一回目 ⑥告白

 祭りの熱が冷めきれぬまま、各々が帰り支度を始める。本来の終了時間よりも一時間ほど早く後夜祭は閉幕となった。

 帰りのホームルームも無事終了し、僕は慌ただしい心と共に荷物を整理する。

 窓の外の景色は、あまり芳しくない空模様だった。

 せっかくなら、晴れであってほしかった。今にも雨が降り出しそうな天気とか、かなり縁起が悪いと思う。まあ、僕が雨男だから仕方ないのかもしれないけど。

 降り出す前に、ささっと済ませて帰るとしよう。

 バッグを手に取り、教室を後にする。ゆっくりと呼吸を落ち着かせながら、僕は最上階角部屋、文芸部の部室を目指した。

 階段を上り切り、廊下を真っすぐと突き進み、部室の前でふと立ち止まる。

 明かりが点いていた。既に柚希が居るのだろうか。

 そう思うだけで、やっぱり凄く緊張する。だからといって、ここで立ち止まっているわけにはいかない。

 落ち着け、落ち着け、落ち着け。

 胸に手を添えて、深呼吸を数回繰り返す。

 それだけじゃ足りないだろう。両頬をバシンッと平手打ちし、気合を入れ直した。

 よし、もう大丈夫だ。――行こう。

 部室の扉をスライドさせ、足を踏み入れる。


「ごめん、待たせてしまって」


 視線の先で柚希は、椅子に腰かけてスマホを操作していた。

 僕の声に振り返り、彼女はそれをポケットに仕舞うと、椅子から腰を浮かす。


「三分待ったから、彼方くんの恥ずかしいエピソード三つで許してあげるっ」


 そしてそんなことを言う。しかもドヤ顔で。 


「マジか三つか~、うーん多過ぎてどれ話そうか悩むなぁ」


「何なら全部話してくれてもいいよ~?」


「僕は構わないけど、全部話してたら長編映画くらいかかりそうなんだがそれでも聴きたいかい?」


「えっ⁉ そんなにあるの⁉」


「ああ。自慢じゃないが恥辱エピソードならいくらでも持ち合わせているぞ?」


「マジかー。仕方ないなー、今回は時間に免じて大目に見て進ぜよう」


 腰に手を当てて、えっへんと胸を張る。その姿を見ていると、自然と口元が綻んだ。

 相変わらずのいつものノリで、何だか緊張がほぐれてきた気がする。

 さあ、今のうちに言ってしまうんだ。この穏やかな空気が途切れぬうちに。


「あ、そういえばこれ、梨乃から。返しそびれてたってー」


 ワンクッション挟まれた。

 柚希は、反対側のポケットから僕のスマホを取り出した。


「そ、そういえば没収されてたんだったな。……忘れてたよ」


 肩を落とし、スマホを受け取ると、そのままポケットに突っ込んだ。

 よし、気を取り直して今度こそ言おう。

 柚希に目を向ける。彼女は、凄く落ち着いた表情をしていた。それも、普段の彼女からは想像もつかないくらい、真剣な目だった。

 そんないつもと違う彼女の様子に、沸々と緊張が湧き上がってくる。

 ドクンッドクンッと心臓の跳ねる音がする。その回数分だけ、考えていた言葉もこの想いも、頭から抜け落ちそうになる。そうさせないためにも、このどうしようもないくらいに膨れ上がった気持ちを、今こそ彼女に告げなければならない。

 僕は覚悟を決め、ゆっくりと口を開いた。

 そして――。


「僕は……椎名柚希さんのことが、す……好きですっ。僕と、付き合ってください……!」


 長い間沈黙が訪れた。それはきっと、僕の体感時間での話だ。実際は、一分も経っていなかったと思う。視線の先で、柚希が口を開けては閉じてを繰り返し、存分に躊躇った後、申し訳なさそうに声を絞り出した。


「えっと……その……。ご、ごめん……なさい」


 消え入りそうなその声は、きちんと僕に届いていた。僕の胸を劈くように、しっかりと。

 正直言ってそれだけで十分だった。その言葉だけで十分受け入れられた。たったその一言だけで理解出来ていた。僕の想いは、彼女に届くことはなかったのだと。


「わたしは、その……彼方くんのこと、嫌いなわけじゃないよ? というよりか寧ろ好き。友達としてっ……。わたしね、恋とかそういうのは良くわかんなくて……。でも、彼方くんと一緒に居るのは凄く楽しいよ? いっつもわたしの我儘とか、馬鹿みたいなノリにも付き合ってくれて……凄く嬉しいし、面白いし……。でもやっぱり、恋愛っていうのがまだよくわからないから……だから……ごめん。今は、まだ付き合えない……」


 今にも泣き出しそうなほど、彼女の声は震えていた。

 僕はきっとどこかで浮かれていた。僕にとって都合の良い返事が返ってくるんだって、何の根拠もないのに思い上がっていた。必ずハッピーエンドがやって来るんだって信じていた。そんな自信が、きっとどこかにあったんだ。

 ゲームの世界なら、このまま頷きを貰って、めでたしめでたしで終わるはずだった。

 でも、現実は甘くなかった。突き付けられたのは、受け止めたくない真実だった。

 これで終わった。僕はもう、柚希と笑い合うことも、ふざけ合うことも出来ない。これからずっと、僕の瞳に彼女が映ることも、彼女の瞳に僕が映ることもないだろう。くだらない僕の感情一つで、僕は自ら居場所を失ったんだ。

 今僕は、いったいどんな表情をしているだろう。

 わからない。でも、きっと酷い顔をしていると思う。


「そっか……。そう、だよな……ごめん……」


 精一杯絞り出した声は、呆気なく床に零した。それを拾う気力なんて、どこにもない。


「あ、でもっ……! これもまた、わたしの我儘なのかもしれないけど、これからも、わたしと仲良くしてほしいっ。わたしは、彼方くんと仲良しでいたいからっ……!」


 取り繕うようにして、柚希が必死に言葉を紡ぐ。

 きっとそれは、彼女なりの優しさなのだろう。僕のような哀れな人間に対しての救済措置。彼女はとても優しい人だ。ひとりぼっちの僕なんかに、笑顔で声をかけてくれるくらい優しい人なんだ。だから、きっと最後まで優しいままだ。

 僕が好きになった、あの笑顔のまま。


「あ、ああ。今日は、その……ごめんな。変なこと言ってしまって……」


 視界が、真っ黒に染められた。


 ――こんな想い、伝えなければよかった。


 部室を飛び出した。

 その直後、柚希が何かを言っていたかもしれない。わからない。きっと僕の勘違いだろう。僕は気にせず遠ざかる。

 現実という名の雨が、僕を強く強く非難する。だが、そんなことを気にする余裕なんてどこにもなかった。

 例えそれが冷たくて痛いものだとしても、僕はまったく気にならない。今の僕に必要なのは、一刻も早くあの場から離れることだ。

 だから僕は、雨曝しのまま逃げるようにして家へ走った。

 その後のことはよく覚えていない。

 気がつくと僕は、ベッドの上で膝を抱いていた。

 真っ暗な部屋の外で、空が喚き散らしている。僕に向かって、ざまあみろと。

 時折怒鳴り声も聞こえた。だから僕は耳を塞いだ。

 何も聞こえない。何も聞こえない。何も聞こえない。そう自己暗示した。

 枕元で、スマホの着信音が鳴る。気にしないようにと無視をしていたが、中々鳴り止まなかった。それに段々とイラつきを覚え、


「うるさいッ!」


 そいつを向かい側の壁に叩き付けてやった。途端、世界から音が消えた。

 シーンという音すら聞こえない静寂に、不気味さを感じた。なのに僕は、それが心地良いとも思えた。この奇妙な感覚が、僕の心を翻弄する。

 黙っていればよかったのか。気づかなければよかったのか。いや、そうじゃない。

 そもそも出会わなければよかったのだ。


 初めて抱いた恋心と共に、僕はそのまま眠りに落ちた。

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