二回目 ⑩無かったはずのもの、使えなかったはずの場所
ポケットにスマホを入れたまま、スマホを探しているんですと茶番劇を数カ所で繰り広げて部室へと戻って来た。梨乃は、昨日通り既に黙々と作業を進めている。彼女にただいまの一言もなく、僕は部室に入るや否やすぐさま駆け寄った。
「梨乃、大変だ」
「……何」
「いちご味があった」
「は?」
「だから、いちご味があったんだよ」
「意味わかんない。何の話?」
当然の反応だと思った。気が動転し過ぎている自身の頬を平手打ちする。それだけじゃ足りない。深呼吸でもして一旦落ち着こう。
それが済むと、僕は机を挟んだ梨乃の向かい側へと腰掛けた。柚希もいつもの定位置である梨乃の隣に腰を下ろした。
「えっとな、昨日はかき氷屋のいちご味が売り切れになってたんだけど、今日はいちご味が残ってたんだ」
梨乃の目つきが変わった。思い立ったように手元のルーズリーフへとペンを走らせる。
僕は彼女が書き終えるのを黙って待った。
「……その他には何かあった?」
「それ以外には、特に何も」
「……そう」
梨乃は少し残念そうに俯いた。
ふと、調理室で僕の独断で副会長に聞き込みをしたことを思い出した。念のために伝えておいた方がいいだろう。
「そういえば、副会長に遠回しに昨日のことを訊いてみたんだけど、やっぱ繰り返しには気づいていないみたいだった」
言い終えると、一瞬梨乃が怒ったような表情を浮かべたが、すぐにいつもの調子に戻った。まあいつも怒ったような顔をしているがあえて触れないでおこう。
そんな彼女を横目に、僕は売れ残った文集と白紙のコピー用紙、ボールペンを自分のもとに寄せた。ささっと集計を済ませよう。
「ここに来た人たちからも、その類の話は聞かなかったし……。恐らく、私たちだけが文化祭を繰り返している……」
「みたいだな」
頷いて、手元に視線を落とす。たぶん売れ残りの数も変わってはいないだろう。それを確認するために、早急に部数の集計に手を付ける。
正面の二人も、活動報告書やアンケート結果の分析をせっせとこなしている。こんなに黙りこくって作業を行うのは初めてだった。同じ日を二回繰り返しているからという理由を差し引いても、この光景はきっと奇天烈なものなんだと思う。
そんな異例の事態に、梨乃は落ち着かないといった様子で珍しく口火を切った。
「ねえ二人とも。……何かあった?」
突拍子もない問いかけに、思わず手の動きが止まった。何かあったと訊かれても、これといって今日の僕らに何かがあったわけではない。梨乃の言う何かというものは、きっと昨夜の出来事に該当するのだろう。だが、僕はそれを口にしたくはない。
「え? いや何も」
僕は軽く流して作業に戻った。
「うん。何でもないよ?」
柚希なりに誤魔化したつもりなのだろうが、何でもないよという返しは何かがあったって意味になるだろうと、僕は内心でため息をついた。
「そう。……ならいいけど」
恐らく納得はいっていないだろうが、僕らの様子について梨乃がこれ以上追及することはなかった。
一切声のない静寂の中、不揃いにカリカリとペン先が紙の上を横断する音だけが部室内を満たしていた。
集中していれば、大抵の仕事はあっという間に終わる。例えその作業が二回目であり、面倒くさいものだったとしても。
僕はボールペンをそっと机に置き、背もたれに身を預けて天井を見上げた。
集計結果、売り上げ数は四七冊、来場者数も付添人を足した五九人だった。この結果は昨日とまったく同じ数字である。
その報告をしようと僕が口を開いた瞬間、僕の声は全く予想外の音にかき消された。
ピンポンパンポーン。
『生徒会からの連絡です。本日の一八時より開始を予定しておりました、後夜祭の開始時刻を変更します。雲行きが怪しくなり始めましたので、後夜祭の開始時間を三〇分早送りした一七時三〇分より開始します。繰り返し、生徒会からの連絡です――』
部室に設置されたスピーカーから、後夜祭開始時刻の変更を促す副会長の声が聞こえた。
その声に反応し、僕らは互いに顔を見合わせる。昨日と流れが変わっていた。
放送終了後、最初に沈黙を破ったのは僕だった。
「昨日って、確か……巡回してたよな? なんか放送室が使えないとか何とか言って……」
「ええ。……二人で来てたはず」
眉間にしわを寄せて、梨乃が再び状況をルーズリーフに書き込む。
「変化は二つ。かき氷屋に、無くなっていたはずのいちご味があった。それと、昨日は使えなかったはずの放送室が使用でき、生徒会の二人が顔を出さなかった……」
それに対して、僕と柚希が同時に頷く。
この二つの変化には、因果関係などは結び付いていないだろう。いちご味のかき氷があったから放送室が使えた、とか意味がわからない。即ちこの問題はそれぞれ別個の案件のはずだ。にしても、たったこれだけの情報量じゃ正直考察のしようがない。
それにまだ、昨日のが夢で、今日の出来事こそが現実だったんだって可能性もある。もっと他に大きな手がかりがなければ謎解きなんて出来やしない。
「これって、明日も続くのかな……?」
柚希が落ち着いた声で核心をついた。
「そう、だよな。言われてみれば、明日ってどうなるんだ?」
「わからない。ただ、これで終わりって感じはしない……」
「それじゃあ明日もまた文化祭ってことか……?」
そう口にして背筋がぞっとした。もしそうだとしたらかなり酷な話だ。
僕らはこの不可思議な世界に閉じ込められたということになる。
今思えば、僕らは二回目の文化祭の変化についてしか目を向けていていなかった。何せ、昨日の通りを演じ切ればこの現象から逃れられると無意識に思っていたからだ。今日という二回目の九月二一日を無事乗り越えれば、当然のように明日という二二日が訪れるんだと思い込んでいた。
そんな保証なんてどこにもないのに……。
「……明日になってみないとわからない」
「はは、なんだよそれ……」
僕の乾いた笑いが部室内で反響する。二人は口を閉ざしたまま何も言わなかった。
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