三回目
三回目 ⑫叶わなかった朝
どうやら明日はやって来なかったらしい。手元のスマホの画面には、またしても九月二一日と表示されていた。つまり、僕らの願いは呆気なく打ち砕かれたということだ。
当然ながら、昨日の口内炎も嘘のように無くなっている。それに関しては凄くありがたい。
鉛のように重たい体をなんとか起こし、足を引きずるようにして階下へ降りる。
そこには二日連続で眺めた光景が広がっていた。母さんが朝食であるベーコンエッグを皿に盛りつけており、父さんはテレビニュースを食い入るように見つめている。
僕は、昨日のように各種媒体で日付を確認するような真似はしなかった。
顔を洗ってスッキリしよう。足が洗面所へ向かおうとしたところで、父さんの声に引き留められた。
「おいおい。彼方ー? 昨日の夜、お前の学校の近くで交通事故遭ったらしいぞ?」
は? 父さんは何を言っているんだ? そんな馬鹿なと思い、テレビ画面に目を向けると、そこには確かに学校付近の交差点が映し出されていた。
「なっ……」
報道されている文字を目で追う。テロップには、土砂降りの雨によるスリップ事故であると記載されていた。それだけではなく、その場に偶然居合わせた女性が事故に巻き込まれ、意識不明の重体だとも言う。
そんなまさか。また流れが変わったということなのか? そもそも僕はまだ目覚めたばかりで、何もしていない。きっと残りの二人も同じはずだ。
だったらなぜ? 本当にわけがわからない。
その事故が起こったとされる昨日というのは、恐らく文化祭の前日である二〇日のことを指すのだろう。だが、僕の知っている九月二〇日は、確か雨なんて降っていなかったはずだ。
だとしたら、文化祭の前日が書き換えられたということか?
これはもう、僕らだけでは手に負えないんじゃないだろうか。だいたい、僕らの何らかの行動一つで一日の出来事を変化させられるはずがない。ましてや天気とか交通事故とかを操作するなんて不可能な話だ。だから、きっと僕ら以外の第三者が何かをしでかしたに違いない。そうじゃないと納得できない。
いったいこの世界はどうなっているというんだ。
洗面所で、普段よりも荒々しく冷水を顔面に叩き付ける。時折、辺りに水が飛び散っていたようだが、気にせず続けた。満足したところで蛇口をきつく閉め、ふわふわのタオルをびしょ濡れになった顔面に押し付けた。ゴシゴシと擦りつけて水分を吸い取ることは出来たが、嫌な気分は何一つとして拭いきれなかった。
リビングへ戻り、今日はきちんと朝食をとった。もちろん味なんてしなかった。
文化祭が三回目ともなれば、特に急ぐ理由もなく狼狽える必要もない。僕はのんびりと準備を済ませていた。
バッグに手をかけた時ふと思った。今日は柚希は来ないのだろうかと。
昨日訪れたのがイレギュラーだっただけであり、本来なら柚希が家に顔を出すことなんてないのだから気にしなくていいだろう。寧ろ、気まずい空気を作らなくて済むのだから僕にとっては好都合なはずなんだ。なのに、僕の心境は曖昧で複雑だった。
来てくれないだろうかという期待と、来ないでくれという拒絶が反発し合う。もっと言うなれば、会いたいのに会いたくないとさえ思ってしまう。
正直言って、同じ日を繰り返すことよりも、柚希のことをそんな風に考えなくちゃいけなくなったことが何よりも辛かった。好きな女の子が僕を避けてくれることで、それが僕のためになるだなんて本当なら思いたくはない。でも、そう捉えていないと耐えられそうになかった。
柚希が僕に優しくしてくれる度に、自分が哀れになる。彼女の優しさに甘え続けるわけにはいかない。彼女には、もう気を遣わせてはいけないんだ。
昨日の柚希の様子を思い返してみると気になる点が一つあった。急に僕への態度が素っ気なくなっていた。彼女が僕への愛想を尽かしたからなのだろうか。それとも僕が彼女を拒絶していることが伝わってしまったのだろうか。
そう思うと、胸が苦しくなった。自ら避けているとはいえ、柚希に距離を置かれるのは中々に応える。
考えていたって絶対的に答えなんて見つかりはしない。かと言って本人に訊くつもりなんて毛頭ない。僕は、この繰り返しの現象が終わるまでの間は、当分こんな気持ちを抱えたまま過ごすことになるだろう。これが終われば、僕らはもう関わらなくてもいい。
だったら、僕もこの現象が終わるまでは気を遣っておくべきなんじゃないだろうか。彼女が一方的に気を遣って傷つくなんてのは、僕も見ていていい気はしない。彼女がそうするのなら、僕もそれに応えるべきなんじゃないだろうか。そしてこれが終わりを告げた時、僕はまた一人に戻る。そうだ、それでいいじゃないか。それまでの間は、いつも通りを心掛ける。
自身の頬を両手でバシンッと叩き付け気合を入れると、同じ状況下にあるであろう彼女らのもとへ向かった。
ノックもせずに部室の扉を開ける。するとそこには、既に柚希と梨乃が揃っていた。
「今朝のニュース、観た?」
相変わらずテキパキと文集販売の準備を行いながら梨乃が問う。その今朝のニュースというのは、恐らく交通事故の件だろう。
僕はバッグを適当な位置に下ろすと、その作業に加わった。
「ああ、観たよ。そこの交差点で事故が遭ったってやつだろ?」
「ええ。変じゃなかった? 雨が降ってただなんて……」
「僕も思ったよ。流石にもうお手上げだって」
降参したとジェスチャーをし、僕は自分の意志を表明した。
対し、柚希が遠慮気味に撥ねつける。
「わたしもそう思ったけどさ、やっぱ、諦めちゃ駄目だよ」
そんな柚希のごもっともな言い分に返す言葉もない。
彼女の声に覇気は感じられなかったが恐らく本心だろう。
「まあ、そうだよな。ずっとこのままでいるわけにはいかないし」
「何もしなくても解決する可能性だってあるけど、出来る限りのことはやってみよ?」
持前の明るい笑顔で柚希がそう提言するが、やはりどこかぎこちない。違和感を梨乃も察しているのだろう、妙に憂わしげな表情をしていた。
出来る限りのこと。僕らには、いったい何ができると言うのだろう。果たしてこの現象に抗う術というものは存在するのだろうか。
昨日試したのは、一回目の文化祭を同じように振舞うこと。されど、この現象が終わることはなく、ましてやかき氷屋と放送室では変化が見られた。
「だったらさ、今日は昨日やその前とは違うことをしてみる。なんてのはどうだ?」
場の空気を換えるべくして僕がドヤ顔でそう提案すると、二人は啞然とした顔でフリーズしてしまった。
あれ? 何か間違えちゃったのか? 首筋に嫌に生ぬるい汗が伝う。
「え、何その顔……きもい」
「な! そんな酷いこと言うなよ! 僕の顔はこの際抜きにして、良い案だろ⁉」
「まぁ、いいんじゃない……」
「だよな。柚希もそう思わないか?」
さりげなく柚希へと顔を向ける。
「う、うん。良いと思うよ?」
虚を衝かれたように頷きを返す柚希と一瞬だけ目が合ったがすぐに逸らされた。あからさまに避けられているような気がする。
そんな態度に心をかき乱されたが、悟らせまいと僕は平静を装う。
「よし。じゃあ、今日は順番も変えてみよう。えっと、どう変えようか」
目線で梨乃に意見を仰ぐ。
一応決定権は部長である梨乃にあるだろうと自身に言い訳し、僕はその責務を逃れる。
当の梨乃は、別段考え込むような仕草も取らずにあっけらかんと口を開いた。
「昨日の順番を一個ずつずらして、最初に柚希と瀬戸君が行けばいい。その後に私と柚希で回る」
「え、ああ、そうだな。そうしよう」
呆気ない解決に、若干の戸惑いを隠しきれてない返事をしたところで困惑する。
今更だけど、普段通りって意識するとやっぱかなり難しい。いつもの僕ってどんな感じだっけ? と、脳内でシュミレーションしてみるが、すぐに中断した。自分で言うのもなんだけど、予想以上にアホっぽかった。
「……何を想像したのかは知らないけど、それであってる」
「うおい! 相変わらず失礼なやつだな! ってか人の思考を勝手に読むな!」
「それはお門違い。そっちが勝手に独り言ちるだけ……」
「そういえばそういう特殊能力持ってましたすみませんー」
きっとこういうところがアホっぽいんだろうな。この独り言を言ってしまう癖、どうにかならないものか。
途方に暮れて、窓の外に目をやる。
自分の悪い癖が治るのも、この繰り返し現象の終焉も、果てしなく遠いような気がした。
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