去り行くメイドさんの背中を最後までしっかりと目で追い、さっと柚希に向き直る。

 梨乃のような目をしていた。


「……見過ぎ」


「あ、はい。……すみません」


 何となく謝っておいた。

 それから柚希はムスッとした顔でそっぽを向いてしまったので、僕は手元に視線を落とした。

 今更思ったんだが、水ぶっかけってことはもちろん濡れるよな? こんなの想定外だったから替えの服なんて持ってきていない。

 急に現実を突きつけられ焦りだしたのも束の間、メイドさんがトレイを片手に僕らのもとへやって来た。


「ご主人様! お水をお持ちいたしま……きゃっ!」


 ビシャン!


 僕の顔面に氷の入った水が降り注いだ。


「大変申し訳ございません! 今タオルでお拭きいたします!」


 僕らを席へと案内してくれたメイドさんが、僕の顔を優しく拭いてくれている。

 もちろん濡れたのは顔だけではない。シャツもズボンもびしょ濡れだった。だが怒りなんぞ湧くわけがない。何せこれは、僕が望んだことなのだから。寧ろご褒美だ。

 やがてメイドさんのその優しい手つきがシャツへと移り、挙句の果てには僕の大事なところにまで及ぼうとしていた――。


「ちょ、ちょっと待って!」


 僕が止めるまでもなく、柚希が立ち上がってメイドさんの手首を掴む。


「ゆ、柚希……?」


「そ、それは! その……駄目だと思う……」


 柚希は、火のような怒りに満ちた色を漲らせていたかと思うと、一気に真っ青になった。

 メイドさんから強引にタオルを奪い取ると、僕にそれを突き付ける。


「ほ、ほら、彼方くん。自分で拭きなよっ……」


 その勢いに気圧され、僕はメイドさんに一言断りを入れると、自ら濡れた衣服をタオルで拭き始めた。


「大変……申し訳ございませんでした!」


 悪いのはメイドさんではなく僕だ。僕が水ぶっかけなんてものを注文してしまったがために、メイドさんは仕方なくその業務を果たそうとしていただけなんだ。でもメイドさんは、僕らに長々と頭を下げていた。そんな彼女も、やがてそれを見かねていた他のメイドさんに連れられて奥へと戻っていった。


「ごめん……怒っちゃったり、して……」


 今にも消え入りそうな声で柚希が首を垂れる。

 僕は、そんな彼女の姿を見たかったわけではない。せめてこの現象が終わるまでは、僕はまだ彼女に笑っていて欲しいと思っていた。だから普段通りを心掛けようと躍起になっていたんだ。なのに、僕は彼女を困らせてしまった。

 謝らなくちゃいけないのは僕の方だ。


「柚希は悪くないよ。僕が調子に乗り過ぎたのが悪いんだ。だから、こっちこそごめん。それと、こんなアホ野郎のために怒ってくれてありがとう」


 ゆっくりと柚希が顔を上げる。

 僕はそんな彼女に不器用ながらも笑顔を向けた。

 柚希の表情が、ハッと驚いたように目を丸くしたかと思うと照れたようにはにかんだ。 

 そんな何気ない変化が、堪らなく愛おしかった。


「お待たせしました、ご主人様、お嬢様。こちら、オレンジジュース、コーヒー、お菓子の詰め合わせ、そして特製パンケーキになります」


 僕らのオーダーをとってくれたメイドさんが、机の上に注文の品を手際よく並べる。僕の目の前にはコーヒーとお菓子の詰め合わせが、柚希の目の前にはオレンジジュースとパンケーキが、何も言っていないのに見事に正解していた。


「ご主人様、お嬢様。こちらでお間違いないですか?」


「「あ、はい。大丈夫です」」


 僕らは同時に頷いた。

 するとメイドさんはニッコリ笑顔を浮かべると、柚希の傍らに立ち、


「ふふ。それではお嬢様? こちらのお食事には、まだ萌えパワーが十分に足りていません。私と一緒に萌え萌えキュンと、二人の愛を注入しちゃいましょう!」


 とてもノリノリだった。

 え、二人の愛。何それ尊いじゃん。柚希とメイドさんの愛を込めるってことでしょ?

 僕は固唾を飲んでその場を見届けることにした。


「それではお嬢様、いきますよ~」


 その合図に戸惑いながら、僕の方をチラッと確認する柚希。僕はそんな彼女に無言で力強く頷いてみせた。


「萌え萌えキュン!」「も、萌え萌え、キュン……」


 満面の笑みのメイドさんと、恥ずかしそうにしながらもしっかりと両手でハートマークを作り出す柚希。

 それを見届けると、僕は親指をグッと突き立てて机に突っ伏した。

 柚希の可愛さ及び二人の描き出す愛の尊さのダブルパンチにより、僕は無事に萌え死んだのだった。……めでたしめでたし。


「大変です、お嬢様! ご主人様が気を失いかけています! 私たちでご主人様をお救いいたしましょう!」


「え、ええ⁉ えっと、救うってな、何を……?」


 そんな異様な空気に、僕は伏せていた顔をこそっと上げた。

 いったい何が始まるというのだろうか。僕の胸は期待で一杯だった。因みにメイドさんの胸は夢と希望で一杯だった。

 そんなメイドさんはお菓子の詰め合わせの中からポッキーを手に取り、その先端であるチョコの部分を柚希の口に銜えさせる。


「うぎゅッ」


 もちろん柚希はびっくり仰天、そのまま硬直してしまった。

 それだけでは終わらない。メイドさんは有無も言わさず柚希の顎を右手でクイッと持ち上げると、自らの方へと顔を向けさせる。

 ま、まさか――。


「ご主人様? 見ていてください。ポッキーゲーム、ですよ?」


 メイドさんがポッキーの持ち手の部分をそっと口に銜える。そしてその淡い唇が、ポリポリと音を立てながら徐々に行き止まりである柚希の唇へと侵食していき……。

 正直、目のやり場がそこしかなかった。

 メイドさんと柚希の鼻の頭がお見合いをする。その真下では、桜色の艶やかな唇同士が触れ合う寸前で――。


 ――ポキッ。


 奇しくもそれは叶わなかった。

 心臓が早音を打っている。今回ばかりは、流石の僕も動揺していた。

 それは恐らく柚希も同じ、いや彼女の方が凄まじいだろう。顔を茹でタコのように真っ赤にして呼吸を荒くしている。

 仕掛け人であるメイドさんはというと、毅然として笑顔のままだった。

 メイド喫茶というものはこんなサービスをするところだっただろうか。行ったことがないのでもちろん知らないが、たぶん何かが違う。それに、これはどう考えても学生の提供出来るメイド喫茶なんかじゃない。明らかに過激だ。

 メイドさんが、僕の心を見透かしたようにあどけなく微笑む。


「こちらは、ですので」


「――は?」


 今この人は何て言った? 百合喫茶? そんなはずはない。だってこの教室の入口にはメイド喫茶ってちゃんと書いてあった。その文字を確認して僕らは足を踏み入れたんだ。もし百合喫茶だとしたら、水ぶっかけなんてメニューがあったのはおかしいじゃないか。まあメイド喫茶でもありえないと思うけど。

 何より、百合喫茶なんてものが存在していたなら、一回目の文化祭で僕が見落としているはずがない。自信を持って断言できる。

 もしかしてこのメイドさんなりのジョークか? 支離滅裂でわけがわからない。


 この世界は、いったいどうなっているんだ?

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