二回目 ⑨昨日と同じで、昨日とは違う
交代の時間が迫り、僕らは部室に帰還した。部室では、柚希が退屈そうに机に突っ伏している。そんな光景についいたずら心がざわつきだし、彼女のつむじに指を立てようとしたところで我に返り自重した。昨日と同じようで、僕らは昨日と違うのだと。
それを思い出した瞬間、一気に虚無感が押し寄せてきた。たった一つの選択とその結果だけで、当たり前の楽しい日々が反転してこんなにも息苦しくなるだなんて思わなかった。
極自然に振舞ってきた行いを抑制し、柚希から意識を逸らす。するとまた、口の中に生ぬるい錆びの味が広がった。
僕らの気配を察した柚希がゆっくりと顔を上げる。一瞬だけ僕を捉えたその瞳が隣人へと向けられた。
「もうそんな時間だったんだ。えへへ……」
ぎこちなくはにかんだ柚希の表情が、傍目から見ていて何だか痛々しかった。
きっと僕の所為で彼女を苦しめているのだろう。僕が余計なことを言ってしまったから、普段通りを心掛けるべく気を遣おうとして苦労しているんだ。僕が、当たり前の日常を破壊したんだ。
無意識のうちに拳を壊れるくらい強く握りしめていた。
「やっと休憩できる」
「梨乃ー? 休憩じゃないでしょー? れっきとしたお仕事だからっ」
「……突っ伏してた人がよく言う」
「そこは見逃してよー」
二人は他愛ないやり取りをしながら場所を入れ替わる。梨乃は早速椅子に腰かけると睡眠態勢に入った。
「ってもう寝てるし!」
柚希がツッコむ。だがしかし、梨乃は一切反応を示さなかった。恐らくフルシカトモードに入ったのだろう。そんな彼女には何を言っても通じやしない。
それを柚希も理解しているため、やれやれと浅くえくぼを作って僕に向き直る。
「それじゃあ行こっか、彼方くん?」
柚希の明朗な声に僕は無言で頷いた。
部室を後にし、昨日と同じようにまずは料理研究部へと向かう。
場所は一階にある調理室。ここからだとかなり距離があるため、どうにかして沈黙を避けなければならない。流石にだんまりは互いに気まずい空気を作り出すだけだとわかっている。わかっているけれど、だからといって簡単に割り切れるほど僕のメンタルは強固ではない。僕の唇は間抜けに震えるばかりだ。
「彼方くんは、どう? お腹減ってる?」
控えめな語り口で柚希が話題を提供した。その厚意を僕は有難く受け取ることにする。
「え、あ~、そうだな。朝ご飯食べ損ねてたから、そこそこに」
「あ、そうだったんだ。ごめん、もう少しゆっくり顔出せばよかったよね」
「ううん、柚希は悪くないよ。僕が取り乱して、忘れてただけだから」
また余計なことを言ってしまっただろうか。柚希の表情が一瞬陰ったようにも見えた。
「そっか。……やっぱり優しいね」
吐息交じりのその声は、辛うじて僕の耳に届いていた。
「梨乃とは、どうだった? 昨日通り上手くやれた?」
「あ、うん。一応出来てたと思う」
「え? 一応って何? 一応ってー」
教えろ~とせがむ柚希に、口を開くかどうか迷った。梨乃のことだし、バラしたらただじゃ済まない気がする。
「まあ、昨日はなかったミスが互いにあってさ。大したことじゃないから大丈夫だよ」
「ミスって? どうしたの?」
「うーん……。言っていいのかわかんないけど、梨乃のやつがクレープを包み紙から引っ張り出すのに失敗しちゃってさ、僕のと交換したんだ。たったそれだけ」
「ふ~んそうなんだ。なんか梨乃らしいかも」
そう言って柚希は、にこやかに笑っていた。
それから、何度も会話が途切れはしたが、何とか場を繋いで目的地へと到着した。小さな列を作っているその最後尾に着き、僕らは喧騒に飲まれながら順番を待った。
ほどなくして、エプロン姿の女子生徒に声をかけられた。僕らは、甘い匂いの充満している室内に通された。
二人並んで窓際の水道蛇口でしっかりと手を洗い、案内された番号のシンクに着く。すると、担当の女子部員がホワイトボードを背に昨日とまったく同じ説明を始めた。
おもてなしの内容は、郷土料理であるいもまんじゅうの調理体験だ。調理器具及び食材のじゃがいもと、それを包む皮の材料である強力粉等は既に用意されている。
作り方も至って簡単で、ホワイトボードにもわかりやすくそれは記載してある。
女子部員の合図で、僕らは調理を開始した。柚希が中身であるじゃがいもを担当し、僕がそれを覆う皮を作る役だ。
菜箸を使い、準備されていた強力粉とだんご粉を混ぜ合わせた粉と塩を入れたボウルに、水を足しながらよく混ぜる。最初は軽い手応えだったそれらが固くなっているのにも気づかないくらい無心で混ぜていると、横から「あ、あのー。もう充分ですよ」と指示を出された。
我に返り、「すみません」と頭を下げる。
皮生地をボウルの中央にまん丸とひとまとめにし、ラップを被せてから室内の奥にある冷蔵庫に運ぶ。後は三〇分くらい寝かすだけなので、ここから僕は暇の境地だ。
昨日は柚希の手伝いをしていたが、今日はどうしようか。柚希は梨乃と違って、役者になり切ろうとしている風には見えない。だから、完璧に昨日を演じる必要はないだろう。
その場に留まり、遠目に柚希の様子を窺う。柚希は火にかけた鍋の中身をじっと見つめている。恐らくじゃがいもが柔らかくなるのを待っているのだろう。なら、僕が戻ったところで特にやることもない。だから僕は三〇分をここで過ごすことにした。
ポケットからスマホを取り出す。その動作を自然に行ったところで気づいた。スマホを部室に置いてくるのを忘れていた。
「まあ、いっか」
落としたていで昨日のように探し回ればいいだろう。そう自己解決し、画面に目を落としたところで不意に声をかけられた。
「彼方さん、戻らなくていいんですか?」
その声のする方へ目を向けると、そこには生徒会の腕章を付けた副会長が立っていた。
しまった、完全に忘れていた。昨日副会長は、生徒会のパトロールの仕事でここにもやって来て、僕と柚希に声をかけに来たんだった。
よし、気づかなかったフリをしよう。
僕は再びスマホに視線を戻す。
「ちょっと彼方さん、何で無視するんですか」
副会長に肩パンされた。意外と武闘派らしい。
「あ、ごめん。僕じゃないかと思った」
「どうしてですか。私は彼方さんの方を向いて、彼方さんって声をかけたじゃないですか」
「そうなんだ、ごめん。……それで?」
「あの、ですから戻らなくていいんですか?」
「え、何で?」
「柚希さん、一人で寂しそうですよ?」
そう言って副会長は、火元でポカンとしている柚希を指さした。
きっと副会長に悪気はないと思う。でも、今の僕にそれはきつい。もちろん副会長は、今日という昨日で僕が柚希に告白してフラれたということを知らない。だから、そんな副会長を咎めることなんて出来ない。それが却って憎たらしかった。
「いや、大丈夫だよ」
不機嫌にならないようにと調節した声で、僕はボソッと呟いた。
「そうですか? いつもより元気がなさそうにも見えますが……」
僕もいつもより元気がないはずなんだけど、副会長にはそれが伝わらなかったのだろうか。……ちょっと悲しいな。
とりあえず無難な嘘でもついてこの場を適当に流そう。
「きっと眠いだけだって。昨日も徹夜でゲームしてたらしいし」
「そうなんですか。あまり夜遅くまで起きていないようにって、柚希さんに注意しておいてください。体調を崩す原因になりかねませんので」
「ああ、僕の方でしっかり注意しておくよ」
あははと苦笑いをして、この場を上手く切り抜ける。わざわざ違う行動を取った所為でこんなに気を遣わなくてはいけなくなるのなら、昨日に従い柚希のもとへ戻ればよかった。
そう、昨日みたいに……。
「あ、そうだ。一つ訊いてもいいか?」
「はい、いいですよ?」
梨乃には他言無用だと強いられていたが、遠回しにこの現象のことを訊いてみるのはありなんじゃないだろうか。他人に訊かないとわからないことだってあるのだから。そう自分を正当化し、遠慮なく僕は頭の可笑しいやつを決め込むことにする。
「昨日のこの時間って、何してたっけ?」
「どうしたんですか急に。昨日は一日中文化祭の準備だったじゃないですか。彼方さんも部室で準備をしていませんでしたか?」
「あ、そっか、そうだった。ごめん、変なこと訊いて」
「いえ、別に構いませんが……」
不思議そうに首を傾げる副会長を、半ば強引に、だけど物腰はやんわりと突っぱねる。
「それじゃ、副会長もパトロール頑張ってくれ」
「はい、ありがとうございます。それでは彼方さんも、文化祭楽しんでくださいね」
律儀に会釈をして、副会長は他の生徒のもとへと去っていった。
何かの山場を越えたような達成感と脱力感が込み上げてきた。安易に昨日と違う行動をとるのはよした方がいいみたいだな。
次からは気を付けよう。
それにしても、やっぱりこの現象に巻き込まれているのは僕らだけなのだろうか。副会長がそうじゃないのなら、おおよその人がそれに該当するのだろう。
『あ、あの! 溢れちゃってますよ! 火を止めてください!』
遠くから、そんな驚嘆じみた声が聞こえた。なんとなく心当たりのようなものを感じ目を向けると、耳元で風船が割れたように驚いている柚希が目についた。
『え? あ! ほんとだ! ごめんなさい!』
柚希は狼狽えて火を止めた。その様子に一同が注目している。
何やってるんだ? なんて言えないか。自分も混ぜ過ぎだって施しを受けたんだから。
そんな光景を見て、自然と足を運びそうになった。でも、心がそれに追いつかず一歩も前に進めなかった。
行ってどうする? 何やってんだよ~とでも言って背中を叩いてやればいいのか? それとも、どうしたんだ? って心配すればいいのか?
かけるべき言葉が見つからず、結局僕はその場から動けなかった。
きっちりと三〇分間冷やした皮生地を冷蔵庫から取り出し、重い足取りで柚希のもとへ向かう。
「あ、もうそっちはいい感じ?」
柚希はニコッと笑って僕が手に持つボウルをさした。
「ああ、こっちはたぶん丁度いい。柚希の方は?」
「こっちももう大丈夫だよ。それじゃあいもまんじゅう、完成させよっか」
それに頷いて、僕らはじゃがいもを皮生地で包む作業を開始した。その工程が終了すると、それらを沸騰したお湯に入れて二分ほど待つ。やがて水面に立ち上がってきた完成形のいもまんじゅうを確認すると、穴あきじゃくしで掬い上げて紙皿へと並べる。
「よし、出来た」
紙皿を持って、僕は隣の家庭科室へと移動する。こっちでは少人数の男子部員が飲み物を配布していた。紙コップに注がれたお茶を二つ受け取り、適当なテーブルに腰を下ろす。その間、柚希が後片付けをしてくれていた。それを済ませた柚希が僕の隣に着席したところで、ほかほかのいもまんじゅうに手を付けた。
昨日と同じように柚希と二人ですべて平らげたのだが、弾んだ会話はできなかった。
紙皿と紙コップをゴミ箱に捨て、僕らは家庭科室を後にした。
「いや~二回目でもやっぱり美味しかったね~」
「地元にこんな美味い食い物があると嬉しいよな」
「ほんとにねー」
会話が途切れる。
何かを返そうにも、いつもみたいに上手く言葉が出てこない。それはきっと柚希も同じだと思う。僕も彼女も口を開いては閉じてを繰り返している。
僕らはずっとそんな調子だった。
「これから進んでいただくのは、地球温暖化により荒れ果てた土地です。暗がりで大変視界が悪くなっておりますので、こちらを使用してお進みください」
昨日と同じ注意事項を聞き、僕らは小さな懐中電灯を頼りに二回目に挑戦した。
それでもやっぱり暗かった。殆ど何も見えない。昨日のように柚希は僕の袖を掴んでいるがその力はとても弱々しく、遠慮されているのを肌で感じられるほどだった。
「相変わらず暗いな~もう……」
そんな柚希の言葉に、何かを返す気にはなれなかった。今はいち早くこの場から逃れることだけを念頭に置いて先を急いだ。
昨日よりやけに冷気を感じるのは、柚希が騒いでいないからだろう。たったそれだけで本来のお化け屋敷らしさを演出できるというのは何とも皮肉な話だ。
「彼方くんっ」
不意に袖を引かれた。
柚希の方へ首を回すと、なぜか床をじっと指さしていた。その先を目で追う。そこには露骨にスイッチらしきものが設置されてあった。
「あ、そっか。忘れてた」
ここで僕がそいつを踏んで、怯えた柚希が抱きついてきたんだった。それをまた再現しなくては、この場での出来事が変わってしまい、何らかに影響を及ぼしてしまうかもしれない。そうは思っても、それを実践するのは躊躇われる。
僕がその場に固まっていると、柚希が懐中電灯を奪い取り僕から離れた。
「いつでも……いいよ?」
柚希の合図に、僕は一歩を踏み出そうとした。でも、まるで靴底に鉄板が入っているかのように言うことを聞かなかった。
柚希が不安そうにこちらを見つめている。彼女は既に覚悟が出来ているのだろうか。もしそうだとしたら、ずっとこのまま待っているわけにはいかないだろう。
僕は弱気な自身の頬にビンタをかまして目を覚まさせる。
「よし、じゃあいくぞ」
そう確認を取り、僕はスイッチを踏んづけた。
アァ――――――!
「きゃゃぁあああ!」
抑え気味な悲鳴を上げた柚希が僕に抱きつく。その衝撃で僕は後ろに倒れ込んだ。昨日のようにあばらに痛みは感じない。その代わりか、胸が圧迫されるように痛かった。
肺が壊れるくらいに息を吸い込み、気を紛らわせるようにそいつを思いっきり外へ吐き出した。
「すみませーん! 誰かー! 誰か助けてくださーい! お願いしまーす!」
ほどなくして、隣の壁から昨日と同じようにごそごそっと物音がし始める。そこから、床にまで髪を伸ばしたお化け役の女子生徒が姿を見せた。
「どうされましたー?」
そんな女子生徒に対し、僕は必死に縋るような瞳を向けて助けを乞う。
「えっと、この腰抜けを引っ張り上げて頂けるとありがたいです」
「わかりました。それじゃあお体、失礼しますね?」
女子生徒は、震えている柚希に断りを入れ、ゆっくりと体を持ち上げる。そんな女子生徒の助力がなくとも、今回の柚希なら呆気なく起き上がることが出来ただろう。
「あ、ありがとう、ござ……いやぁあああああ!」
またしても遠慮気味に声を上げた柚希は、わざとらしくその場に座り込む。
女子生徒の顔は、髪の毛で隠れて見えないがきっと困惑しているだろう。
それくらい柚希の反応は不自然だった。
「えっと、すみません。ありがとうございました」
僕は透かさずその場に立ち上がり、柚希に気を取られぬよう頭を下げた。
「いえいえ。それでは、失礼しますね」
そう言い残して、女子生徒は戻って行った。
柚希はというと、未だに床に座り込んだままだ。昨日は僕が手を貸して引っ張り上げたが、今日はその必要はないだろう。もとより、僕にはそんな気力がない。
僕は柚希が立ち上がるのをじっと待った。
やがて柚希はゆっくり腰を上げると、
「ごめん……。行こう?」
らしくない歪んだ笑顔を見せた。それに強引に背中を押されるようにして僕は歩き出す。
そんな彼女が発したごめんの意味は、僕にはさっぱりわからなかった。
無事、昨日と同じようにお化け屋敷で迷惑をかけることに成功し、僕らは文化祭最後の目的地であるかき氷屋へ向かった。
そこは、昨日と同様に人が散り始めていた。今日という一日は、昨日と何ら変わりはなく終わりへと向かっている。唯一違うところがあるとすれば、僕らに和気あいあいとした空気がないことくらいだ。きっとこの程度の問題なら、世界の流れに異常をきたすことはないだろう。それが無性に腹立だしかった。
僕らは空いているかき氷屋に近寄り、既に把握しているメニュー表を覗き込む。悩む必要もないが一応目を通す。当然何の変化もない、そう思っていた。
だが。
「いちご味がある……」
昨日は売り切れていたはずのそれが残っていた。隣でも、小さく息を呑む声が聞こえる。
この変化がさす意味はいったい何だ? ここに来るまでの間で、何かが変わってしまったのか? それとも、僕ら以外に同じ現象に巻き込まれている人がいるということか?
時間を時計で確認する。今は一五時三〇分。昨日も確かこの時間だったはずだ。
いったいどうして? 疑問をひとまず飲み込み、僕は昨日と同じ台詞を吐いた。
「あ、すみません、僕はコーラ味をお願いします。柚希は?」
「えっと、それじゃあ、わたしはブルーハワイをお願いします」
僕に続いて、気後れしながら柚希も昨日と同じ物を注文した。
柚希とは何の掛け合いもなく僕は店員さんに三〇〇円を手渡し、対価としてかき氷を二つ受け取った。そのまま言葉も交わさずにベンチへと移動する。腰かけた僕らの間に住まう青色がやけに幅を取っていた。
「いちご味、あったな」
視線を手元のかき氷に向けたまま、僕は小さく息をついた。
「……あったね」
少しの時間さと素っ気ない柚希のその声が、僕が彼女に与えた苦痛の代償だろう。
柚希はお化け屋敷に居たあたりからずっとこんな調子だった。僕だって今日はかなり落ち込んだ表情をしていただろうからお互い様だ。寂しいなんて思っちゃいけない。
食欲など当然湧かなかったが残すわけにもいかず、仕方なく僕はかき氷にスプーンを滑らせ口に運んだ。すっと溶けだしたそれが傷口に沁み込んだ。
そんな変化に面食らい、僕らに一切の会話もなかった。
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