二回目

二回目 ⑦不安定な幕開け

 女の子の声で目を覚ました。

 その正体は、僕のスマホにインストールされている、アニメキャラの目覚ましボイスだ。

 乱暴に画面をタップし、音声を停止させる。

 もう少し寝ていたい。現実に戻ったってもう良いことなんて何もないんだ。そう不貞腐れて、二度寝を決め込もうとしたところで、違和感を覚えた。

 僕は昨夜、スマホを壁に叩き付けて眠りに落ちたはずだ。なのにどうして、僕の枕元にこいつがあったのだろう。

 体を起こし、スマホを舐め回すように確認する。傷などはどうやらなさそうだった。


「無意識のうちに拾い上げたのか……?」


 そういえば、確か昨日着信が入っていたはずだ。あれは誰からだったのだろう。少し気になり、ロックを解除して履歴を確認する。

 だがそこに、着信履歴など一つもなかった。


「は……? なんでだよ。昨日確かにかかって来てたよな? だって、鳴り止まなかったから、僕はスマホを……」


 そう呟きかけて、決定的な謎を発見した。


「日付が……昨日だ……」


 僕のスマホに表示されていたのは、二〇一八年九月二一日。そして昨日の文化祭も、今画面に映っている日付と同じ日だ。

 これは一体どういうことだ? 時間が戻っているということか? そんな考えが頭をよぎったが、頭を振ってかき消した。


「そんな、まさか……。SFじゃあるまいし……」


 奇妙な現象の所為で気乗りしなかったが、ひとまずリビングへ向かおう。状況整理のためにももっと情報が欲しい。テレビなんかを確認すれば一目瞭然だろう。



「嘘……だろ……」


 目の前の事実に、思わず声を漏らさずにはいられなかった。

 ニュースの内容が、昨日とまったく一緒だった。テレビ画面に表示されている日付も昨日のものだ。それに、朝食の献立も新聞の日付も占いの結果も、身の回りにあるものすべてが、昨日のものとまったく同じだった。


「彼方、どうしたの? あんたさっきから変よ?」


 母さんが怪訝そうな目で僕を見る。それにつられた父さんも、僕の顔を覗き込む。


「なんだ、風邪でも引いたのか?」


 不審がられるのは無理もない。普段の僕はだらっと起きて来て、のんびりと身支度を済ませる。その間、ニュースを見ることはあっても新聞を確認することはない。そんな僕がテレビを凝視し、あまつさえ新聞紙まで捲っているのだから相当おかしな光景だろう。

 いつも通りを心掛けられるほど、今の僕には余裕がない。

 そういえば今日が昨日なら、今日という日は文化祭なんじゃないのか?

 確かめるには聞くほかない。仕方ないが、ここは頭がおかしい奴を承知で訊いてみよう。


「なあ母さん。今日って――」


 ピンポーン。


 不意にチャイム音が鳴った。

 嫌な予感がした。昨日は確か、こんな時間に誰かが訪ねて来るなんてことはなかった。

「こんな朝早くから誰かしら」と呟きながら母さんが玄関へ向かう。僕はその場から動けなくなった。冷たい汗がじっとりと手に滲む。嫌な予感というものは良く当たる。きっと今回だってそうだろう。

 やがて母さんは、戻ってくるや否や僕に向かって、


「あんた、お友達が迎えに来てるわよ?」


 そんなありえないことを口にした。

 その言葉に面食らい、僕は呆然としていた。

 ここにきて昨日とは違う出来事が起きた。そして僕の友達と言えばかなり数が限られる。恐らく柚希か梨乃か、この二択にまで絞られるだろう。正直言って僕には友達がいない。クラスメイトと会話はするが家を教えるほどの仲じゃない。

 そうか。ということは僕の住所を知っている人物しか、ここには辿り着けないのか。だったら一人しかいない。かつて僕の家に招待したのは柚希だけだ。

 さて、どうしたものか。そこまではわかったのだが、昨日の今日で顔を合わせられる自信がない。昨日と違う行動を示したということは、きっと柚希は昨日のことを覚えているはずだ。

 そして、僕と同じできっと混乱している。


「ちょっと彼方ー? 早く準備しなさい。お友達が待ってるわよ」


 母さんが僕をせっつく。

 どうしようかその場で悩んだ挙句に、「今行くー」と母さんに対して返事をすると、僕は急いで学校へ行く準備を始めた。

 それが済むと、朝食も食べずに玄関へ向かう。いったいどんな顔をして会えばいいのだろう。流石にいつもの調子で会話が出来る気はしない。きっと気まずい空気を作ってしまう。

 玄関の扉を恐る恐る開く。そこには、いつもと変わらず落ち着きのない様子でそわそわしている柚希が待っていた。

 思わず勢いよく扉を閉めた。


『えっ⁉ ちょ! 何で閉めるの⁉』


 外から柚希の驚いた声が聞こえる。

 ここまで来て、やっぱり顔を見たくないと思ってしまった。恐らく柚希は、普段通りを心掛けようとしてくれている。それが却って僕には息苦しかった。

 でも、この外に出なければ今の現象についての解明はできないかもしれない。それに、もしかしたら昨日の出来事自体が夢であった可能性だってまだある。柚希が家を訊ねたのは単なる偶然で、今日が本物の文化祭である可能性が……。


『昨日はごめん! 彼方くん!』


 たった今破棄された。

 本格的に外に出づらくなってしまった。柚希はやっぱり柚希だ。あたりまえだけど。

 さて、どうしたものか。もういっそこのままふて寝してしまおうか。そう思い、踵を返すとそこには母さんが待ち受けていた。


「何やってんのあんた。早く行きなさいよ」


 険のある目でそう諫める。

 僕の目論見は果たされなかった。その威圧にはどうしても抗えない。

 だから仕方なく、重い足取りで外へ出る。


「すまん。柚希に告白した挙句にフラれた夢見てちょっと悶えてた」


 真顔でそんなことを言ってのける。もうやけだと思った。敢えて自ら口にすることにより、向こうから与えられるダメージを軽減する先方に出る。


「き、奇遇だね~。わたしも同じ夢を見てたみたい」


 柚希も必死に笑顔を取り繕いながらそう口にした。だからあれは夢だ。そう、夢なのだ。


「はは、だよな。夢、だよなあれ」


 きっと僕の頬は引き攣っていただろう。上手く笑えなかった。それが夢じゃないことくらい、きちんと理解出来ている。だからこそこの言い訳は中々に応える。


「そ、それじゃあ、学校行こっか。もしかしたら梨乃も同じ状況かもしれないし」


 そんな柚希の言葉に僕は煮え切らない返事をし、歩みを進める。左隣にしっかりと柚希は同行しているが、終始無言だった。

 そういえば、どうして柚希はわざわざ自宅と反対方向である僕の家まで迎えに来たのだろう。この現象に混乱しているとはいえ、学校に行けば梨乃が居るし、僕だってそのうち登校するんだから、わざわざ迎えに来る必要はなかっただろうに。もしや、僕が学校に行かないと踏んでいたのか? 甚だ疑問ではあったが別に訊ねはしなかった。たぶん訊いても答えてくれないだろう。そう言うことにしておいた。

 ろくに会話も出来ないまま、僕らは部室へ向かった。



「夢じゃない」


 開口一番、呆気なく否定されてしまった。

 どうやら梨乃も同じ現象に悩まされているらしい。それにしても、冗談でもいいから夢だと言ってほしかった。彼女が冗談を言う質でないのはもちろん知っているが、それでも一縷の望みにすがりたかった。


「一日の出来事がはっきりと覚えられる夢なんてある?」


 相変わらずの鋭い視線で正論をぶちかます梨乃に、僕は何の反論も出来なかった。

 事実、あれが夢ではないことを自分でも痛いくらいに理解している。昨日のことは全部はっきりと覚えている。文化祭で何をしたのかも、キャンプファイヤーで柚希と手を繋いで踊り、その後に告白して、そして……玉砕したことも。


「いえ、ありません……」


 そう尻込みする僕に向かって、梨乃は更に釘を打つ。


「それに、昨日のがもし夢だったのだとしたら、私たちは予知夢を見ていたことになる。それも三人同時に。そんなことってありえる?」


 梨乃の声のトーンが大変不機嫌極まりなかった。

 あれが夢じゃないのなら、いったいこの現象は何だというのだ。SFなんかでよく観るタイムリープというやつなのだろうか。いいや、その説の方が馬鹿げている。可能性で考えるなら、夢の方が圧倒的にありえるだろう。

 いつか聞いたことがある。他人と同じ夢を見るという現象について。

 夢の中というもう一つの世界で、自分の深層心理と他人の深層心理がシンクロして、同じ夢を同時期に見ることが極々稀にあるらしい。こちらも確率はかなり低いだろうが、タイムリープよりは説明が付きやすいと思う。

 だが、きっと否定されるだろうと思い僕は口にはしなかった。


「もしかしたら、わたしたち以外にも同じ現象に巻き込まれてる人がいるかもしれないよね?」


「ええ、その可能性もある。私たちだけが同じ日を繰り返すなんて、それこそ意味がわからない。でもひとまず、今は状況を把握したいから、昨日と同じ行動をとってみた方がいい。覚えている限りでいいから、昨日の自分の真似をして。そして違和感が生じたら後で報告し合う、それでいい?」


 梨乃が珍しく躍起になっていた。それに、彼女の手元を見てみると一枚のルーズリーフに何かを書き写していた。恐らく僕らが到着する以前からこの現象の謎について考察していたのだろう。何度も書いては線を引いて消してと、かなり奮闘していた様子が窺い知れる。

 いかにも部長らしい頼れる行動力だ。


「おお。あの梨乃が本気の目をしている」


「こりゃあ明日は嵐確定だねー」


 しまった、と思った時にはすでに手遅れだった。梨乃がゴミを見るような目を僕らに向けている。


「何? 喧嘩売ってるの?」


「「そんなまさかっ」」


 死にたくない。僕らは全力で首を横に振った。


「それともう一つ。頭のおかしい連中だと思われないように、他人にはこの現象のことは話さないこと。逆に向こうが訊ねてきた場合には応じてもいいけど、それ以外は他言無用で。万が一のため、外に出ている時はこの話はしないように」


「「了解ですっ! 梨乃部長っ!」」


 またしても偶然のハーモニー。フラれたばかりだというのに見事なシンクロ率だった。

 そんな僕らを梨乃は相変わらず睨みつける。だが、なんだかさっきと目つきが違うような気がする。まるで僕らの背後を見透かすように遠い目をしていた。その異様さに、何気なく後ろを振り向いてみた。もちろんそこには何もなかった。


「だいぶ消化不良だけど、ささっと準備を済ませて取り敢えず体育館に顔を出そう?」


 柚希の言葉に僕らは頷き、一旦繰り返し現象の話は隅に置いて僕らは文集販売の準備を始めた。

 そのさなか、昨日のような雑談は一切なかった。まるでこの空間だけが世界から見捨てられたように味がなかった。その原因は言われるまでもなくわかっている。これは繰り返しの所為じゃない。僕と柚希の問題だ。

 そんな不安定な状態のまま、僕らの二回目の文化祭は幕を開けた。

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