二回目 ⑧クレープ屋

 未だに信じられない。そんな僕らのことなどお構いなしに時間は流れる。

 開会式も終了し、僕の店番担当時間であった二時間もあっという間に過ぎ去った。その間の来場者数も、文集『星天』の売り上げ数も昨日と同じ一三冊で変わりなかった。

 次はその役目を柚希へバトンタッチし、僕と梨乃の組み合わせで文化祭を堪能する番だ。とは言っても、こんな状況下で楽しむことなんて出来ないだろう。そして何より、昨夜の出来事が頭から離れずに僕の気持ちは沈んだままだった。

 だが時間というものは残酷で、決して僕なんかのために止まってくれるようなことはしない。無慈悲にも時は刻み続ける。


「今日も乗り気じゃないだろうけど、しゃあなし、お笑い観に行くか」


 隣りを歩く不機嫌な梨乃に声をかける。だが一向に返事がない。

 なんだろう、僕とは会話もしたくないってことなのだろうか。

 互いに無言のまま、お笑いの会場であるグラウンドを目指した。

 いつの時代も笑いというのは人の好奇心をくすぐるのだろう。まあ隣人みたいな一部例外もあるが……。昨日と変わらず、そこは既に大量の人でごった返していた。

 僕らは最後尾で遠巻きに野球部員の渾身のネタを観賞する。が、昨日とまったく同じネタなだけに笑いは込み上げてこなかった。いや、それ以前に気分が乗らないということも関係しているだろう。


「……はぁ……つまらない」


 ため息をつきながら、梨乃が絶妙なタイミングで会場から離れる。だから僕もそれに倣い、同じように彼女を追いかけた。


「あ、ちょ、梨乃ー?」


 彼女を呼び止めるが振り向く素振りすら見せない。それは昨日と同じ、いや普段通りの塩対応だった。

 そんな彼女に追いつき自然と隣に並ぶ。


「……何でついてきたの? 別に観ててよかったのに」


 なんて演技力だろう。梨乃は昨日の自分を完璧に演じ切っている。このまま役者を目指してみたらどうだ? そう口にしそうになり慌てて口を塞いだ。

 頭をフル回転させ、昨日の言葉を必死に思い出す。


「一緒に回ってるのに片方が居なくなったら意味ないじゃん? それに、昨日と同――」


 ボフッ!


「ぐぉうッ!」


 脇腹に華麗なエルボーが食い込んだ。あまりの激痛にその場にへたり込む。視線を上にあげると、彼女の瞳が、誰かに聞かれるだろうが言葉を慎めと、そう言っていた。


「ごめん、なさい……。もうしませんから……どうか、どうか……暴力だけはおやめください……。じゃないと、僕の身が滅びてしまいます……」


 痛みに悶絶しながらよろよろと立ち上がる。もちろん梨乃は手なんて差し伸べてくれなかった。寧ろ、弱り切った僕を張り倒しそうなほど白い目を向けていた。


「いったたたた……。えっと、次はどこだったっけ?」


 痛みの所為で頭が上手く働かない。だというのに、梨乃はまたしても言葉を返してくれないみたいだ。

 昨日発言したこと以外は口にしない魂胆か、それとも単に僕と会話をしたくないだけなのか、どっちにしろ答えてくれないんだろうな。

 そう考えだすとなんだか悲観的な気持ちになって来て重いため息が漏れた。


「……クレープ」


 いつもより更に不機嫌な声が隣から聞こえた。

 その行き先を聴いた時、ふとあることを思い出した。

 なるほど、そういうことか。

 彼女をチラリと一瞥すると、目に角を立てるようにして睨みつけられた。

 どうやら昨日のことをかなり気にしているらしい。


「そ、そうだったな……ははは。それじゃあ、行こうか」


 この先の展開を想像してしまい、つい苦笑交じりになってしまった。そんな僕に、恐らく梨乃は冷ややかな目を向けているだろう。勝手に想像しては怯え、彼女の反応を視界に入れないようにと注意を払って反対を向いて歩きだす。

 無言で歩くって言うのは中々に居心地が悪い。昨日もそう思っていたのだが、特に会話を切り出すことはしなかった。何せ、無視されるのが辛かったから。でも今日は、沈黙の度に昨夜のことで悶々としてしまうため、なるべくそれを避けたかった。


「なあ、一つ訊いてもいいか?」


 右隣を歩く梨乃に声をかけるが、またしても無視を決め込まれてしまった。

 もしや気づいていないのでは?

 あまりにもナチュラルに無視されるので、堪らず彼女の目の前で手を振ってみた。


「……何?」


 どうやら気付いてはいるらしい。ただ単に無視をしているだけのようだ。

 というか気づいてて敢えて無視するとかえげつないな。まあそれはさておき、何でもいいから話題を用意しなければ……。


「靴って右と左どっちから履く派?」


 梨乃の動きが止まった。

 自分で訊いておきながら自分も混乱した。我ながらどうでもいい二択だと思う。せめて犬と猫だったらどっち派? くらいにしておけばよかったと頭の中で大反省会が始まる。

 案の定、梨乃は狐につままれたような顔をしていた。


「……ねえ、瀬戸君。そんなの知って何になるの?」


「えっと、僕が気になったから訊いたんだけど……」


 あながち間違ってはいない。自ら問うてみて、自分ならどっちから履くのだろうと思い巡らせているのだが答えは見つからない。普段まったく意識して履くことがないのだからそれも当然だろう。そんな結論の出ない僕だからこそ、梨乃はどっち派なのか気なるのだ。


「……何で?」


「梨乃のことを知りたいから……?」


「……どうして疑問形」


「そういえばあんま二人で話したことないなって思って」


「それは友達を作る時の戦術か何か?」


「自慢じゃないが友達と呼べる人が少数もいないので、生憎そんな術は持ち合わせてない。寧ろ誰かに教えてくほしいくらいだ」


「そりゃあ変態で馬鹿でお人好しの瀬戸君なんかに友達はいないでしょうね」


「おい、さり気なくディスるのはやめろ。ってかお互い様じゃんか。梨乃だって友達いないんだし」


 そう、そんな友達のいない彼女は一躍有名人だ。もちろん決して良い意味で、ではない。彼女は見ての通り無愛想で、目つきも厳しく言葉遣いも冷淡で無味乾燥な人間である。故に、他の生徒から反感を買い煙たがられたり、もしくは恐れられたりと、学校内では特に悪目立ちしている。更には、教師から問題児扱いされているらしいのだ。

 因みに文芸部が三人しかいないのは彼女の存在が関係しているとかいないとか……。


「……右」


 不意に隣人が口をついた。


「え? えっと、何が?」


「は? だから靴を履くってやつ……」


「あ、ああ~、なるほどなるほど。梨乃は右足から履くんだー」


「……で、瀬戸君は?」


 え、まさかのここで切り返し? まったくもっての予想外な展開に、僕は鳩が豆鉄砲を食ったような顔になっている、と思う。


「僕も右かな」


 呼吸をするように言葉を吐いた。それが真実であるかどうかは後でこそっと確かめよう。

 まるで僕の回答を聞いていなかったんじゃないかと言いたいくらい、梨乃はこれといって関心を示さなかった。

 微妙に気まずくなってしまい、必死にその場を取り繕う。


「それにしても、まさか聞き返されるとは思わなかったな。あは、あははは」


「社交辞令で訊いただけ」


 そっぽを向いて吐き捨てられた。


「ですよねー」


 肩を落として、僕は舗装されていない砂利の上を踏みしめるようにして歩く。会話がぷつりと途切れたため、梨乃は俯き再び口を固く閉ざした。

 それからほどなくして、目的地であるクレープ屋の前に到着した。朝から何も口にしていなかったことを胃袋が思い出し、腹の虫どもが一斉に匂いへと触手を伸ばしている。本音を言うと、焼きそばとかフライドポテトとか塩っけのある物が食べたかった。

 一応レパートリーの少ないメニュー表を吟味し、初めから決まっているものを注文する。


「えっと、チョコバナナクレープとチョコみかんクレープを一つずつお願いします」


「……瀬戸君、二つも食べるの?」


 梨乃の演技力の見せどころがやって来た。とは言っても、常に同じトーンでの台詞なので演技をしているようには到底見えない。

 僕もそれに乗り、全力で昨日の自分の真似をする。


「違うよ、一個は梨乃の分だ」


「は? だから私はいいって」


「いやいや僕一人だけ食べてたら梨乃に申し訳ないじゃんか。それに、別にクレープが嫌いなわけじゃないんだろ?」


 店員さんにお金を払い、クレープを二つ受け取ると列から離れ、人通りの少ない校舎の壁際へと移動する。若干陰を作っている所為か、ひんやりとした風が首元をくすぐった。


「さ、どっちがいい?」


 梨乃の眼前にクレープを二つ突き出す。彼女はそれに目もくれず、面倒くさそうに口を開く。

 そう、本気で面倒くさそうに。


「はぁ……。別にどっちでも」


「じゃあ、みかんでいいか?」


 差し出した昨日と同じそれを、梨乃はため息交じりに受け取る。


「……まったくお節介」


 不意に口元がニヤついた。それを梨乃に悟られるわけにはいかないので、僕はしれっと顔を背けた。この後の展開が待ち遠しいが故に表情が先走ってしまう。それがバレてしまえば、きっと僕はいつもの冷たい視線――通称ドライアイスを向けられてしまう。


「クレープなんて滅多に食べないよな~。よく書店の前とかに店構えてるけど、一人

で買うにはそこそこ勇気がいると思うんだよー」


 あからさまに僕の声は躍っていた。どうやらアホは簡単には治らないらしい。

 僕は、食べやすいようにとクレープを包み紙から引っ張り出す。その下準備が完了すると、真綿で首を締めるようにして梨乃に視線を寄こした。


「…………」


 演技に没頭中の梨乃が、昨日と同じようにクレープを見つめて硬直していた。

 よかった。どうやら気づいていないみたいだ。

 僕は安堵の息をつき、そっと彼女の顔を覗き込む。


「ん? どうしたんだ? 梨乃?」


「……何でもない」


 ツンと取り澄ました声で僕を突き放す。そんな梨乃の背中をつつくようにして、僕は厭味ったらしく言い放つ。


「何でもないって言う時って、大抵が何でもあるサインなんだよな~」


 爽快感が駆け抜けた。よっしゃ決まったと心の中でガッツポーズを取る。昨日僕は、この言葉で梨乃に勝った。彼女の図星を突くことに成功し、可愛らしい弱みを握ることになったのだ。


「あ、もしかしてぇ、クレープの食べ方を知らない……とか?」


 僕は白々しく首を捻る。


「……わ、悪い……?」


 梨乃は、下唇を突き出しむっと口を結んでから睨みつける。

 声の調子と表情までもが完璧な再現度。冗談抜きでやっぱ役者に向いてるかもしれない。


「い、いやぁ、いいんじゃない、かな?」


 その表情。と声に出そうになり勢い良く口を閉じた。口の中で血の味が広がった。明日絶対に口内炎になっているやつだと確信した。きっと、調子に乗ってしまったつけが回ってきたのだろう。

 一度引っ張り出していたクレープを説明のためにと最初の状態に戻す。


「こう、包み紙とクレープの生地を分離させながら……ゆっくり引っ張り出せば、食べやすいんだよ。で、また食べにくくなってきたら、同じようにするといい」


 痛みを笑顔で噛み殺しながら、僕は手元のクレープでそれを実践してみせた。梨乃はその一連の動きを真剣に観察すると、自身の手元に向き直った。


「……わ、わかった」


 弱々しく頷き、梨乃はぎこちない手つきでそれを試みる。右手でクレープを摘まみ、左手で包み紙を引くようにして動かす。


 グチャ。


「「あ……」」


 昨日と違うことが起きた。梨乃がクレープを引っ張り出すことに失敗し、思いっきり潰して皮を破いてしまった。そこから中身がこんにちはしている。


「えっと……交換しようか?」


 ふと、電子マネーを使おうとしたら残高が足りてなかった時の惨めさを思い出し、梨乃に手元のクレープを差し出した。だが、彼女はそれを受け取ろうとはしない。

 だから僕は、もう一度ごり押しする。


「チョコバナナは美味しいぞぉ?」


「……いい」


「いや遠慮しなくていいって。ほら、僕もまだ食べてないから。それに、昨日と同じのだと飽きちゃうだろ?」


 そう言って潰れたクレープを無理矢理奪い取り、自分のクレープを梨乃に押し付けた。

 欠陥しているそれにすぐさまかぶりつく。


「おっ! みかんも結構美味しい! チョコとみかんってのも相性良いんだな~!」


 溢れだしたみかんやら生クリームやらをこぼさぬよう先に処理する。それが済むと、クレープを片手に先程からピクリとも動かない梨乃へ首を回す。

 が、梨乃はさっと僕に背中を向けた。それにつられて爽やかな横風が吹く。靡いた彼女のポニーテールの隙間から絶え入るような声が漏れた。


「…………ありがと」


 予期せぬ台詞を耳にし、僕は身動きが取れなくなった。

 普段が冷めきっている梨乃のデレは希少価値だ。これが俗に言う、クーデレというやつだろうか。

 二回目の文化祭にして、僕はまた梨乃の新たな一面を垣間見ることになった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る